世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。
第12話 辺境の悲鳴、王都に届く
アルディナ王国――王都フィル=カーネの空は、冬を越えたばかりの薄曇りに覆われていた。
だが、その雲よりもなお重く、灰色の報せが王城の石壁を揺らし始めている。
「……またですか」
王城の作戦室。
地図の上には、いくつもの急報が重なるように置かれていた。
カティア・エルヴァーンは、そのうちの一通を静かに手に取る。
上質な羊皮紙には、淡い血痕と泥の染みがこびりついていた。
「ええ……東辺境のエステル村です。夜間、突如として魔物の集団が現れ、村はほぼ壊滅状態とのこと」
報告しているのは、若い参謀官だった。
疲労の色を隠せない顔で、しかし気丈に言葉を続ける。
「村を包囲していたのは、少なくとも三十体以上の中型級魔獣。しかも、ただ押し寄せただけではありません。まるで陣形を組んでいたかのような動きだったと……」
その言葉に、室内の空気がわずかに張りつめた。
「陣形?まさか、魔物が集団で動いていたというの?」
別の将校が眉をひそめて問い返す。
参謀官は重く頷いた。
「はい。突入口を一か所に限定し、周囲には見張りと伏兵を配置。斥候も潰されています。どれも人間の軍と変わりません。自然発生的な暴走とは考えにくいかと」
机上の地図には、赤い印がいくつも重なっていた。
襲撃された村々は、どれも王都へ続く道筋に沿って点在している。
まるで何者かが、意図して王国を包囲しようとしているかのように。
「これは偶然ではないわね」
カティアが静かに言った。
「……組織化された魔の侵攻、ということですか」
その一言で、室内の空気がさらに冷えた。
その時、扉の開く音とともに、重い足音が響く。
「どうやら……楽はさせてくれんようだな」
入ってきたのは、グレイスだった。
カティアのそばまで歩み寄ると、報告書には目もくれず、地図を鋭く睨みつける。
「村の襲撃が連続していて、しかもすべて同じ方向に伸びている……敵は【道】を開いているな。王都までの」
「まさか、本当に王都を狙って……?」
「十分あり得る。寧ろ今までここまで来なかったことのほうが幸運だったくらいだ」
グレイスの低く唸るような声に、参謀たちは黙り込んだ。
普段は豪快に笑うこの男が、冗談ひとつ交えず戦になると断じたのだ。
それだけで、言葉には十分すぎる重みがあった。
カティアは、指先で紅茶のカップをそっと傾ける。
「……では、備える必要がありそうね。戦の火は、遠からずこちらにも降るでしょう」
静かに紅茶をひと口含みながら、彼女は淡く微笑んだ。
その隣で、グレイスが重い息を吐く。
「ふむ……となると、うちの子供たちにも、そろそろ一仕事してもらわんとな」
その言葉に、カティアはふっと笑った。
「ええ、そうね。セリナはきっと、もう地図を広げて戦略を考えている頃だわ。リヴィアは新しい矢じりを試したくて、うずうずしているでしょうし」
「アレクは相変わらず、『姉たちや妹が危ないから僕が先に出ます』とか言い出すだろうな……あいつ、たまに心配性が過ぎる」
「あなたに似たのよ。真面目で、お人好しで、無駄に頑丈なところが」
「それを言うなら、セリナの冷静さはお前譲りだろう。雷を落とす前に言葉で相手を黙らせるところまで、そっくりだ」
「まあ、そうね。リヴィアの妙に勘のいいところはあなたからかしら。肝心なところでふざけるところまで含めて」
「なんだ、その評価は」
皮肉を交えたやり取りでありながら、その言葉の端々には子どもたちへの誇りと信頼が滲んでいた
けれど、次の話題になると、二人の声にはわずかに違う重みが宿る。
「……問題は、レイリアね」
カティアの目が、少しだけ細められた。
「一番の戦力でありながら、一番の気分屋。やると決めたら誰にも止められないけれど、動かすには理由がいるわ」
グレイスは腕を組み、苦笑混じりに息をつく。
「理由なんざいらんさ。あいつは、誰かが困っていると知った瞬間に出ていく。そういう子だ」
「ええ、そうね。でも最近のあの子、少し静かでしょう? 王国を離れて、ようやく心が休まってきたのかもしれないわ。向こうでは、きっと無理をさせすぎていたもの」
「だからこそ悩むんだ。休ませてやりたいのに、戦場のほうがあの子を呼ぶ」
グレイスの大きな手が、無意識に拳を握る。
戦士としての本能が告げている。
これから始まる戦には、あの娘の力が必要になるのだと。
そんな夫を見て、カティアはやわらかく笑った。
「でも、大丈夫よ。あの子は強いもの。誰よりも、自分の意思で立てる子だわ」
「……ああ。あの子が決めたなら、もう誰にも止められん」
「私ですら止められなかったのよ?あなたが止められるとでも?」
「無理だな……お前だって前に『あの子には敵わないわね』って言ってただろう」
「ふふ……言ったかしら?」
カティアはカップを置き、静かに椅子から立ち上がる。
そして曇り空を映した窓の外を見つめながら、そっと言葉を継いだ。
「その前に、あの子――レイリアは昼寝から起きるかしら?」
「さあな。最近は枕にこだわっているらしい。まさか、あの【昼寝セット】が戦支度より重装備になるとは思わなかった」
夫婦は顔を見合わせ、思わず同時に笑った。
その笑みの奥にあるのは、深い愛情と、揺るがない信頼。
嵐の前のような空の下でなお、それは確かにあたたかくそこにあった。
だが、その雲よりもなお重く、灰色の報せが王城の石壁を揺らし始めている。
「……またですか」
王城の作戦室。
地図の上には、いくつもの急報が重なるように置かれていた。
カティア・エルヴァーンは、そのうちの一通を静かに手に取る。
上質な羊皮紙には、淡い血痕と泥の染みがこびりついていた。
「ええ……東辺境のエステル村です。夜間、突如として魔物の集団が現れ、村はほぼ壊滅状態とのこと」
報告しているのは、若い参謀官だった。
疲労の色を隠せない顔で、しかし気丈に言葉を続ける。
「村を包囲していたのは、少なくとも三十体以上の中型級魔獣。しかも、ただ押し寄せただけではありません。まるで陣形を組んでいたかのような動きだったと……」
その言葉に、室内の空気がわずかに張りつめた。
「陣形?まさか、魔物が集団で動いていたというの?」
別の将校が眉をひそめて問い返す。
参謀官は重く頷いた。
「はい。突入口を一か所に限定し、周囲には見張りと伏兵を配置。斥候も潰されています。どれも人間の軍と変わりません。自然発生的な暴走とは考えにくいかと」
机上の地図には、赤い印がいくつも重なっていた。
襲撃された村々は、どれも王都へ続く道筋に沿って点在している。
まるで何者かが、意図して王国を包囲しようとしているかのように。
「これは偶然ではないわね」
カティアが静かに言った。
「……組織化された魔の侵攻、ということですか」
その一言で、室内の空気がさらに冷えた。
その時、扉の開く音とともに、重い足音が響く。
「どうやら……楽はさせてくれんようだな」
入ってきたのは、グレイスだった。
カティアのそばまで歩み寄ると、報告書には目もくれず、地図を鋭く睨みつける。
「村の襲撃が連続していて、しかもすべて同じ方向に伸びている……敵は【道】を開いているな。王都までの」
「まさか、本当に王都を狙って……?」
「十分あり得る。寧ろ今までここまで来なかったことのほうが幸運だったくらいだ」
グレイスの低く唸るような声に、参謀たちは黙り込んだ。
普段は豪快に笑うこの男が、冗談ひとつ交えず戦になると断じたのだ。
それだけで、言葉には十分すぎる重みがあった。
カティアは、指先で紅茶のカップをそっと傾ける。
「……では、備える必要がありそうね。戦の火は、遠からずこちらにも降るでしょう」
静かに紅茶をひと口含みながら、彼女は淡く微笑んだ。
その隣で、グレイスが重い息を吐く。
「ふむ……となると、うちの子供たちにも、そろそろ一仕事してもらわんとな」
その言葉に、カティアはふっと笑った。
「ええ、そうね。セリナはきっと、もう地図を広げて戦略を考えている頃だわ。リヴィアは新しい矢じりを試したくて、うずうずしているでしょうし」
「アレクは相変わらず、『姉たちや妹が危ないから僕が先に出ます』とか言い出すだろうな……あいつ、たまに心配性が過ぎる」
「あなたに似たのよ。真面目で、お人好しで、無駄に頑丈なところが」
「それを言うなら、セリナの冷静さはお前譲りだろう。雷を落とす前に言葉で相手を黙らせるところまで、そっくりだ」
「まあ、そうね。リヴィアの妙に勘のいいところはあなたからかしら。肝心なところでふざけるところまで含めて」
「なんだ、その評価は」
皮肉を交えたやり取りでありながら、その言葉の端々には子どもたちへの誇りと信頼が滲んでいた
けれど、次の話題になると、二人の声にはわずかに違う重みが宿る。
「……問題は、レイリアね」
カティアの目が、少しだけ細められた。
「一番の戦力でありながら、一番の気分屋。やると決めたら誰にも止められないけれど、動かすには理由がいるわ」
グレイスは腕を組み、苦笑混じりに息をつく。
「理由なんざいらんさ。あいつは、誰かが困っていると知った瞬間に出ていく。そういう子だ」
「ええ、そうね。でも最近のあの子、少し静かでしょう? 王国を離れて、ようやく心が休まってきたのかもしれないわ。向こうでは、きっと無理をさせすぎていたもの」
「だからこそ悩むんだ。休ませてやりたいのに、戦場のほうがあの子を呼ぶ」
グレイスの大きな手が、無意識に拳を握る。
戦士としての本能が告げている。
これから始まる戦には、あの娘の力が必要になるのだと。
そんな夫を見て、カティアはやわらかく笑った。
「でも、大丈夫よ。あの子は強いもの。誰よりも、自分の意思で立てる子だわ」
「……ああ。あの子が決めたなら、もう誰にも止められん」
「私ですら止められなかったのよ?あなたが止められるとでも?」
「無理だな……お前だって前に『あの子には敵わないわね』って言ってただろう」
「ふふ……言ったかしら?」
カティアはカップを置き、静かに椅子から立ち上がる。
そして曇り空を映した窓の外を見つめながら、そっと言葉を継いだ。
「その前に、あの子――レイリアは昼寝から起きるかしら?」
「さあな。最近は枕にこだわっているらしい。まさか、あの【昼寝セット】が戦支度より重装備になるとは思わなかった」
夫婦は顔を見合わせ、思わず同時に笑った。
その笑みの奥にあるのは、深い愛情と、揺るがない信頼。
嵐の前のような空の下でなお、それは確かにあたたかくそこにあった。