旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜

 兄の声が耳に届くより早く、ソフィアは踵を返していた。
 視界の端で、兄の顔が歪むのが見えたが、振り返ることはできなかった。

 胸が苦しい。喉の奥が焼けつくようで、うまく息ができない。

 足音が石畳に響き、裾が翻る。
 会場とは反対方向へ、無我夢中で駆けていた。


「――っ」
 

 脳裏にフラッシュバックする、あの夜の光景。

 強いアルコールの匂い、重くのしかかる体、首筋にかかる湿った息遣い――。

 下の兄が止めてくれたからいいものの、そうでなければ、どうなっていたか分からない。
 その記憶が、――蘇る。


 ソフィアはその記憶から逃れるように、暗い庭園に飛び出して、茂みの影にしゃがみ込んだ。

(大丈夫。大丈夫よ……もう、六年も前のこと。それに、お兄様はちゃんと謝ってくださった。お酒のせいだったって、悪気はなかったって、わかっているじゃない。……だから……大丈夫。……わたしは、平気よ)

 鼓動がバクバクと全身に響く中、ソフィアは自分に言い聞かせる様にして、ぎゅっと身体を抱き締めた。
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