世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。

第14話 正体、戦場で暴かれる

 空気が、重かった。
 草木のざわめきひとつさえも飲み込まれるほどの、圧倒的な魔の気配。
 ゼロスは魔物の群れを見て一瞬絶望してしまうぐらい、弱気になりかけてしまった。
 それは、予想を遥かに上回る数だった。
 木々を押し分けて現れた魔獣たちの咆哮に、前線の兵士たちが次々と顔を強張らせる。

「後列、崩れかけています! 囲まれました!」
「っ……退路が……!」

 悲鳴混じりの声が飛び交い、陣形はみるみるうちに崩壊していく。
 ゼロスは歯を食いしばりながら、魔槍(アズレア)を構えた。
 蒼く光る槍の穂先が、唸りを上げる。

「第三隊、左翼を援護!耐えきれなければ中央が……!」

 しかし、その声が届く前に、またひとつ、魔獣の巨体が兵士を跳ね飛ば、同時に血が舞い、叫びが響き――まさに地獄と言って良いのかもしれない。
 そんな中で一人だけ、静かに佇む影があった。
 フードを深く被り、いつものようにどこか眠たげな佇まい。それでも彼女はその場で立ち止まらず、前を見据えて言った。

「――ゼロス様」

 呼ばれて、思わずゼロスは振り返る。

「私が道を作ります……だから正面突破で行きましょう」
「は……?」

 突然のレイリアの発言に、意味が分からなかった。
 今この場で、前線に出るなど、狂気の沙汰だ。

「待ってくれレイリア様、今は前に出ては――!」
「よいしょっと……」

 止める間もなく、彼女は地を蹴った。
 まるで風が駆け抜けるような速度で、フードの女は戦場のただ中へ躍り出る。

「ま――待てっ、レイリア様っ!!」

 ゼロスが手を伸ばしたときには、もう彼女の姿は戦場の奥へと消えていた直後

 ――ドゴォォン!

 とてつもない破壊音が、大地を揺るがせた。
 前線中央。巨体の魔物が、まるで紙くずのように宙を舞い、砕け散る。
 その破壊の中心にいたのは――レイリアだった。
 フードが、風にめくられる。
 その下から現れたのは、いつもと変わらぬ、のんびりとした表情。しかしその目は、凛と、鋭く、そしてまっすぐに敵だけを見据えていた。

「おーい、こっちですよー通らせてくださーい」

 ゆるい声と同時に、拳が振るわれる。

「すうーっ」

 息を静かに吐き、そして彼女は続ける。

 ――ズドン!!

 また一つ、魔物が粉砕され、その肉体は骨ごと砕け、地に伏すことすら叶わない。

「な、なんだあれ……!」
「拳だけで魔物を……?」
「バケモン……いや、違う!あれは、あれはまさか――!」

 兵士たちの目に、彼女の姿が重なる。
 嘗て噂でしか語られなかった、あの存在と。

「【拳姫】だ!」
「あの人が【拳姫】……!?」

 戦場が、揺れる――絶望に支配されていた空気が、熱に変わる。
 ゼロスはその中心で、動けなくなっていた――目の前の光景が、信じられなかったからだ。
 彼女(ぐうたら令嬢)が拳ひとつで魔物の軍勢を切り裂く。
 兵たちが死を覚悟した戦場で、彼女(レイリア)だけが【無傷】で戦場を駆ける。

「……レイリア様、あなたまさか――」

 ようやく絞り出した声は、かすれていた。

「あなたが【拳姫】なのですか……?」

 レイリアはふと振り返る。
 そして彼女は無邪気に口元を緩めて、こう返した。

「あーあ。やっぱり、バレちゃいました?」

 その一言で、ゼロスは完全に言葉を失った。

 まさか、あの【怠け者】が。
 ずっと、見下されていた侯爵令嬢が。
 こんなにも――圧倒的な【力】を隠していたなどと。
 しかし、そんな考えをしている場合ではなく、何かを言おうとしたその時、空気が一瞬にして変わった。

 森の奥――戦場の向こうから、一際強い魔力が現れる。
 その場にいた全員が、凍りついたようにその気配を感じた。

 ――ズ、ズズ……

 黒い霧を纏い、音もなく現れた人影。
 その姿は人間に酷似しているがその瞳だけが異様に光っていた。
 頭には本の黒い角をはやした、紛れもない【人間】ではない存在。

 戦場に、異質な気配が満ちた。

 黒い霧が立ち上り、それがひとつの“人影”を形づくる。

 長身の男が姿を現す。
 漆黒の鎧を纏い、爪のように鋭く変化した指先は地を這うように揺れている。
 その存在だけで、周囲の空気が凍りついた。

「――やっとだ。やっと、お前に会えた」

 声は低く乾いている。どこか飽きたようで、それでいて底知れぬ喜びを滲ませる不気味な声音。

 それが人型の魔物――【魔族】。

 通常の魔物とはまったく異なる存在。
 高い知性と言語を持ち、魔力を自在に操り人間社会への深い憎悪を胸に生きる。
 彼らは魔物の【上位存在】であり、戦場でただの兵を圧倒する【個】の力を持つ。
 その中でも、目の前の男は特に異質だった。

「久しぶりだな【拳姫(レイリア)】……半年ぶり、だったか?」

 レイリアは、表情をわずかに曇らせた。
 やれやれ、と肩をすくめるように息をつき、拳を軽く握り直す。

「……っち。やっぱりお前だったか。見たことあると思ったんだよね」

 その反応に、魔族の男は口の端を持ち上げる。

「クク、覚えていてくれて光栄だ」
「忘れるわけないでしょ。あの時もあんたが村を滅茶苦茶にしたんだから」
「滅茶苦茶にしたのは人間だ。俺は、ただその【後始末】をしただけだよ」

 男は笑いながら、ゆっくりと前へと歩み出る。
 その足元に魔力の奔流が生まれ、地面にひびが走る。

「なぁ、今回はどうだ?前は手加減してただろう?」
「してないよ。あの時は本気だったけど寝起きだったから、パフォーマンスがちょっと悪かっただけ」
「ふふ……そういうところ、変わらないな」

 ふと、男の目が細まる。

「でも、今回のお前は……少し、違う気がするな?何かあったのか?」
「うん、多分……ちょっとだけイライラしてるかも」
「なぜだ?」
「そうだね、君たちに昼寝の邪魔されたから……ねぇ、聞いても良い?」
「いいだろう、お前の頼みなら」

「――()()()()()()()()()()

 真顔でそう告げるレイリアに魔族の男は静かに笑った後、そして吹き出した。

「くくっ……お前、本当に面白いな。《拳姫》。そして先ほどの質問だが答える義理はない。お前は俺の敵だからな」
「面白くて悪かったね……そうだね、姉さま(セリナ)が心配だから早く終わらせよう」

 その声色は、いつになく静かで――鋭い。
 同時に彼女の言葉の意味に、ゼロスは理解が出来なかった。

「すーっ……あ、ゼロス様」
「っ……な、なんだ?」
「ここから先、あなた達を守って戦う事が出来ない。だから自分の身は自分で守ってほしい」
「それぐらい俺たちでも出来るが……レイリア様、大丈夫なのか?」
「うん」
 
 レイリアの足元から風が舞い上がる。
 小柄な身体に収まらないほどの魔力と気迫が、空気ごと震わせた。
 そして、ゼロスに対してピースサインをした後、笑って答えた。

「だいじょーぶだから」

 レイリアがそのように言った瞬間、地面が鳴る。空気が裂ける。
 彼女の右拳が、ゆっくりと握られた瞬間、世界が静まり返った。
 ゼロスを含む討伐隊全員が、その【気配】に息を飲む。

「さて、話は終わったか?俺の【拳姫】……その拳、また見せてくれるんだろ?」

「私、お前のモノじゃないよ?しょうがないなぁ……じゃあ、一発だけ、サービスしてあげる」

 レイリアが一歩、前へ出る。
 魔族の男も、応じるように笑みを深める。
 次の瞬間、二人の拳のぶつかり合いがスタートした。
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