世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。
第19話 静けさの中で芽吹くもの
戦いが終わると同時に、風が草木を撫でていく音が、やけに静かに耳へ届いた。
まだ焼け焦げた魔物の匂いが、かすかに残る戦場跡。
兵士たちは後始末に追われ、指揮官たちは戦況報告の整理に奔走している。
そんな中でゼロスはふと、レイリアの横顔を盗み見るように見つめていた。
先ほどまで戦場で凄まじい力を振るっていた少女は、今は地面に腰を下ろし、自分で用意していた水をのんびりと飲んでいる。
その姿は、まるで今しがたまで魔族と殴り合っていた人物とは思えなかった。
力が抜けたようにだらりと座り込み、どこか気の抜けた顔をしている。
そこにいるのは、あのときの【拳姫】ではなく、いつもの【ぐうたら令嬢】にしか見えない。
けれど確かに、あの雷光をまとった拳も、空を裂いた蹴りも――全てこの目で見た。
(……信じられない。どうして、あんな力を……)
己の魔槍ですら正面から渡り合うのが難しい魔族を、拳ひとつで叩き伏せた姿が、脳裏に焼きついて離れない。
「ねー」
「は、はい!」
不意に声をかけられ、ゼロスは思わず姿勢を正した。
「……そんなにじろじろ見ないでよ、ゼロス様。私の顔に何かついてる?」
「い、いえ……失礼しました」
「?」
レイリアは不思議そうに首を傾げる。
ゼロスは思わず視線を逸らした。
当のレイリアは、ストローを指先でくるくる回しながら、眠たげに欠伸をひとつこぼす。
「……やっぱ疲れるなぁ。もう少し殴る予定だったのに」
「……いや、殴りすぎです」
「そう? 私にとってはあれ、ウォーミングアップみたいなものなんだけど」
そんなことを平然と言ってのけるレイリアに、ゼロスはまた返す言葉を失う。
それなのに、不思議と嫌ではなかった。
寧ろ、どこかで少しだけ笑いそうになる。
こんな風に肩の力を抜いて誰かと話すのは、いつ以来だろうか。
口数が少なく、他人との間に壁を作ってばかりだった自分が、こんなにも自然に隣へ立てる相手が現れるとは思ってもみなかった。
気づけば、視線がまた彼女を追っている。
(……いや、何を考えている)
無骨な騎士が、こんなことで浮つくなど。
そう自分へ言い聞かせながらも、胸の奥では静かに何かが芽吹き始めていた。
▽ ▽ ▽
――戦場の後、アルディナ王国の後方陣営に設けられた仮設指令本部の天幕には、エルヴァーン家の面々がそろっていた。
グレイスは椅子にどっかりと腰を下ろし、腕を組みながら渋い表情をしている。
その横で、カティアは静かに茶を口にしていた。
「ふむ……リリスが攫われ、アークフェンに囚われている、か……」
「信憑性はどうかしら?ラグザールの言葉だけでは、まだ判断しきれないわね」
カティアは穏やかに口にしながらも、その目はわずかに鋭い。
「けど、話としては筋が通るんだよね……母様、前に言ってたじゃない。一年前から、アークフェン王国南部の研究区画で妙な魔力の揺らぎが観測されてるって」
「ええ。あれが、もしリリスを捕らえるための魔術だったとしたら……」
セリナも静かに頷く。
その指先には、かすかに雷の魔力が揺れていた。
「私が以前感じた気配も、人のものではなかったわ。もっと濃くて……魔族のそれに近かった」
「でしょ? なら可能性としては高い……でもね」
そこでレイリアが、静かに言葉を挟む。
「――リリスは、本来そう簡単に捕まるような相手じゃないと思うけど」
「……むしろ、罠だった可能性もあるってことか」
アレクの低い声が落ちた。
その一言で、天幕の空気がさらに重くなる。
家族全員の表情に緊張が浮かんでいた。
ゼロスはその場の空気を読んで、少し離れた位置に控えていた。
だが、だからこそ逆によく分かる。
――エルヴァーン家という家族の異質さが。
全員が戦士であり、魔力と戦術に優れ、そして魔族のような超常の存在とも渡り合ってきた。
この家族は、どこからどう見ても規格外だった。
(この家に関わった俺は……もう、後戻りできないのかもしれないな)
何故だか、そんなことを思ってしまう。
「――ま、とりあえずは確認してからだよね」
レイリアが立ち上がり、ぐっと伸びをしながらぽんと手を打つ。
「偵察にするか、突入にするかは、状況を見て決めよう。でも……もし本当に閉じ込められてるなら」
その声は静かだった。
「――助けに行かなきゃいけないね。彼らが何を考えてリリスを捕まえているのかは分からないけど……まあ、リリスを助けないと、ラグザールたちがあの国を滅ぼしかねないし」
その決意に、セリナが頷く。
グレイスも、にやりと笑った。
「……そうだな。我が娘が決めたなら、我らもそれに従おう」
カティアもまた、やわらかく微笑む。
「ふふ……聖女の血を引く者は、誰かを見捨てられないものなのよ。だからこそ、あなたは【拳姫】なのね、レイリア」
「いや、拳、関係ないよねそれ」
「気にしたら負けよ」
リヴィアがさらりと言い、場の空気が少しだけ和らいだ。
ゼロスは、そんな一家の中心で笑うレイリアを見つめる。
胸の奥が、またほんの少し熱を帯びるのを感じていた。
(……この人は、誰よりも強くて、誰よりも自由だ)
そう思いながら、彼は静かにレイリアの背を見つめ続けていた。
まだ焼け焦げた魔物の匂いが、かすかに残る戦場跡。
兵士たちは後始末に追われ、指揮官たちは戦況報告の整理に奔走している。
そんな中でゼロスはふと、レイリアの横顔を盗み見るように見つめていた。
先ほどまで戦場で凄まじい力を振るっていた少女は、今は地面に腰を下ろし、自分で用意していた水をのんびりと飲んでいる。
その姿は、まるで今しがたまで魔族と殴り合っていた人物とは思えなかった。
力が抜けたようにだらりと座り込み、どこか気の抜けた顔をしている。
そこにいるのは、あのときの【拳姫】ではなく、いつもの【ぐうたら令嬢】にしか見えない。
けれど確かに、あの雷光をまとった拳も、空を裂いた蹴りも――全てこの目で見た。
(……信じられない。どうして、あんな力を……)
己の魔槍ですら正面から渡り合うのが難しい魔族を、拳ひとつで叩き伏せた姿が、脳裏に焼きついて離れない。
「ねー」
「は、はい!」
不意に声をかけられ、ゼロスは思わず姿勢を正した。
「……そんなにじろじろ見ないでよ、ゼロス様。私の顔に何かついてる?」
「い、いえ……失礼しました」
「?」
レイリアは不思議そうに首を傾げる。
ゼロスは思わず視線を逸らした。
当のレイリアは、ストローを指先でくるくる回しながら、眠たげに欠伸をひとつこぼす。
「……やっぱ疲れるなぁ。もう少し殴る予定だったのに」
「……いや、殴りすぎです」
「そう? 私にとってはあれ、ウォーミングアップみたいなものなんだけど」
そんなことを平然と言ってのけるレイリアに、ゼロスはまた返す言葉を失う。
それなのに、不思議と嫌ではなかった。
寧ろ、どこかで少しだけ笑いそうになる。
こんな風に肩の力を抜いて誰かと話すのは、いつ以来だろうか。
口数が少なく、他人との間に壁を作ってばかりだった自分が、こんなにも自然に隣へ立てる相手が現れるとは思ってもみなかった。
気づけば、視線がまた彼女を追っている。
(……いや、何を考えている)
無骨な騎士が、こんなことで浮つくなど。
そう自分へ言い聞かせながらも、胸の奥では静かに何かが芽吹き始めていた。
▽ ▽ ▽
――戦場の後、アルディナ王国の後方陣営に設けられた仮設指令本部の天幕には、エルヴァーン家の面々がそろっていた。
グレイスは椅子にどっかりと腰を下ろし、腕を組みながら渋い表情をしている。
その横で、カティアは静かに茶を口にしていた。
「ふむ……リリスが攫われ、アークフェンに囚われている、か……」
「信憑性はどうかしら?ラグザールの言葉だけでは、まだ判断しきれないわね」
カティアは穏やかに口にしながらも、その目はわずかに鋭い。
「けど、話としては筋が通るんだよね……母様、前に言ってたじゃない。一年前から、アークフェン王国南部の研究区画で妙な魔力の揺らぎが観測されてるって」
「ええ。あれが、もしリリスを捕らえるための魔術だったとしたら……」
セリナも静かに頷く。
その指先には、かすかに雷の魔力が揺れていた。
「私が以前感じた気配も、人のものではなかったわ。もっと濃くて……魔族のそれに近かった」
「でしょ? なら可能性としては高い……でもね」
そこでレイリアが、静かに言葉を挟む。
「――リリスは、本来そう簡単に捕まるような相手じゃないと思うけど」
「……むしろ、罠だった可能性もあるってことか」
アレクの低い声が落ちた。
その一言で、天幕の空気がさらに重くなる。
家族全員の表情に緊張が浮かんでいた。
ゼロスはその場の空気を読んで、少し離れた位置に控えていた。
だが、だからこそ逆によく分かる。
――エルヴァーン家という家族の異質さが。
全員が戦士であり、魔力と戦術に優れ、そして魔族のような超常の存在とも渡り合ってきた。
この家族は、どこからどう見ても規格外だった。
(この家に関わった俺は……もう、後戻りできないのかもしれないな)
何故だか、そんなことを思ってしまう。
「――ま、とりあえずは確認してからだよね」
レイリアが立ち上がり、ぐっと伸びをしながらぽんと手を打つ。
「偵察にするか、突入にするかは、状況を見て決めよう。でも……もし本当に閉じ込められてるなら」
その声は静かだった。
「――助けに行かなきゃいけないね。彼らが何を考えてリリスを捕まえているのかは分からないけど……まあ、リリスを助けないと、ラグザールたちがあの国を滅ぼしかねないし」
その決意に、セリナが頷く。
グレイスも、にやりと笑った。
「……そうだな。我が娘が決めたなら、我らもそれに従おう」
カティアもまた、やわらかく微笑む。
「ふふ……聖女の血を引く者は、誰かを見捨てられないものなのよ。だからこそ、あなたは【拳姫】なのね、レイリア」
「いや、拳、関係ないよねそれ」
「気にしたら負けよ」
リヴィアがさらりと言い、場の空気が少しだけ和らいだ。
ゼロスは、そんな一家の中心で笑うレイリアを見つめる。
胸の奥が、またほんの少し熱を帯びるのを感じていた。
(……この人は、誰よりも強くて、誰よりも自由だ)
そう思いながら、彼は静かにレイリアの背を見つめ続けていた。