世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。

第22話 その夜、歩みのはじまり

 その日の夜、国の空は静かだった。
 昼間の模擬戦や一連の魔族との交戦の疲れが、あちこちの兵舎や部屋からかすかな寝息となって漏れている。

 だが、中央庭園の奥――そこにある石造りの小さな東屋には、まだ人の気配があった。
 柔らかな灯火の元で並んで腰かけているのはゼロスとレイリアだった。

「……なんか、変なこと聞いちゃったかも」

 レイリアは膝を抱え、ぽつりとつぶやいた。
 足元には、使い慣れた枕が置かれている。
 けれど今日は、なぜだか眠くならなかった。
 胸の奥が、くすぐったいような、少しだけ苦しいような。
 そんな落ち着かない感覚が、ずっと残っている。

「今日、訓練場で……私、ゼロス様の事を好きなの?って聞いたでしょう?」

 静かに視線を横へ向ける。
 ゼロスは少しだけ目を見開いたあと、すぐに表情を落ち着かせた。

「……ええ。聞かれましたね、はっきりと」
「答えなんだけど、まだ聞いてないんだよね」

 まるで軽口のような言い方だった。
 けれど、その声はいつになく真剣だった。
 ゼロスはしばらく、言葉を探すように黙り込む。
 そして、はっきりと――少し恥ずかしそうに視線をそらしながら答えた。

「多分……いや、多分ではないと思うのですが、好きです。あなたのことを」

 短い――けれど、迷いのない声だった。
 それを聞いて、レイリアは驚いたように瞬きをして、そのまま小さく俯く。

「……そっか」

 しばらく、言葉が続かなかった。
 風が東屋を抜け、庭の花をかすかに揺らしていく。
 やがて、ぽつりと。

「……ねえ、ゼロス様」
「はい」
「私ね、恋って、よくわからないの」

 その声には、どこか苦笑が混じっていた。

「昔からずっと、私は拳と戦場しか知らなかった。剣とか魔法とか、そういうのを相手に拳一つでどこまでいけるか――誰より強くなれるか。そればっかり考えてたの。恋とか、そういうのは……本当に考えたことなかった」

 ゼロスは、ただ静かにその言葉を受け止めていた。

「婚約だって……私が望んだわけじゃない。ただ、王族の都合で勝手に決められただけ。私は『はい』って言って、剣と魔物を殴って……それだけだった……だからね。好きって言われても、どうしていいのかわからないんだよ。どう応えればいいのかも、わからない……」

 その声には、ほんの僅かな揺らぎがあった。
 いつもは平然としていて、どこか子どものように無邪気に見える彼女が、今は少しだけ頼りなげに見える。
 ゼロスはしばらく黙っていた。
 しかし、やがてその横顔にやわらかな光が差すように口を開く。

「……それは、俺も同じです」

 レイリアが少しだけ驚いた顔で彼を見る。

「俺も――恋をしたことがなかった。仕えるべき人、守るべき人はいましたが……そういう感情を抱いたことは、ありませんでした」

 ゼロスの声は淡々としていながら、どこか静かに震えていた。

「ですが、あなたに出会って――俺の中の何かが変わったんです。あなたの在り方を見て、心が動いた。それが好きだと気づいたのは、つい最近で……でも」
「……でも?」
「どうしたら伝わるのか、どうやって近づいていいのか……正直、俺にも分かりません」

 その不器用な言葉に、レイリアは少しだけ唇を噛む。

「……二人して、よくわかんない者同士なんだね」
「ええ……でも、それでも、あなたと少しずつ歩み寄りたいと思ったんです。すぐに答えを求めたりはしません。だから――」

 ゼロスはゆっくりと顔を上げ、レイリアの目をまっすぐ見つめた。

「迷っても、わからなくても……あなたの隣にいさせてください。あなたの心が動くまで、ただ隣で」

 その言葉を聞いて、レイリアは目を見開いたまましばらく黙っていた。
 だが、やがてふっと小さく息を吐く。

「……ほんと、不器用だよね。ゼロス様」
「……否定はしません」
「でも、嫌いじゃないよ。そういうの」

 今度は、ちゃんと微笑んで。

「私も、ちょっとずつ考えてみるね。恋とか、歩み寄るってこととか……ぐうたらしててもいいなら、だけど」
「ええ。それで構いません」
「あと、私けっこう放浪癖みたいなのあるから、独占欲が強いのはあんまり好きじゃないんだよね。そこは大丈夫?」
「………………大丈夫です」
「あれれ。どうして否定しないのかな?ゼロスさまー?」

 レイリアは少しだけ身を寄せるようにして、じっとゼロスの顔をのぞき込んだ。
 その目には、ほんの少しだけ悪戯っぽい光が宿っている。

「……もしかして、ちょっとはある?」
「それは……」

 ゼロスが言葉に詰まる。
 視線をそらしたその反応だけで、レイリアにはなんとなく分かってしまったらしい。

「ふふ……やっぱり」

 そこで彼女は、ふと遠くを見るような目をした。

「……あいつも、ある意味同じだと思うよ。ゼロス様」
「……あいつ?」
「ラグザール」

 その名が出た瞬間、ゼロスの空気がわずかに変わった。

 レイリアはそれに気づきながらも、静かな声で続ける。

「ずっとしつこいし、執着強いし、距離感おかしいし。自分のものみたいに言うし」
「…………あれと同じにされるのは、あまり嬉しくないですね」
「うん、わかる」

 レイリアは素直に頷いた。

「でもね、根っこにある【離したくない】って感じは、ちょっと似てるかも」

 それを聞いて、ゼロスは言葉を失う。
 否定したいのに、できなかった。
 その沈黙を見て、レイリアはくすりと笑う。

「安心して。今のゼロス様は、あそこまで重くないから」
「……今の、という言い方が気になります」
「これからどうなるかは知らないけど」
「レイリア様」
「冗談だよ」

 そう言いながら、レイリアはまた少しだけ笑った。
 けれど、その目は思っていたよりずっとやわらかかった。

「ただね。私は、閉じ込められるのは苦手なの。誰かのものみたいに扱われるのも嫌。だから……もし隣にいてくれるなら、ちゃんと私が呼吸できる距離でいてほしい」

 その言葉に、ゼロスは静かにうなずく。

「……分かっています」
「ほんとに?」
「努力します」
「そこは即答で【できます】って言わないんだ」
「できもしない事を言って、あなたに嫌われたくはありません」

 その答えに、レイリアは一瞬きょとんとして、それからふっと笑った。

「……そっか。そういうとこ、やっぱり嫌いじゃないや」

 二人のあいだに、やわらかな空気が流れる。
 だが、【独占欲】という言葉を聞いてからのゼロスは、どこか落ち着かないままだった。
 視線をそらしながら、胸の内でひとつの思いを噛みしめる。

(……このまま、この手を放したくないだなんて――そんなこと、言えるわけがない)

 少しずつ――けれど確かに、そんな感情を抱き始めていたゼロスだった。
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