世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。

第13話 出撃命令、最前線へ

 アルディナ王国北端、グラノ砦。
 嘗ては物資の中継点として使われていたその砦も、今では魔物の襲撃に備える最前線となっていた。

 訓練場からは怒声と金属音が絶えず響く。
 兵士たちは急ぎ足で陣形の確認を行い、指揮官の声に従って慌ただしく駆け回っていた。

「……本当に、魔物が来るのか?」
「来るどころか、もうすぐ目の前に現れるさ。ここが落ちれば次は王都だ」

 ひそひそと交わされる兵士たちの言葉には、不安と緊張が色濃くにじんでいる。
 その中央で、無言のまま地図を睨み、的確に指示を飛ばしていたのはゼロスだった。
 彼が静かに息を吐いたそんな時。

「――お疲れさまです。補給班より書類の確認を。それと、志願兵が一名到着しております」
「……志願兵?」

 ゼロスが眉をひそめた直後、姿を現したのは予想外の人物だった。

「こんにちはー。あ、やっぱりこっちのほうが空気きれいですね。気持ちいい」

 ゆるりと歩いてくるその姿は、どう見ても戦場向きではない。
 ゆるく結ばれた髪、眠たげな目元。
 それでいて、どこか気品を感じさせる容姿と佇まい。

「ええと……レイリア・エルヴァーンです。今日からお世話になります」

 その瞬間、兵士たちのあいだにざわめきが走った。

「え、侯爵令嬢……?」
「もしかして、噂の【ぐうたら令嬢】か?」
「どうしてこんなところに……まさか本当に戦うつもりじゃないよな?」

 そんな空気の中、ゼロスの表情がわずかに硬くなる。
 彼女がここにいること自体、理解できなかった。

「……なぜ、あなたが戦場に出るのですか」

 問いかける声は低く、真剣だった。
 ふざけていると思っているわけではない。
 ただ、納得できなかったのだ。
 怠惰にしか見えなかったこの令嬢が、死地に足を踏み入れようとしていることが。
 レイリアは立ち止まり、少し面倒そうに首を傾げた。

「……別に。あなたには関係ないじゃないですか?」

 その返しに、ゼロスの眉がぴくりと動く。

「あります。ここは命を懸ける場です。遊びや見物のつもりで来られては困る」

 空気が、ぴんと張る。
 周囲の兵士たちも、固唾をのんで二人のやり取りを見守っていた。
 だがレイリアは、そんな空気など気にした様子もなく、ふわりと笑った。

「大丈夫ですよ。私、戦えるので」
「そのようには見えませんが」

 間髪入れず返された一言に、今度はレイリアの目がわずかに細まる。

「……ずいぶん失礼ですね、ゼロス様」
「事実を確認しているだけです。あなたのような方を前線に立たせて、守りながら戦えと言われても困る」
「守る?」

 レイリアは小さく首を傾げたあと、少しだけ口元をゆるめた。
 だが、その笑みはどこか薄い。

「それ、誰のこと言ってるんですか?」
「あなたのことです」
「へえ」

 ふっと息をつくように笑ってから、レイリアはぼそりと続ける。

「……私、あなたが思ってるほど、か弱くないですよ」
「では、どれほどだと?」

 その声音は静かだったが、挑むような響きが混じっていた。
 レイリアもまた、眠たげな目の奥にわずかな棘を宿して答える。

「たぶん、あなたが想像してるより、ずっと」

 レイリアは静かに笑いながら答えると、一瞬だけ沈黙が落ちる。

 その言葉には、はったりとも虚勢とも違う響きがあった。
 だからこそ、ゼロスは返す言葉をわずかに失う。
 だが、その空気を断ち切るように、新たな報告が砦内へ飛び込んできた。

「報告します!南方の森にて、魔物の大規模集結を確認!偵察隊からの緊急報告です!」

 緊迫した声が砦中に響き渡る。
 血相を変えた兵士が駆け込んできたことで、場の空気が一変した。

「数は?」
「確認されているだけで中型魔獣が二十体以上。それに――」

 兵士は一瞬、言葉を詰まらせる。
 紙に視線を落とし、再び顔を上げたとき、その表情には明らかな戸惑いが浮かんでいた。

「その中に……他の個体とは明らかに異なる魔力反応が一体。形状は不明瞭ですが、人型に近い姿との報告です」

 その言葉に、周囲のざわめきが大きくなる。
 ただの群れではなく――それを察した者たちが、思わず息をのむ。

「……人型の魔物、だと?」

 低くつぶやいたのはゼロスだった。
 眉間の皺が深くなる。
 魔物は本来、獣の姿を取り、本能のまま暴れる。
 だが、人に似た形を持つ個体は別だ。
 知能が高く、戦術を用い、ときに人語すら操る。

「出撃準備。全隊、第三陣形で防衛を優先しつつ南へ展開――」

 ゼロスが矢継ぎ早に指示を飛ばす。
 兵士たちは緊迫した表情で一斉に動き始めた。
 その中で、レイリアの目がわずかに細くなる。

「……人型の魔物。まさか、ね」

 ぼそりと漏れた声は小さかったが、妙に重かった。
 指示を出すゼロスの少し後ろで、彼女はあくびをひとつこぼしながら空を見上げている。
 砦を出ていく兵士たちが、ちらちらとレイリアのほうを振り返った。

「本当に来るのか、あの令嬢……」
「冗談で志願されたらたまったもんじゃないぞ」
「ゼロス様も、なんで同行を許したんだ……」

 そんなさざめきを、ゼロスは黙って聞いていた。
 やがて地図を閉じると、ゆっくりとレイリアのほうへ向き直る。
 少しだけ距離を詰めた位置で、彼は言った。

「……本当に、ついて来られるのですか」

 怒りも皮肉もない声。ただ、確認しておきたかった。
 目の前にいるのは侯爵令嬢で、ただの普通の一人の少女だ。
 か細く見えるその姿が、この先の戦場に立てるのかどうか。
 レイリアはその問いに、数秒だけ目を瞬かせたあと、肩をすくめる。

「ゼロス様って、そんなに私のこと気になるんですか?」
「話を逸らさないでください」
「逸らしてませんよ」

 レイリアは少しだけ笑う。
 その顔はいつもどおり気の抜けたものだったが、言葉だけは妙に真っ直ぐだった。

「心配してくれるのは、ありがとう。でも、いりません」
「――」
「私は戦えます。あなたが思ってるよりずっと。だから、私の心配をするより、自分のことに集中したほうがいいですよ」

 柔らかな声音。
 けれど、言っていることはずいぶん刺々しい。
 ゼロスは思わず目を細めた。

「随分な自信ですね」
「自信じゃなくて、事実です」

 あっさりと返される。
 そこに傲慢さはなかった。
 ただ、揺るがない事実を述べているだけのような、不思議な響きがあった。

「――だから、私のことは気にしないで。あなたはあなたの力を使えばいい」

 そこでレイリアは少し考えるように首を傾げ、続けた。

「私は……そうだな。暇つぶし、くらいに思ってくれれば十分です」

 その言葉に、ゼロスの表情が一瞬固まる。

 戦場を、命のやり取りが行われるこの場を――暇つぶしだと。
 本来なら、怒るべきところだった。
 だが不思議と、苛立ちより先に胸の奥をざわつかせる感覚があった。
 何かがおかしい。
 この女は、ただの令嬢ではない。
 その予感だけが、確かにそこにあった。
 そのとき、砦の外で角笛が鳴り響く。

「第一部隊、出撃準備完了!第二部隊、南門より追随!」

 砦全体が大きく動き出す。
 ゼロスは再び前を向き、槍を強く握りしめた。

「……では、始めましょう」

 その横で、レイリアは小さく笑いながら並び立つ。

「うん。あ、でも……帰ったらお昼寝の時間、もらえるかな?」
「……勝てば、好きにするといいですよ」
「わあ。それなら、ちょっと頑張れるかも」

 そんな軽口が交わされる中、砦の門が重々しく開かれた。
 兵たちの足音。馬のいななき。甲冑のきしむ音。
 戦の気配が、一斉に押し寄せる。

 そしてその中で、一人の【怠け者】が静かに戦場へ足を踏み入れる。

 ――このとき、ゼロスはまだ知らない。この少女が、まもなく戦場そのものを塗り替える存在だということを。
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