世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。
第10話 すれ違いの中に、ひとしずく
訓練場の空気は、今日も張りつめていた。
甲高い金属音。兵士たちの掛け声。舞い上がる砂埃。
その中央で、まっすぐに立ち、無駄のない動きで指導を続ける男、ゼロスは今日も指導に励んでいた。
――そんな緊張感に満ちた空間へ、今日もまたひとつの【異物】が紛れ込んだ。
「わぁ……今日も熱気すごいなぁ……」
のんびりとした声とともに現れたのは、ぐうたら令嬢ことレイリア。
日傘を差し、片手にはお気に入りの桃花茶。
今日も今日とて見事なぐうたらぶりで、日陰のベンチに腰を下ろした。
(……また来たのか、あの女)
訓練の合間、ゼロスの眉がわずかに動く。
もっとも、本人はそんな小さな変化にすら気づいていない。
砂埃の舞う訓練場の隅で、清涼感たっぷりに紅茶をすすっている令嬢。
場違いにもほどがある光景だったが、当の本人はまるで意に介していなかった。
「暑い日に、風通しのいい場所で飲むお茶って最高なんだよねぇ……はぁ……生き返る……」
まるでここが自宅の庭であるかのような態度。
ゼロスはそれを横目で見やりながら、内心で低く吐き捨てる。
(……なんなんだ、あの女は)
訓練を続けながらも、意識の端にあの姿がちらつく。
怠け者。常識知らず。緊張感の欠片もない。
なのに、なぜか目に入る。
それがただ鬱陶しいだけなのか、それとも別の何かなのか――まだゼロス自身にも分からなかった。
▽ ▽ ▽
一方、観客席の高台では、日傘を立てて涼んでいたレイリアのもとへ、兄のアレクと姉のセリナがやって来ていた。
「……レイリア。今日も見物かい?」
「うん。特等席で昼寝するために。兄様たちも訓練?」
「ええ。これからアレクの盾に、思いきり雷魔法を叩き込もうと思って」
「……兄様を殺さないでね、姉様」
「あら、ちゃんと加減はするわよ?」
ふふ、と微笑むセリナに対して、アレクはどこか落ち着かない様子で目を泳がせていた。
どう見ても不安そうなのに、セリナはまったく気づいていない。
その様子が少し可笑しくて、レイリアは兄の腕をぽんぽんと軽く叩いた。
「兄様、がんばって、ふぁいとー」
「うん……レイリアが応援してくれるなら耐える」
「耐える前提なんだ……」
「レイリアの前で無様なところは見せられないからね」
「兄様、そういうとこちょっと重いよ……」
小さく呆れた声を出しながらも、レイリアの口元は少しゆるんでいた。
するとセリナがふと、意味ありげに視線を訓練場のほうへ向ける。
「ふふ、ねぇレイリア。あのゼロスという人、さっきから見ていたでしょう? レイリアとしてはどう思うの?」
セリナが面白がるように尋ねると、レイリアは少しだけ目を瞬かせた。
それから訓練場のほうへ視線を向け、ほんの少し考え込む。
「うーん……どう、って言われても……よくわからない、かな」
その言葉に、アレクの肩がぴくりと揺れた。
「……よく、わからない?」
思わず聞き返した声は、妙にかすれていた。
「なに、兄様」
「いや……だってレイリア、興味のない相手にはもっとはっきりしてるだろう? 【うるさい】とか【眠そう】とか【帰りたい】とか」
「兄様の中の私、雑すぎない?」
「でも外れてはいないわね」
セリナがさらりと同意する。
レイリアはじとっとした目を向けたが、姉はどこ吹く風だった。
「だってほんとによくわからないんだもん。頑固者で、何考えてるか分からない人だし……でも、腕はいいよね。筋が通ってるというか。さすが、最強って言われるだけはあるなって感じ」
「あなたがそう言うなら、そうなのでしょうね」
そう言ってセリナは、やわらかくレイリアの頭を撫でた。
だが、その隣でアレクだけは固まっていた。
「えっ、今、レイリアが他人を評価した?」
「そんな珍しいことみたいに言わないでよ……」
「いや、珍しいよ。かなり珍しいよ」
アレクは真顔のまま、じわじわと青ざめていく。
「しかも【よくわからない】って……それ、少し気になってる相手に使うやつじゃないのか?」
「は?」
レイリアがぽかんとする。
「え、なにそれ。違うけど」
「違うの?」
「違うよ」
「本当に?」
「兄様、なんでそんなに必死なの……」
あまりに真剣な顔をする兄に、レイリアのほうが困惑してしまう。
セリナはそんな二人を見比べて、くすりと笑った。
「あらあら、アレク。そんなに衝撃だったの?」
「だって……」
アレクは本気で傷ついたような顔をしていた。
「レイリアが知らない男のことを【よくわからない】って言いながら考えてるの、なんか……嫌だ」
「兄様?」
「いや、だって今までレイリアって、他人にそこまで興味なさそうだったし……」
「うん、まあ、だいたいは興味ないけど」
「ほら!」
「ほら、じゃないよ」
レイリアが即座に突っ込むと、アレクは胸を押さえた。
「でも【だいたい】ってことは、例外があるってことだろう……?」
「え、そこ拾うの?」
「拾うよ!兄だから!」
なぜか力強く言い切るアレクに、レイリアはますます呆れた顔になる。
セリナはそんな弟を見て、面白そうに口元を隠した。
「大丈夫よ、アレク。まだ【ちょっと気になる】にも届いていないと思うわ」
「まだって言った?」
「姉様?」
「言ってないわよ?」
しれっと微笑むセリナに、アレクはさらに深刻そうな顔になる。
「まだ……ってことは、今後あり得るのか……?」
「兄様、勝手に話を進めないで」
「だってレイリアがあの手の男をちゃんと見てるなんて、今までなかったじゃないか……」
その言い方は、まるで大事にしまっていた何かが勝手に外の世界へ興味を持ち始めたのを見てしまった兄のようだった。
「別に、ちゃんと見てるってほどでもないよ。ただ……ちゃんと動いてるなって思っただけ。見ていて安心するというか、変なごまかしがないというか……」
「ほら! やっぱり結構ちゃんと見てる!」
「兄様うるさい」
レイリアがぴしゃりと言うと、アレクはがっくりとうなだれた。
「どうしよう……レイリアにそういう相手ができる日が来るなんて、まだ百年くらい先だと思ってた……」
「私、兄様の中でどういう存在なの?」
「永遠に家族の真ん中で、昼寝して、たまに甘いもの食べて、平和にしててほしい存在」
「重いよ……」
「兄として当然だよ」
「それ、さっきも聞いた」
今度はセリナがくすりと笑った。
「大丈夫よ、アレク。レイリアはあの堅物とはたぶん合わないもの」
「あー……それは分かる」
少し安心したようにアレクがうなずく。
けれどまだ完全には立ち直っていない顔だ。
「ひどくない?」
「だってあなた、自由に昼寝できない相手とは絶対に無理でしょう?」
「それはそう」
あっさり認めたレイリアに、二人はそろって納得した顔になる。
「でもね、彼、真面目すぎて友達も少ないらしいわよ」
「あー、それは納得……」
「案外、あなたみたいに気を遣わない相手のほうが合うかもしれないわ」
「えー……無理無理。あの堅物じゃ、私とは絶対合わないよ。私は昼寝がしたいし、のんびりしたいし……できれば面倒ごとからも遠ざかっていたいもん」
その答えを聞いて、ようやくアレクは少しだけほっとしたように息をついた。
「……よかった」
「兄様、何に安心してるの」
「いろいろ」
レイリアは日傘をゆるく回しながら、遠くの訓練場をぼんやり眺めた。
「……あの王子の婚約者にされた時から、窮屈な勉強とか作法とかばっかりでさ。戦場以外で、あんなに自由に動けなかったことってなかったし」
レイリアのその一言で、空気がぴたりと止まる。
セリナはレイリアの頭を撫でる手を止め、微笑んだまま静かに口を開いた。
「……やっぱり、あの国は一度きちんと焼いておくべきだったかしら」
穏やかで、上品で、落ち着いた声だった。
だからこそ、言っている内容の物騒さが際立つ。
「今からでも遅くないわね。王城だけでは足りないかしら?社交界ごと消しておいたほうが、むしろ後腐れがないかもしれないわ」
「姉様、物騒すぎるよ……」
レイリアが思わず引き気味に言うと、隣でアレクも真剣な顔で腕を組んだ。
「いや、正直わかる。僕もあの王子がレイリアを見るたび、盾じゃなくて剣を持っていくべきだったかなって思ってた」
「冷静だったじゃん、兄様」
「それは役目が盾だったからだよ。守る側は、簡単に感情を出しちゃ駄目だから」
「兄様も十分こわいよ……」
「レイリアが嫌な思いをしたなら、全然足りないくらいだよ」
即答だった。
しかも本気だった。
セリナがすっと指を立てる。
「では、今回は攻撃役を私が引き受けるわ。アレクは防御をお願い」
「任せて。飛んでくる矢も魔法も全部受け止める」
「爆発系にも対応できる?」
「半径三メートルまでは問題ない」
「頼もしいわね」
二人は、まるで本当に軍議でも始めるかのような真顔でうなずき合う。
「ちょっと待って。なんでそんな流れになってるの」
レイリアが困ったように笑って止めに入るが、兄姉はまるで聞いていない。
「第一目標は王城でいいかしら」
「妥当だと思う。そのあと魔術師団の塔を制圧しよう」
「騎士団本部はどうする?正面から入ると面倒そうだけど」
「そこは私が雷で攪乱するわ。混乱したところをアレクが突破して」
「了解。城門は僕が抑える」
「補給庫も落としておきたいわね。長引くと面倒だもの」
「なら、僕が先に倉庫街まで道を作るよ」
「いいわね。ついでに王都中の広場へ避難経路も確保しておきましょう」
「待って、避難経路を考えてるあたり本気だよね?」
レイリアのつっこみは、やはり誰にも届かなかった。
セリナは指先で空中に見えない地図でも描くように続ける。
「王城制圧後は、例の夜会場も押さえておきたいわ。あそこで好き勝手言っていた連中、まとめて吊るし上げたほうが早いもの」
「うん、名簿がほしいね。誰がどこで何を言ってたか分かれば、優先順位もつけられる」
「私、そこまで求めてないんだけど……?」
「大丈夫よ、レイリア。あなたは何もしなくていいわ」
セリナはにっこりと微笑んだ。
「あなたは安全な場所で、のんびりお茶でも飲んでいてちょうだい。その間に片づけるから」
「そうそう」
アレクも大きくうなずく。
「レイリアは昼寝してていいよ。起きた頃には全部終わってるようにするから」
「なんでそんな『買い物ついでに片づけます』みたいな軽さなの……」
「だって、レイリアが嫌だったって聞いたから」
アレクの返答はあまりにも真っすぐだった。
そこに一切の迷いがないのが、逆に恐ろしい。
セリナも淡々と続ける。
「ええ。妹であるあなたが窮屈な思いをしたと聞かされて、黙っていられるほどできた姉ではないの」
「できてない自覚はあるんだ……」
「もちろんあるわ」
「そこは迷わないんだね……」
さらにアレクまで腕を組み、真面目な顔で言い出す。
「そういえば、王子本人だけじゃなくて、周りでレイリアを笑ってた連中もいたよね」
「いましたねぇ……」
レイリアが遠い目で答えると、セリナの目がすっと細くなる。
「なら、社交界ごと一度黙らせたほうがよさそうね」
「どうやって?」
「簡単よ。舞踏会の最中に照明を全部落として、入口を封鎖して、逃げ場をなくしてから――」
「姉様、発想が怖いって」
「安心して。命までは取りません」
「【までは】って言った」
レイリアが半眼になる横で、アレクも低くうなずく。
「僕は出口で盾を構えてるよ。誰も逃がさない」
「兄様まで参加しないで」
「でも、レイリアにひどいこと言ったんだろう?」
「言ったけど」
「じゃあ駄目だよ」
「なにその基準……」
しかも二人とも、それを本気で当然だと思っている顔をしていた。
セリナはなおも冷静に検討を続ける。
「王城、騎士団本部、魔術師団、社交界の中枢……あとは王家とつながりの深い貴族家を順番に牽制していけば、まあ三日もあれば静かになるかしら」
「三日で済む?」
「急ぐなら二日」
「急がなくていいよ!?」
「じゃあ二日半かな」
「調整の問題じゃないよ!」
レイリアはついに額を押さえた。
笑うしかない。
止めようとしているのに、二人の会話はどんどん具体的になっていく。
しかも、全部【レイリアのため】という前提で進んでいるのだから始末が悪い。
「……二人とも、ほんとに私に甘すぎるよ」
「何を言うの」
セリナが涼しい顔で返す。
「妹なんだから、甘やかされて当然でしょう?」
「そうだよ」
アレクも即答した。
「むしろ足りないくらいだと思ってる」
「足りてるよ!?」
「いや、足りてない」
「兄様が断言することじゃないよ……」
レイリアは額に手を当て、小さくため息をついた。
けれど困ったように笑っているあたり、まんざらでもないらしい。
そんな物騒な兄姉を横目に、レイリアはふと訓練場のほうへ視線を向けた。
剣を振るうゼロスの背中が目に入る。
その背はまっすぐで、無駄がなく、少しもぶれない。
堅物で、面倒そうで、融通も利かなそうな男。
なのに、不思議と目が離れない。
(……堅物だけど、ちゃんと真面目にやってる人って、妙に目に入るんだよねぇ)
理由のはっきりしない、ささやかな引っかかり。
レイリアはそれに気づかないふりをしたまま、小さく欠伸をひとつこぼす。
呆れながらも、ふっと笑う。
そして何気なく、もう一度だけゼロスのほうを見た。
その背中にはどこか懐かしさに似た安心感があった。
(……でも)
うまく言葉にはできない。
ただ少しだけ、見ていて落ち着く。
そんな曖昧な感覚を胸の奥にしまい込みながら、レイリアはそっと目を閉じた。
甲高い金属音。兵士たちの掛け声。舞い上がる砂埃。
その中央で、まっすぐに立ち、無駄のない動きで指導を続ける男、ゼロスは今日も指導に励んでいた。
――そんな緊張感に満ちた空間へ、今日もまたひとつの【異物】が紛れ込んだ。
「わぁ……今日も熱気すごいなぁ……」
のんびりとした声とともに現れたのは、ぐうたら令嬢ことレイリア。
日傘を差し、片手にはお気に入りの桃花茶。
今日も今日とて見事なぐうたらぶりで、日陰のベンチに腰を下ろした。
(……また来たのか、あの女)
訓練の合間、ゼロスの眉がわずかに動く。
もっとも、本人はそんな小さな変化にすら気づいていない。
砂埃の舞う訓練場の隅で、清涼感たっぷりに紅茶をすすっている令嬢。
場違いにもほどがある光景だったが、当の本人はまるで意に介していなかった。
「暑い日に、風通しのいい場所で飲むお茶って最高なんだよねぇ……はぁ……生き返る……」
まるでここが自宅の庭であるかのような態度。
ゼロスはそれを横目で見やりながら、内心で低く吐き捨てる。
(……なんなんだ、あの女は)
訓練を続けながらも、意識の端にあの姿がちらつく。
怠け者。常識知らず。緊張感の欠片もない。
なのに、なぜか目に入る。
それがただ鬱陶しいだけなのか、それとも別の何かなのか――まだゼロス自身にも分からなかった。
▽ ▽ ▽
一方、観客席の高台では、日傘を立てて涼んでいたレイリアのもとへ、兄のアレクと姉のセリナがやって来ていた。
「……レイリア。今日も見物かい?」
「うん。特等席で昼寝するために。兄様たちも訓練?」
「ええ。これからアレクの盾に、思いきり雷魔法を叩き込もうと思って」
「……兄様を殺さないでね、姉様」
「あら、ちゃんと加減はするわよ?」
ふふ、と微笑むセリナに対して、アレクはどこか落ち着かない様子で目を泳がせていた。
どう見ても不安そうなのに、セリナはまったく気づいていない。
その様子が少し可笑しくて、レイリアは兄の腕をぽんぽんと軽く叩いた。
「兄様、がんばって、ふぁいとー」
「うん……レイリアが応援してくれるなら耐える」
「耐える前提なんだ……」
「レイリアの前で無様なところは見せられないからね」
「兄様、そういうとこちょっと重いよ……」
小さく呆れた声を出しながらも、レイリアの口元は少しゆるんでいた。
するとセリナがふと、意味ありげに視線を訓練場のほうへ向ける。
「ふふ、ねぇレイリア。あのゼロスという人、さっきから見ていたでしょう? レイリアとしてはどう思うの?」
セリナが面白がるように尋ねると、レイリアは少しだけ目を瞬かせた。
それから訓練場のほうへ視線を向け、ほんの少し考え込む。
「うーん……どう、って言われても……よくわからない、かな」
その言葉に、アレクの肩がぴくりと揺れた。
「……よく、わからない?」
思わず聞き返した声は、妙にかすれていた。
「なに、兄様」
「いや……だってレイリア、興味のない相手にはもっとはっきりしてるだろう? 【うるさい】とか【眠そう】とか【帰りたい】とか」
「兄様の中の私、雑すぎない?」
「でも外れてはいないわね」
セリナがさらりと同意する。
レイリアはじとっとした目を向けたが、姉はどこ吹く風だった。
「だってほんとによくわからないんだもん。頑固者で、何考えてるか分からない人だし……でも、腕はいいよね。筋が通ってるというか。さすが、最強って言われるだけはあるなって感じ」
「あなたがそう言うなら、そうなのでしょうね」
そう言ってセリナは、やわらかくレイリアの頭を撫でた。
だが、その隣でアレクだけは固まっていた。
「えっ、今、レイリアが他人を評価した?」
「そんな珍しいことみたいに言わないでよ……」
「いや、珍しいよ。かなり珍しいよ」
アレクは真顔のまま、じわじわと青ざめていく。
「しかも【よくわからない】って……それ、少し気になってる相手に使うやつじゃないのか?」
「は?」
レイリアがぽかんとする。
「え、なにそれ。違うけど」
「違うの?」
「違うよ」
「本当に?」
「兄様、なんでそんなに必死なの……」
あまりに真剣な顔をする兄に、レイリアのほうが困惑してしまう。
セリナはそんな二人を見比べて、くすりと笑った。
「あらあら、アレク。そんなに衝撃だったの?」
「だって……」
アレクは本気で傷ついたような顔をしていた。
「レイリアが知らない男のことを【よくわからない】って言いながら考えてるの、なんか……嫌だ」
「兄様?」
「いや、だって今までレイリアって、他人にそこまで興味なさそうだったし……」
「うん、まあ、だいたいは興味ないけど」
「ほら!」
「ほら、じゃないよ」
レイリアが即座に突っ込むと、アレクは胸を押さえた。
「でも【だいたい】ってことは、例外があるってことだろう……?」
「え、そこ拾うの?」
「拾うよ!兄だから!」
なぜか力強く言い切るアレクに、レイリアはますます呆れた顔になる。
セリナはそんな弟を見て、面白そうに口元を隠した。
「大丈夫よ、アレク。まだ【ちょっと気になる】にも届いていないと思うわ」
「まだって言った?」
「姉様?」
「言ってないわよ?」
しれっと微笑むセリナに、アレクはさらに深刻そうな顔になる。
「まだ……ってことは、今後あり得るのか……?」
「兄様、勝手に話を進めないで」
「だってレイリアがあの手の男をちゃんと見てるなんて、今までなかったじゃないか……」
その言い方は、まるで大事にしまっていた何かが勝手に外の世界へ興味を持ち始めたのを見てしまった兄のようだった。
「別に、ちゃんと見てるってほどでもないよ。ただ……ちゃんと動いてるなって思っただけ。見ていて安心するというか、変なごまかしがないというか……」
「ほら! やっぱり結構ちゃんと見てる!」
「兄様うるさい」
レイリアがぴしゃりと言うと、アレクはがっくりとうなだれた。
「どうしよう……レイリアにそういう相手ができる日が来るなんて、まだ百年くらい先だと思ってた……」
「私、兄様の中でどういう存在なの?」
「永遠に家族の真ん中で、昼寝して、たまに甘いもの食べて、平和にしててほしい存在」
「重いよ……」
「兄として当然だよ」
「それ、さっきも聞いた」
今度はセリナがくすりと笑った。
「大丈夫よ、アレク。レイリアはあの堅物とはたぶん合わないもの」
「あー……それは分かる」
少し安心したようにアレクがうなずく。
けれどまだ完全には立ち直っていない顔だ。
「ひどくない?」
「だってあなた、自由に昼寝できない相手とは絶対に無理でしょう?」
「それはそう」
あっさり認めたレイリアに、二人はそろって納得した顔になる。
「でもね、彼、真面目すぎて友達も少ないらしいわよ」
「あー、それは納得……」
「案外、あなたみたいに気を遣わない相手のほうが合うかもしれないわ」
「えー……無理無理。あの堅物じゃ、私とは絶対合わないよ。私は昼寝がしたいし、のんびりしたいし……できれば面倒ごとからも遠ざかっていたいもん」
その答えを聞いて、ようやくアレクは少しだけほっとしたように息をついた。
「……よかった」
「兄様、何に安心してるの」
「いろいろ」
レイリアは日傘をゆるく回しながら、遠くの訓練場をぼんやり眺めた。
「……あの王子の婚約者にされた時から、窮屈な勉強とか作法とかばっかりでさ。戦場以外で、あんなに自由に動けなかったことってなかったし」
レイリアのその一言で、空気がぴたりと止まる。
セリナはレイリアの頭を撫でる手を止め、微笑んだまま静かに口を開いた。
「……やっぱり、あの国は一度きちんと焼いておくべきだったかしら」
穏やかで、上品で、落ち着いた声だった。
だからこそ、言っている内容の物騒さが際立つ。
「今からでも遅くないわね。王城だけでは足りないかしら?社交界ごと消しておいたほうが、むしろ後腐れがないかもしれないわ」
「姉様、物騒すぎるよ……」
レイリアが思わず引き気味に言うと、隣でアレクも真剣な顔で腕を組んだ。
「いや、正直わかる。僕もあの王子がレイリアを見るたび、盾じゃなくて剣を持っていくべきだったかなって思ってた」
「冷静だったじゃん、兄様」
「それは役目が盾だったからだよ。守る側は、簡単に感情を出しちゃ駄目だから」
「兄様も十分こわいよ……」
「レイリアが嫌な思いをしたなら、全然足りないくらいだよ」
即答だった。
しかも本気だった。
セリナがすっと指を立てる。
「では、今回は攻撃役を私が引き受けるわ。アレクは防御をお願い」
「任せて。飛んでくる矢も魔法も全部受け止める」
「爆発系にも対応できる?」
「半径三メートルまでは問題ない」
「頼もしいわね」
二人は、まるで本当に軍議でも始めるかのような真顔でうなずき合う。
「ちょっと待って。なんでそんな流れになってるの」
レイリアが困ったように笑って止めに入るが、兄姉はまるで聞いていない。
「第一目標は王城でいいかしら」
「妥当だと思う。そのあと魔術師団の塔を制圧しよう」
「騎士団本部はどうする?正面から入ると面倒そうだけど」
「そこは私が雷で攪乱するわ。混乱したところをアレクが突破して」
「了解。城門は僕が抑える」
「補給庫も落としておきたいわね。長引くと面倒だもの」
「なら、僕が先に倉庫街まで道を作るよ」
「いいわね。ついでに王都中の広場へ避難経路も確保しておきましょう」
「待って、避難経路を考えてるあたり本気だよね?」
レイリアのつっこみは、やはり誰にも届かなかった。
セリナは指先で空中に見えない地図でも描くように続ける。
「王城制圧後は、例の夜会場も押さえておきたいわ。あそこで好き勝手言っていた連中、まとめて吊るし上げたほうが早いもの」
「うん、名簿がほしいね。誰がどこで何を言ってたか分かれば、優先順位もつけられる」
「私、そこまで求めてないんだけど……?」
「大丈夫よ、レイリア。あなたは何もしなくていいわ」
セリナはにっこりと微笑んだ。
「あなたは安全な場所で、のんびりお茶でも飲んでいてちょうだい。その間に片づけるから」
「そうそう」
アレクも大きくうなずく。
「レイリアは昼寝してていいよ。起きた頃には全部終わってるようにするから」
「なんでそんな『買い物ついでに片づけます』みたいな軽さなの……」
「だって、レイリアが嫌だったって聞いたから」
アレクの返答はあまりにも真っすぐだった。
そこに一切の迷いがないのが、逆に恐ろしい。
セリナも淡々と続ける。
「ええ。妹であるあなたが窮屈な思いをしたと聞かされて、黙っていられるほどできた姉ではないの」
「できてない自覚はあるんだ……」
「もちろんあるわ」
「そこは迷わないんだね……」
さらにアレクまで腕を組み、真面目な顔で言い出す。
「そういえば、王子本人だけじゃなくて、周りでレイリアを笑ってた連中もいたよね」
「いましたねぇ……」
レイリアが遠い目で答えると、セリナの目がすっと細くなる。
「なら、社交界ごと一度黙らせたほうがよさそうね」
「どうやって?」
「簡単よ。舞踏会の最中に照明を全部落として、入口を封鎖して、逃げ場をなくしてから――」
「姉様、発想が怖いって」
「安心して。命までは取りません」
「【までは】って言った」
レイリアが半眼になる横で、アレクも低くうなずく。
「僕は出口で盾を構えてるよ。誰も逃がさない」
「兄様まで参加しないで」
「でも、レイリアにひどいこと言ったんだろう?」
「言ったけど」
「じゃあ駄目だよ」
「なにその基準……」
しかも二人とも、それを本気で当然だと思っている顔をしていた。
セリナはなおも冷静に検討を続ける。
「王城、騎士団本部、魔術師団、社交界の中枢……あとは王家とつながりの深い貴族家を順番に牽制していけば、まあ三日もあれば静かになるかしら」
「三日で済む?」
「急ぐなら二日」
「急がなくていいよ!?」
「じゃあ二日半かな」
「調整の問題じゃないよ!」
レイリアはついに額を押さえた。
笑うしかない。
止めようとしているのに、二人の会話はどんどん具体的になっていく。
しかも、全部【レイリアのため】という前提で進んでいるのだから始末が悪い。
「……二人とも、ほんとに私に甘すぎるよ」
「何を言うの」
セリナが涼しい顔で返す。
「妹なんだから、甘やかされて当然でしょう?」
「そうだよ」
アレクも即答した。
「むしろ足りないくらいだと思ってる」
「足りてるよ!?」
「いや、足りてない」
「兄様が断言することじゃないよ……」
レイリアは額に手を当て、小さくため息をついた。
けれど困ったように笑っているあたり、まんざらでもないらしい。
そんな物騒な兄姉を横目に、レイリアはふと訓練場のほうへ視線を向けた。
剣を振るうゼロスの背中が目に入る。
その背はまっすぐで、無駄がなく、少しもぶれない。
堅物で、面倒そうで、融通も利かなそうな男。
なのに、不思議と目が離れない。
(……堅物だけど、ちゃんと真面目にやってる人って、妙に目に入るんだよねぇ)
理由のはっきりしない、ささやかな引っかかり。
レイリアはそれに気づかないふりをしたまま、小さく欠伸をひとつこぼす。
呆れながらも、ふっと笑う。
そして何気なく、もう一度だけゼロスのほうを見た。
その背中にはどこか懐かしさに似た安心感があった。
(……でも)
うまく言葉にはできない。
ただ少しだけ、見ていて落ち着く。
そんな曖昧な感覚を胸の奥にしまい込みながら、レイリアはそっと目を閉じた。