世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。

第15話 激突

 ――衝突は、一瞬だった。

 レイリアが踏み出すと同時に、魔族の男も地を蹴る。
 互いに一切の躊躇なく、一直線に距離を詰めた。
 そして――拳と拳が、正面からぶつかる。

 ――ドンッ!!

 雷鳴にも似た衝撃音が炸裂し、空気が爆ぜた。
 衝突点から放射状に衝撃波が広がり、周囲の木々が根元から揺れ、地面が大きくえぐれる。

「――っ!」

 ゼロスは思わず一歩後退した。
 魔槍(アズレア)を握る腕がびりびりと痺れる。

(拳、だと……?武器も魔法も使わず、ただの打撃で……!?)

 視界の先では、二つの影が弾かれるように後退していた。
 レイリアは着地と同時に地面を踏みしめ、すぐさま再び前へ。
 対する魔族の男も、喉を鳴らしながら楽しげに笑う。

「ははっ……ははははは! いい……やっぱりいいな、その拳!」

 男が腕を振るう。
 それだけで圧縮された魔力が刃となって地面を抉った。
 レイリアはそれを紙一重でかわす。

「相変わらずうるさいなぁ……静かに殴らせてくれない?」

 気の抜けた口調とは裏腹に、動きは鋭い。
 一歩踏み込み、腰を捻り、体重を乗せた一撃を叩き込む。

 ――ゴォンッ!!

 拳が、魔族の腹部を正面から捉えた。

「ぐ……っ!」

 男の身体が宙を舞い、数十メートル先の岩壁へ叩きつけられる。
 岩が砕け、粉塵が高く舞い上がった。
 兵士たちのあいだから、息を呑む音が漏れる。

「……冗談だろ……」
「魔族を……殴り飛ばした……?」

 だが――粉塵の中から、男は何事もなかったかのように立ち上がる。
 服についた土を軽く払う仕草さえ、どこか愉快そうだった。

「はは……効く、効くなぁ……!だが、まだだ」

 その瞬間、男の背後に黒い魔力の輪がいくつも展開された。
 そこから複数の魔力弾が、ほとんど同時に生成される。

「っ……!」

 レイリアは一瞬だけ眉をひそめた。

(……あ、これ)

 以前より――魔力量が増えている。
 だが、その認識がほんのわずかに遅れた。

「来い、《拳姫》!」

 魔力弾が一斉に放たれる。
 レイリアは身をひねりながら回避し、そのまま二発、三発を拳で叩き割った。
 しかし四発目、死角から放たれた魔力刃が彼女の脇腹をかすめる。

「あ、まず――っ!」

 鮮血が宙に散った。

「レイリア様!!」

 ゼロスの叫びが響く。
 レイリアはそのまま着地するが、わずかに体勢を崩し、片膝をついた。

(……あー……やっちゃった)

 油断した――一人だと思い込んでいたことも、判断を鈍らせたのかもしれない。
 膝をついたレイリアへ、魔族の男がゆっくり歩み寄る。
 その表情は楽しげでありながら、どこか獲物を眺めるようでもあった。

「おいおい……どうした、拳姫」

 男は愉快そうに笑う。

「昔より、詰めが甘いぞ?」

 その言葉に、レイリアは顔を上げる。
 口元に血をにじませながら、それでもにやりと笑った。

「……ねえ」
「なんだ?」

 レイリアは立ち上がりながら、小さく息を吐く。

「もう一人は、どこにいるの?」

 一瞬だけ――男の瞳が揺れた。
 それを見逃さず、レイリアは確信する。

(……やっぱり、いる)

 男はすぐに笑みを取り戻した。

「さあな。どうだろうな?」

 その曖昧な返答こそが、答えだった。
 場の空気が再び張り詰める。
 レイリアは口元の血をぬぐい、拳を握り直した。
 その姿を見て、ゼロスは歯を食いしばる。

(……俺は、まだ届かない)

 魔槍(アズレア)を握る手に、力がこもる。

(だが――)

 視線の先で、レイリアはゆっくりと笑った。

「……まぁ、いいや。倒す相手が増えるだけだし」

 その言葉とともに、再び地面が震える。
 彼女が拳を握り直したその瞬間、空間そのものがわずかに揺らいだ。
 ひときわ冷たい風が吹き抜ける。
 空気に魔力のざわめきが走る。
 まるで夜霧のように淡く、けれど確かな気配がそこに現れた。

「……やれやれ。やはり見つかってしまいましたか」

 声は静かだった――戦場の混沌の中にあってなお、澄んだ水面のように耳へ届く。
 現れたのは、一人の青年――否、魔族。
 ラグザールと瓜二つの容姿を持ちながら、兄とは違って漆黒のローブをまとい、手には細長い魔導書を携えている。

「【拳姫】様、お久しぶりです。約一年ぶりでしょうか?」

 礼儀正しく、穏やかですらある声音。
 だがレイリアは即座に構えを取った。

「根暗魔族……やっぱりあんたもいたんだ」
「根暗ではありませんよ……まあ、兄上の付き添いとして来ただけです。ですが、姿を現した途端に拳を構えられるとは。ひどいですね」
「うん。ひどくて悪かったね。でも――」

 レイリアの右手に、びり、と雷光が走る。
 雷属性の魔力が拳へ集中し、青白い稲妻が彼女の身体を淡く包み込んだ。

「……会ったらぶん殴るって決めてたんだよ。いい加減、うちの姉様に付きまとうのやめてくれる? 好きだからって執着がひどすぎるんだけど」

 ゼイディスの表情が、わずかに引きつった。

「……相変わらず脳筋ですね。あと、そんなのあなたには関係ないでしょう」
「そう。じゃあ、大好きなパンチで黙らせるね」
「え――」

 ゼイディスが詠唱を始めようとした、その瞬間だった。

「雷ぱーんち!」

 ――ドォオオンッ!!!

 雷鳴とともに放たれた拳が、大気を切り裂く。
 防御魔法陣ごとゼイディスの脇腹を貫き、彼の身体を凄まじい勢いで吹き飛ばした。

「がふっ――!?」

 空中で何度も回転しながら木々をなぎ倒し、最後は遠くの岩に叩きつけられて動きを止める。

「「「「「ええええええっ!?」」」」」

 周囲の兵士たちは、あまりにも軽い調子で魔族を殴り飛ばしたレイリアを見て、叫ぶことしかできなかった。
 そして吹き飛ばされたゼイディスは、岩の割れ目に半ば埋まりながら掠れた声でつぶやく。

「……あー……兄さま……やはり私は、前に出るべきではなかったのでは……」

 その様子に、ラグザールはなんとも言えない顔で鼻を鳴らしたあと、ついに吹き出した。

「……ぷっ、くはっ……ははっ……!」

 肩を揺らして笑い出す。

「はっははっ! おいおい、まじかよ……! 弟がワンパンで吹き飛ばされやがった!」

 笑っている。
 だがその瞳には、まるで油断がなかった。

「やっぱり、あのときよりずっと強くなってるな、お前。……それに、なんだ今の拳。初めて見たぞ」

 レイリアは額に汗をにじませながらも、口元に笑みを浮かべる。

「次にあの根暗男に会ったときに殴ろうと思って、雷の魔術を引き出す魔石の指輪を作ってもらって、練習しただけ」
「ははっ……理由が物騒すぎるだろ」
「それに――」

 レイリアは小さく息を吐いた。

「昼寝の時間を削られた分だけ、私は怒ってるの」

 再び拳に雷光が宿る。
 その青白い光が、戦場を鋭く照らした。
 だが、その瞬間だった。
 ラグザールの姿が、ふっと掻き消える。

「――っ!」

 レイリアが反応するよりも早く、黒い影が懐へ滑り込んだ。
 次の瞬間、ラグザールの腕が彼女の身体を引き寄せる。

「な――」

 ぐい、と首筋を引き寄せられた直後。
 ラグザールは獣じみた速さで、レイリアの首元へ深く噛みついた。

「っ、ぁ――!」

 鈍い痛みが走り、レイリアの身体がびくりと震える。
 白い首筋に、鮮やかな血がにじんだ。

「レイリア様!!」

 ゼロスの怒声が飛ぶ。
 兵士たちも一斉に息を呑んだ。
 ラグザールはすぐには離れず、執着するようにそのまま数瞬、首元へ牙を沈める。
 まるで獲物に印を刻みつけるような、ぞっとするほど生々しい動きだった。
 やがて、ぬるりと唇を離す。
 口元についた血を親指でぬぐいながら、ラグザールは恍惚としたように目を細めた。

「……やっぱり、いいな。お前の血も、お前自身も」

 その声音には恐怖を感じさせるほど、良い笑みを見せていた。
 レイリアは一瞬よろめいたものの、すぐにラグザールの胸元を強く突き飛ばして距離を取る。
 首元を押さえながら、じろりとにらみ上げた。

「……最悪。ほんと、そういうのやめてくれない?」
「やめるわけないだろ」

 ラグザールは愉快そうに笑う。

「やっと届く距離に来たんだ。触れたくもなる」
「あー……気持ち悪いなぁ……」

 レイリアは首元の血をぬぐいながら、はっきりと嫌そうな顔をした。
 けれど、その目には怒りが宿っている。
 ゼロスは槍を握る手にさらに力を込めた。
 胸の奥に、今までにない苛立ちが熱く渦を巻く。

(……あいつ)

 だが、前へ出るより先に――レイリアが一歩踏み出した。

「……もう本気で殴るね」

 声音が、静かに落ちる。
 その一言だけで、空気が変わった。
 雷光が、今度は先ほどよりもずっと激しく彼女の拳へ集束していく。
 レイリアは首元の傷など気にも留めないように、ただ真っ直ぐラグザールを見据えた。
 その瞳には、もう眠たげな緩さは残っていない。
 ただ、敵を打ち砕く為に、強く握りしめていただけだった。
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