世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。
第25話 潜入作戦開始、接触
夜の帳が落ち、森の奥に潜む石造りの廃神殿――ルキアル旧神殿跡。
その名残は今や、重々しい封印のように深い闇の底へ沈んでいた。
風もなく、虫の音すら遠い。
まるで何かがこの場を拒んでいるような、異様な静けさだった。
そんな沈黙を先に破ったのは。
「よう拳姫。こっちは準備万端だぜ」
月影から姿を現したのは、魔族であるラグザール。
その傍らには、どこか気だるげな顔をした弟・ゼイディスの姿もある。
「わざわざ時間どおりに来るなんて、どうしたの?」
レイリアがやや驚いたように言うと、ラグザールは肩をすくめた。
「姉貴のことが絡んでるからな。冗談抜きでこっちも本気だ」
「……まあ、兄上にしては真面目なほうですね……レイリア様の前で変な態度を取らなければ、もっと信用されると思いますが」
「ゼイディス、お前もあとで雷落とされるぞ」
険悪とも冗談ともつかない兄弟のやり取り。
だが、その奥には確かな緊張感が漂っていた。
その時、木の枝の上から軽やかな声が降ってくる。
「全員集合っと……じゃあ、そろそろ行く?」
枝の上で弓を構えているのは、エルヴァーン家次女のリヴィアだ。
森の影に身を溶かすように、すでに狙撃体勢へ入っている。
ゼロスは一歩引き、全員の顔を見渡した。
魔族と共闘する――嘗ての自分なら絶対に選ばなかった道だ。
だが今は違う。
今回だけは、レイリアの背を守るために、この選択を取っている。
(それが正しいかどうかは、まだ分からない……だが、迷う理由もない)
「……ここが、アークフェン王国の【実験場】か」
レイリアが神殿を見上げ、静かにつぶやく。
廃墟とは思えぬほど整備された外壁、巡回する不自然な足音。
そして漂う気配――そこには確かに【人】がいる。
だが、それは普通の兵士ではない。
王国直属の【機密部隊】――公には存在しない、影の兵たちだ。
レイリアですら、彼らを直接見るのは初めてだった。
「感知魔法に引っかからないように行くわよ」
リヴィアが枝の上から短く指示を飛ばす。
長弓を抱えたその姿は、すでに完全に戦闘の顔になっていた。
「潜入チームは……この面子でいいんだよな?」
ラグザールが肩を回しながら笑う。
余裕を装っているが、その声にはわずかな怒気が滲んでいた。
「この際、兄上が本気を出してくださるだけでありがたいですよ……」
「それはお前が使いものになれば、の話だろうが、ゼイディス」
「はぁいはぁい、仲良くしてくださーい」
レイリアの呆れた声が、夜気に溶ける。
――レイリア、ゼロス、ラグザール、ゼイディス。そして支援射撃にリヴィア。
エルヴァーン家と魔族の一時的な共闘体制が、ここに成立していた。
ゼロスはそんな奇妙な組み合わせを見ながらも、誰よりも真剣に空気を読んでいた。
誰もが本気でリリスを救おうとしている。
そして自分もまた、その覚悟を問われているのだ。
「じゃ、行こっか。リリスを助けに」
レイリアの小さな一言が、全員の意識を一点へ集める。
そして夜の潜入作戦は、静かに幕を開けた。
▽ ▽ ▽
神殿の奥は、驚くほど整っている。
外壁こそ朽ちかけていたが、地下へ通じる階段は完全に整備され、警備体制も厳重だ。
通路ごとに仕掛けられた警戒魔法と、無機質な装備に身を包んだ兵士たちが、その異常性を物語っていた。
「……魔族用の拘束施設ってレベルじゃねぇな。間違いなく実験施設だ」
そのように言いながらラグザールが目を細める。
彼ですら、口元に怒気をにじませるほどこの場には嫌な空気が満ちていた。
「リヴィア姉様、援護は?」
『異常なし。屋根上から全体を狙える位置にいるわ』
耳につけた魔法通信石から、リヴィアの落ち着いた声が届く。
この編成なら、正面突破より潜入が向いている。
そう判断しての布陣だった。
だが――地下第三層へ降りたその瞬間、空気が、一変した。
風が止まり、視界の色彩が鈍くなる。
「……っ、これは……!」
レイリアが膝をつく。
同時に、身体の内側から魔力の流れが抜け落ちていく感覚が走った。
「魔力が……吸われてる……!」
ゼイディスが目を見開き、ラグザールが舌打ちする。
「【魔力制圧結界】か……こんなもんまで仕込んでやがったか」
一定範囲内の魔力の流れを封じ、行使を阻害する術式。
まさに魔力使いを無力化するための結界だった。
「っ……気持ち悪い」
レイリアは元々魔力量が多いほうではない。
それでも、抜かれていく感覚そのものが不快だった。
いつも以上に身体へ力が入らず、思わず口元を押さえる。
その時、彼女の肩を軽く叩き、前へ出た影があった。
「ここは……俺が前に出ます」
静かに、だがはっきりと。
ゼロスが一歩前へ出る。
「ゼロス様……」
「俺はもともと魔力を主動源にしていない。結界の影響は軽微なので、今こそ俺の槍の出番でしょう」
その手に握られていたのは、蒼き魔槍。
戦場で幾多の魔物を貫いてきた、彼の誇りそのものだった。
「……無理は、しないでください……」
レイリアがそう告げると、ゼロスは彼女を振り返り、かすかに笑った。
「ええ。あなたが前に出られないなら、俺が前を行きます。それだけのことです」
短く言い切り、前を向く。
蒼い槍先が、地下の薄闇を裂くように構えられた。
「お二方も援護を頼みます」
「チッ……仕方ねぇ。やるぞ、ゼイディス」
「――兄上こそ、無理はなさらずに」
「てめえが言うな」
そのやり取りの直後だった。
ラグザールがふいに、よろめいたレイリアの腰へ手を回してそのまま自分のほうへぐっと引き寄せた。
「おっと。ふらついてんじゃねぇよ、拳姫」
「ちょ、ラグザール、近い」
レイリアが眉をひそめる。
その瞬間、ゼロスの表情がわずかに変わった。
「――離せ」
短く低い声。
次の瞬間、ゼロスの手がラグザールの腕を鋭くはたき落とした。
ぱしっ、と乾いた音が響く。
「は?」
ラグザールが目を細めた、その隙に。
ゼロスはレイリアの腕を引き、自分のほうへ寄せる。
支えるように、しかしはっきりと庇う位置へ。
「ふらついている相手に、勝手に触れないでもらいたい」
「……お前、今のはなかなかいい度胸してんじゃねぇか」
ラグザールの口元が、にやりと歪む。
「俺が支えてやっただけだろ?」
「必要ありません。彼女を支えるのは俺で足ります」
「へぇ?」
空気が、ぴり、と張る。
ラグザールが一歩踏み出し、ゼロスも槍を持つ手に力を込める。
結界のただ中だというのに、別種の火花が散りかけた。
「ちょ、ちょっと、二人とも」
その間へ、レイリアがするりと割って入る。
「ここ、喧嘩する場所じゃないからね?」
呆れたように二人を見上げ、それからラグザールを見た。
「ラグザール、いきなり腰抱かないで。普通に嫌」
「普通に嫌って言うなよ、傷つくだろ」
「いや、そこは傷ついてよ」
続けて、今度はゼロスへ視線を向ける。
「ゼロス様も、叩くの早すぎ。ちょっとびっくりしたんだけど」
「……すみません」
「でも、支えてくれたのはありがと」
さらりと言われて、ゼロスが一瞬黙る。
その様子を見たラグザールは、鼻で笑った。
「はは。おい人間、ずいぶん必死じゃねぇか」
「……あなたに言われたくはない」
「面白ぇな、お前」
「俺は面白くありません」
また空気が尖りかける。
レイリアは小さくため息をついて、二人の間に立ったまま言った。
「ねえ、今はリリスを助けるのが先。張り合うならそのあとにして」
その一言で、ようやく二人とも黙った。
ラグザールは肩をすくめる。
「……はいはい。拳姫の言うことなら聞くよ」
「それ、言い方がちょっとむかつく」
「でも本音だぜ?」
「そこが余計にむかつくんだよねぇ」
レイリアが半眼で返すと、横でゼロスが小さく息を吐いた。
即席の小隊が、再び動き出す。
そしてゼロスは前を向いたまま、静かに告げる。
「……リリスと言う魔族を救うまで、俺は退きませんよ」
その決意に、ラグザールが横目で薄く笑う。
「なら、せいぜい足引っ張んなよ」
「それは、こちらの台詞です」
二人の火花はまだ散っている。
だが今は、同じ方向を向くしかない。
レイリアはそんな二人を見て、ふと呟いてしまった。
「……もしかして、似た者同士、なのかな?」
その名残は今や、重々しい封印のように深い闇の底へ沈んでいた。
風もなく、虫の音すら遠い。
まるで何かがこの場を拒んでいるような、異様な静けさだった。
そんな沈黙を先に破ったのは。
「よう拳姫。こっちは準備万端だぜ」
月影から姿を現したのは、魔族であるラグザール。
その傍らには、どこか気だるげな顔をした弟・ゼイディスの姿もある。
「わざわざ時間どおりに来るなんて、どうしたの?」
レイリアがやや驚いたように言うと、ラグザールは肩をすくめた。
「姉貴のことが絡んでるからな。冗談抜きでこっちも本気だ」
「……まあ、兄上にしては真面目なほうですね……レイリア様の前で変な態度を取らなければ、もっと信用されると思いますが」
「ゼイディス、お前もあとで雷落とされるぞ」
険悪とも冗談ともつかない兄弟のやり取り。
だが、その奥には確かな緊張感が漂っていた。
その時、木の枝の上から軽やかな声が降ってくる。
「全員集合っと……じゃあ、そろそろ行く?」
枝の上で弓を構えているのは、エルヴァーン家次女のリヴィアだ。
森の影に身を溶かすように、すでに狙撃体勢へ入っている。
ゼロスは一歩引き、全員の顔を見渡した。
魔族と共闘する――嘗ての自分なら絶対に選ばなかった道だ。
だが今は違う。
今回だけは、レイリアの背を守るために、この選択を取っている。
(それが正しいかどうかは、まだ分からない……だが、迷う理由もない)
「……ここが、アークフェン王国の【実験場】か」
レイリアが神殿を見上げ、静かにつぶやく。
廃墟とは思えぬほど整備された外壁、巡回する不自然な足音。
そして漂う気配――そこには確かに【人】がいる。
だが、それは普通の兵士ではない。
王国直属の【機密部隊】――公には存在しない、影の兵たちだ。
レイリアですら、彼らを直接見るのは初めてだった。
「感知魔法に引っかからないように行くわよ」
リヴィアが枝の上から短く指示を飛ばす。
長弓を抱えたその姿は、すでに完全に戦闘の顔になっていた。
「潜入チームは……この面子でいいんだよな?」
ラグザールが肩を回しながら笑う。
余裕を装っているが、その声にはわずかな怒気が滲んでいた。
「この際、兄上が本気を出してくださるだけでありがたいですよ……」
「それはお前が使いものになれば、の話だろうが、ゼイディス」
「はぁいはぁい、仲良くしてくださーい」
レイリアの呆れた声が、夜気に溶ける。
――レイリア、ゼロス、ラグザール、ゼイディス。そして支援射撃にリヴィア。
エルヴァーン家と魔族の一時的な共闘体制が、ここに成立していた。
ゼロスはそんな奇妙な組み合わせを見ながらも、誰よりも真剣に空気を読んでいた。
誰もが本気でリリスを救おうとしている。
そして自分もまた、その覚悟を問われているのだ。
「じゃ、行こっか。リリスを助けに」
レイリアの小さな一言が、全員の意識を一点へ集める。
そして夜の潜入作戦は、静かに幕を開けた。
▽ ▽ ▽
神殿の奥は、驚くほど整っている。
外壁こそ朽ちかけていたが、地下へ通じる階段は完全に整備され、警備体制も厳重だ。
通路ごとに仕掛けられた警戒魔法と、無機質な装備に身を包んだ兵士たちが、その異常性を物語っていた。
「……魔族用の拘束施設ってレベルじゃねぇな。間違いなく実験施設だ」
そのように言いながらラグザールが目を細める。
彼ですら、口元に怒気をにじませるほどこの場には嫌な空気が満ちていた。
「リヴィア姉様、援護は?」
『異常なし。屋根上から全体を狙える位置にいるわ』
耳につけた魔法通信石から、リヴィアの落ち着いた声が届く。
この編成なら、正面突破より潜入が向いている。
そう判断しての布陣だった。
だが――地下第三層へ降りたその瞬間、空気が、一変した。
風が止まり、視界の色彩が鈍くなる。
「……っ、これは……!」
レイリアが膝をつく。
同時に、身体の内側から魔力の流れが抜け落ちていく感覚が走った。
「魔力が……吸われてる……!」
ゼイディスが目を見開き、ラグザールが舌打ちする。
「【魔力制圧結界】か……こんなもんまで仕込んでやがったか」
一定範囲内の魔力の流れを封じ、行使を阻害する術式。
まさに魔力使いを無力化するための結界だった。
「っ……気持ち悪い」
レイリアは元々魔力量が多いほうではない。
それでも、抜かれていく感覚そのものが不快だった。
いつも以上に身体へ力が入らず、思わず口元を押さえる。
その時、彼女の肩を軽く叩き、前へ出た影があった。
「ここは……俺が前に出ます」
静かに、だがはっきりと。
ゼロスが一歩前へ出る。
「ゼロス様……」
「俺はもともと魔力を主動源にしていない。結界の影響は軽微なので、今こそ俺の槍の出番でしょう」
その手に握られていたのは、蒼き魔槍。
戦場で幾多の魔物を貫いてきた、彼の誇りそのものだった。
「……無理は、しないでください……」
レイリアがそう告げると、ゼロスは彼女を振り返り、かすかに笑った。
「ええ。あなたが前に出られないなら、俺が前を行きます。それだけのことです」
短く言い切り、前を向く。
蒼い槍先が、地下の薄闇を裂くように構えられた。
「お二方も援護を頼みます」
「チッ……仕方ねぇ。やるぞ、ゼイディス」
「――兄上こそ、無理はなさらずに」
「てめえが言うな」
そのやり取りの直後だった。
ラグザールがふいに、よろめいたレイリアの腰へ手を回してそのまま自分のほうへぐっと引き寄せた。
「おっと。ふらついてんじゃねぇよ、拳姫」
「ちょ、ラグザール、近い」
レイリアが眉をひそめる。
その瞬間、ゼロスの表情がわずかに変わった。
「――離せ」
短く低い声。
次の瞬間、ゼロスの手がラグザールの腕を鋭くはたき落とした。
ぱしっ、と乾いた音が響く。
「は?」
ラグザールが目を細めた、その隙に。
ゼロスはレイリアの腕を引き、自分のほうへ寄せる。
支えるように、しかしはっきりと庇う位置へ。
「ふらついている相手に、勝手に触れないでもらいたい」
「……お前、今のはなかなかいい度胸してんじゃねぇか」
ラグザールの口元が、にやりと歪む。
「俺が支えてやっただけだろ?」
「必要ありません。彼女を支えるのは俺で足ります」
「へぇ?」
空気が、ぴり、と張る。
ラグザールが一歩踏み出し、ゼロスも槍を持つ手に力を込める。
結界のただ中だというのに、別種の火花が散りかけた。
「ちょ、ちょっと、二人とも」
その間へ、レイリアがするりと割って入る。
「ここ、喧嘩する場所じゃないからね?」
呆れたように二人を見上げ、それからラグザールを見た。
「ラグザール、いきなり腰抱かないで。普通に嫌」
「普通に嫌って言うなよ、傷つくだろ」
「いや、そこは傷ついてよ」
続けて、今度はゼロスへ視線を向ける。
「ゼロス様も、叩くの早すぎ。ちょっとびっくりしたんだけど」
「……すみません」
「でも、支えてくれたのはありがと」
さらりと言われて、ゼロスが一瞬黙る。
その様子を見たラグザールは、鼻で笑った。
「はは。おい人間、ずいぶん必死じゃねぇか」
「……あなたに言われたくはない」
「面白ぇな、お前」
「俺は面白くありません」
また空気が尖りかける。
レイリアは小さくため息をついて、二人の間に立ったまま言った。
「ねえ、今はリリスを助けるのが先。張り合うならそのあとにして」
その一言で、ようやく二人とも黙った。
ラグザールは肩をすくめる。
「……はいはい。拳姫の言うことなら聞くよ」
「それ、言い方がちょっとむかつく」
「でも本音だぜ?」
「そこが余計にむかつくんだよねぇ」
レイリアが半眼で返すと、横でゼロスが小さく息を吐いた。
即席の小隊が、再び動き出す。
そしてゼロスは前を向いたまま、静かに告げる。
「……リリスと言う魔族を救うまで、俺は退きませんよ」
その決意に、ラグザールが横目で薄く笑う。
「なら、せいぜい足引っ張んなよ」
「それは、こちらの台詞です」
二人の火花はまだ散っている。
だが今は、同じ方向を向くしかない。
レイリアはそんな二人を見て、ふと呟いてしまった。
「……もしかして、似た者同士、なのかな?」