旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜
「……ソフィア」
安堵のあまり、数秒、言葉を失い立ち尽くす。
ノックを忘れたせいか、ソフィアは驚いたように振り向いたが、すぐに立ち上がり、にこりと微笑んだ。いつもと変わらぬ、柔らかな笑顔で。
「おかえりなさいませ、旦那様。本日もお仕事、お疲れ様でございます」
「……っ」
その笑みに、レイモンドの胸がかあっと熱くなる。
胸の奥に溜め込んでいた不安が、潮騒に溶けるようにほどけていった。
(……来て、くれたのか)
イシュと共に去ってしまうのではないかという恐怖は、今も胸の奥に燻っている。だがそれ以上に、今この瞬間、彼女が自分の目の前にいるという事実が、何よりも嬉しかった。
「……よかった。もう……会えないかと」
思わず零れた言葉に、ソフィアは小さく瞬きをする。
「それは、どういう……」
刹那、レイモンドは我に返った。
ソフィアは舞踏会の夜に交わされたやり取り――イシュが「今すぐ離縁しろ」と迫ったことを知らない。ましてや、首都の屋敷で彼女を監視させていたことなど知るはずもない。自分の態度は、彼女にとって不可解に映るだろう。
(――だが、取り繕っている暇はない。俺にはもう、一ヵ月しか残されていないんだ)
本当は、舞踏会のことも監視のことも口にするつもりはなかった。打ち明ければ、彼女は離れてしまうかもしれない。秘密を知ったなら、もう隠す必要はないと、すぐにでもイシュの元へ行ってしまうかもしれない。
それでも、真実を語らねばこれ以上先へは進めない。そう悟った瞬間――。
「……舞踏会の夜は、ご迷惑をおかけして……申し訳ありませんでした」
ソフィアの口から出たのは、謝罪だった。
その表情に、レイモンドの胸に罪悪感が溢れる。こんな顔をさせたいわけじゃない。謝ってほしいわけじゃない。
「いいや、謝らなければならないのは俺の方だ」
「……え? どうして、旦那様が謝るのですか?」
「それは……」
今度こそ、向き合わねばならない。だが屋敷の中では誰に聞かれるかわからない。ソフィアとイシュの関係を万が一使用人に知られれば、取り返しのつかないことになる。
「……ここでは話しにくいんだ。少し、外に出ないか。歩きながら、ゆっくり話そう」
「!」
ソフィアは一瞬、顔を強張らせた。何かを察したのだろう。
けれど彼女は断ることなく、困ったような顔で、小さく頷くだけだった。