世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。

第20話 二人の距離、少しずつ

 帰還命令が出てから三日後――討伐部隊は、アルディナ王国の王都へと戻ってきていた。
 戦果は大きく、被害は最小限--それを支えたのが、間違いなく【拳姫】であるレイリアだったことは、誰の目にも明らかだった。
 だが、当の本人はというと。
 帰還するなり自室のふかふかのベッドへ倒れ込み――

「……ごめんなさい。三日は寝ます」

 そう宣言した。
 家族も兵士たちも、それを止めようとはしなかった。

   ▽ ▽ ▽

 ――それから半日後。

 ゼロスは、ふとした拍子に庭園へ足を向けた。
 すると、木陰の長椅子に横たわる少女の姿が目に入る。

「……寝ているのか?」

 そう問いかけた自分の声に反応するように、レイリアは片目だけを薄く開けた。

「うーん……寝てるんだけど、ゼロス様の気配、なんか真面目くさくて眠れないんだよね」
「……すみません」
「謝らなくていいですよ?というか、真面目なのはいいことですし」

 レイリアはあくび混じりにそう言って、ゆっくりと体を起こした。
 少し乱れた髪を指先で整えながら、眠たげな目でゼロスを見上げる。

「で、何か用?わざわざ昼寝してるって分かってる私に声をかけるなんて」
「…………礼を」
「はい?」
「その……魔族との戦いであなたがいなければ、我々は全滅していた。感謝しています」

 そこまで言って、ゼロスは真っ直ぐに頭を下げる。
 あまりに実直で、あまりに堅い礼の言い方に、レイリアはふっと笑った。

「ふーん……ふふっ……やっぱり堅いですね、ゼロス様って」

 くすくすと笑いながら、レイリアは少しだけ身を乗り出す。

「でも……そういうところ、嫌いじゃないですよ」
「――!」

 その一言で、ゼロスの動きがぴたりと止まった。
 まるで雷撃でも受けたかのように、頭の中で何かが弾けたような感覚が走る。

(……い、今のは、どういう……)

 まさか、好意。
 いや、違う。たぶん、そういう意味ではない。
 けれど、あんなふうに屈託なく言われてしまえば――。
 しかもレイリアは、固まった彼の顔を見て、ますますおかしそうに目を細めた。

「ふふ……そんなに固まらないでくださいよ」
「い、いえ、私は別に……」
「別に、何ですか?」

 眠たげな顔のまま、わざとらしく小首を傾げる。
 ゼロスが答えに詰まると、レイリアはその様子を面白がるように笑った。

「もしかして、変なこと考えました?」
「なっ……!」
「やだ、ゼロス様のえっちぃ」
「はぁ!?」

 思わず素っ頓狂な声が出る。
 普段のゼロスからは考えられない反応だった。
 レイリアは肩を揺らして笑いながら、のんびりと言葉を続ける。

「冗談ですよ。そんなに真っ赤にならなくても」
「な、なっていません」
「なってますよ。耳まで真っ赤ですし」

 ぴたりと指摘され、ゼロスは反射的に耳元を押さえた。
 その仕草すら、レイリアには面白かったらしい。

「ふふ……襲わないでくださいね?」
「襲いません!」
「即答なんだ」
「当たり前です!」

 あまりに必死な返答に、レイリアはとうとう吹き出した。

「……っ、ふふ。もう、ほんとに面白い人」
「……あなたが、からかうからでしょう」
「だって、ゼロス様ってからかうと反応が素直なんだもん」

 そう言って、レイリアはようやく満足したように長椅子の背にもたれた。
 その顔には、少し悪戯が成功した子どものような笑みが浮かんでいる。
 ゼロスは困惑したまま、しかしそれ以上何も言えず、ただ一礼する。

「……では、私はこれで」
「はい、おつかれさまです」

 彼は逃げるように庭園をあとにした。
 その後ろ姿を見送りながら、レイリアは小さく息をつく。

「……自分の気持ちに疎そうだよね、きっと。まあ、その方がいいのかもしれないけど」

 ぼそりとつぶやいて、再び長椅子へ身を横たえる。

「……ふぁあ」

 静かに欠伸をこぼしながら、レイリアは再び夢の中へ沈んでいった。
 三日ぐっすり眠っても、まだ身体がうまく動かない。
 今はとにかく、休息が必要だった。

   ▽ ▽ ▽

 ――そして、それから数日後。
 ゼロスは、訓練後の疲れを癒やすため、静かな中庭の片隅で水を飲んでいた。

 ――が。

(……なんだ)

 視線だ。
 明確な殺気というわけではない。
 だが、背後から確かな圧が刺さってくる。

 振り返ると、そこにいた。

 長女・セリナ。
 剣を肩に担ぎながら、真顔でゼロスを見つめている。
 その視線にあるのは、敵意ではなく――値踏みするような、見極めの色だった。

 そして、少し遅れてもう一人が姿を現す。

 長男・アレク。
 片手に木剣を持ち、腕を組みながら静かに口を開いた。

「ゼロス・ヴァルトール。少し、手合わせ願いたい」
「え……手合わせ、ですか?」

 ゼロスは怪訝そうに眉をひそめる。
 するとセリナが横から淡々と口を挟んだ。

「大切な妹を、あんなふうに見つめていた人に……私たちが何もしないとでも思ったの?」
「……見つめていた、というのは……」

 言いかけて、ゼロスは自分でも反論できないことに気づく。
 確かに最近、ずっとレイリアを目で追っていた。
 目で、耳で、心で。彼女の動きも、声も、仕草も、すべてが気になって仕方がなかった。
 だが、それをこうして真正面から自覚させてくるこの兄姉はあまりにも直球すぎる。
 アレクが低い声で続ける。

「レイリアは、自分に向けられる感情にあまり頓着じゃない。だからこそ、周りが気をつけてやらなきゃいけない」
「アレク兄様、それだと私たちが過保護みたいじゃない」
「みたいじゃなくて、そうでしょう?」

 いつの間にか現れていたリヴィアが、くすくす笑いながら会話に混ざってくる。

「だって、うちの末っ子だもの。変な男が近づいてきたらそりゃ見極めるわよねぇ」
「変な男とは、失礼ですね……」
「でも、否定しきれない顔してるわよ?」

 にやりと笑われ、ゼロスは言葉に詰まった。
 セリナはそんなやり取りにも表情を崩さず、静かに告げる。

「見極めたいのです。あなたが、レイリアにとって害になる人間ではないかどうか」
「…………」

 ゼロスは短く息を吐き、頷いた。

「……分かりました。ならば、受けましょう。その手合わせ」
「さすが騎士。話が早いわね」

 セリナの目が、わずかに楽しげに細まる。
 その横でアレクも、木剣を握り直した。

「安心してほしい。これは脅しじゃない。ちゃんとした確認だ」
「確認のために二対一なのですか……?」
「レイリアのことだからね」
「理屈になっていない気がするのですが……」
「なるのよ。末っ子だから」
「そういうものなんですか……」

 ゼロスは思わず遠い目になった。

   ▽ ▽ ▽

 ――そして、訓練場。
 正式な立ち会いのもと、三人はそれぞれ対峙していた。

 魔術剣士・セリナ。
 《雷の魔女》と恐れられる才女。

 守護騎士・アレク。
 《鉄壁の盾》と讃えられる守りの要。

 対するゼロスは、この国最強とまで言われる騎士にして、魔槍の使い手。

「手加減はしませんよ?」
「当然だ」
「全力で来て。でなければ、判断できないわ」
「あと、妹に半端な気持ちで近づく男ならこの場で心を折っておきたい」
「アレク、それ本音ですよね?」
「本音だよ」

 アレクはまったく隠す気がなかった。
 そのやり取りを少し離れた場所から眺めていたのは、次女のリヴィアだった。
 訓練場の柵に腰かけ、頬杖をつきながら、にやにやと楽しそうにしている。

「ふふっ……大好きな妹が鈍感すぎて、兄と姉が先に動いちゃうなんて……これは見ものねぇ」

 興味津々といった様子で、弓も構えず完全に観察モードである。
 そんなリヴィアに気づいたゼロスが、ちらりと目を向けた。

「……あなたは止めないんですか?」
「え? あはは、止める理由なくない?私は、ゼロスさんが妹に似合うかどうか横から見て、楽しみながら判定する係だもの」
「それもそれで、どうかと思うのですが……」
「何言ってるの。レイリアのことになると、うちは全員こうよ?」
「全員なんですね……」
「もちろん。父様も母様も、たぶん知ったら普通に混ざるわ」

 それはそれで恐ろしい話だった。
 するとリヴィアが、にっこりと微笑む。

「ねえ、ゼロスさん」
「……なんですか」
「――あなた、本当にレイリアのこと、気になってるんでしょ?」
「……っ!」

 言葉に詰まる。
 その反応だけで、答えは十分だった。

「ほら、顔に出た。ねー、姉様たちー!」
「見極めの必要性が、より高まりました」
「一戦一戦で人格は見えるからな。構えろ」
「やっぱりそうなるんですね……」

 ゼロスは軽く息を吐き、魔槍を手に取る。

(まったく……この一族、本当に手加減がない)

 だが、それでも。
 いつの間にか、彼の頭の中に浮かんでいたのは、静かに笑っていたレイリアの姿だった。
 眠たげで、のんびりしていて、けれど誰よりも強い。
 自由気ままで、つかみどころがなくて、それなのに不思議と目が離せない少女。

(それでも……彼女の家族に認められなければ、俺は……)

 その思いが、槍先へ力を宿す。
 
 雷の気配が舞う。
 盾が地を踏みしめる。
 槍が静かに構えられる。

  レイリア・エルヴァーン――彼女の背中に、隣に立つ資格を得るために。
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