世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。
第29話 地上の光と、いつもの光景
ルキアル旧神殿跡――地下最深層。
魔力制御装置の破壊とリリスの救出を終えた一行は、急ぎ地上を目指していた。
いまだ魔力の流れは不安定なまま。崩れかけた階層を駆け上がる足音だけが、無言の焦燥を物語っている。
壁は軋み、天井からは細かな石片がぱらぱらと落ちてくる。
解放されたリリスの魔力と壊された装置の残滓と、もともと地下に封じられていた魔の気配が混ざり合い、空気そのものが酷くざらついていた。
誰もが急いでいる――だが、ただ逃げればいいという空気ではない。
ここから先、何が出てきてもおかしくない。
そう思わせる不穏さが、通路の奥からじわじわと追いすがってくる。
「魔物の気配……少しずつ濃くなってるね」
後方を振り返りながら、レイリアが冷静に周囲を探る。
今はまだ本調子ではないはずなのにその目だけはしっかりと戦場のままだった。
「地下の封印が破れて、閉じ込められてた連中まであふれ出してるのかもな」
ラグザールが面倒くさそうに頭をかく。
軽く言っているようで、その声の奥には苛立ちが混じっていた。
「ほんと、最後まで趣味の悪い施設だよね」
「王国の連中、やることが陰湿すぎるんですよ」
「お前が言うと、なんか複雑だな」
「兄上にだけは言われたくありません」
「なんだと?」
「なんでもありません」
そんなやり取りをしながらも、足は止まらない。
「……姉上、まだ体は完全ではありませんよね。無理なさらずに」
ゼイディスが気遣うように姉を見る。
だが、リリスはゆっくりと首を振った。
「大丈夫よ……もう、眠ってばかりいるのはやめたから」
その声はまだ少し掠れている。
けれど、先ほどまで拘束されていた者とは思えないほど、その瞳には強い意志が戻っている。
その言葉に、レイリアが小さく頷く。
「だったら、さっさと地上に戻ろう。父様と母様、待ってるから」
その一言に、リリスは一瞬目を見開いた。
そして、みるみるうちに表情が明るくなる。
「え、グレイスが……外に?」
「え、うん。一応心配はしてたよ。敵だけど」
レイリアはそこで、ほんの少しだけ視線をそらした。
「…………母様は別だけど」
その含みのある間と言い方に、ゼロスがわずかに眉を顰めた。
事情をまだ完全には知らない彼にはそこで漂った妙な重みがよく分からなかった。
「……何か、問題でもあるのですか?」
「あるよ」
「あるわね」
「大ありですね」
「えっ」
その言葉を聞いて、ゼロスが固まる。
頭を押さえるようにしながら、思わず呟いた。
「今の一致、逆に嫌なんですが……」
だが、リリスはもうそれどころではなかった。
唇がかすかに震え、その目には隠しようのない熱が浮かんでいる。
「……会えるんだ……グレイスに」
そのつぶやきには、誰よりもまっすぐで、誰よりも面倒そうな純粋さが込められていた。
やがて石造りの階段を登りきり、一行はついに地上への扉を押し開ける。
乾いた夜気が肌を打ち、視界の先には星空が広がっていた。
地下の淀んだ空気に満ちていた肺へ、冷たく澄んだ夜の匂いが流れ込んでくる。
一瞬だけ、全員の肩から力が抜けかけた。
「……やっと、戻ったか」
ゼロスが短く息をつく。
その声には、緊張がほどける直前のかすかな安堵がにじんでいた。
すると草原の向こうから、静かな足音が近づいてくる。
月明かりの下、見慣れた二つの影が浮かび上がった。
「――おかえり、レイリア」
現れたのは、変わらぬ落ち着いた顔で手を差し伸べる父、グレイス。
その隣にはカティアの姿もある。
二人とも平静を装ってはいるものの、レイリアたちの顔を見た瞬間、わずかな安堵がにじんだ。
「……父様、母様、ただいま帰りました」
レイリアがそう言って駆け寄ろうとする。
だが、その前に――誰よりも早く動いた者がいた。
「グレイス!!」
風を切って飛び出したのは、リリスだった。
銀髪をなびかせ、嬉しそうに笑いながら一直線にグレイスへ飛びつこうとする――が。
「待てやコラァ!!」
次の瞬間――バチィン!!と凄まじい音が響き、リリスの身体が横から蹴り飛ばされた。
地面を転がるリリス。そのあまりにも迷いのない迎撃にグレイス以外の面々はぎょっと目を見張る。
――いや、正確には全員ではない。
レイリアと、近くまで来ていた次女リヴィアだけは、「またか」という顔をして黙っていた。
「……痛っ!? な、何すんのよカティア!!」
「あなたこそ、どの面下げて人の夫に抱きつこうとしてんのよ。十年前の未練を今さら引きずってんじゃないわよ」
「未練なんて失礼ね! これは【純愛】ってやつよ!」
「はいはい、結構なご執着ですね。戦場で発散させてあげるからちょっと付き合えや」
「あらいいわね。それ、望むところよ!」
カティアの額には青筋が浮かび、すでに抜刀寸前。
一方のリリスも、負けじと全身に魔力をまとい始める。
「母様、早い早い」
「いつもながら初動が早すぎるわねぇ」
「いや、止めないのか?」
「止めても無駄だよ」
「むしろ巻き込まれるだけ」
「そういう問題なんですか……?」
そして次の瞬間――バゴォォォン!!
夜空に爆音が轟いた。
氷と炎が正面からぶつかり合い、草原の一部がまとめて吹き飛ぶ。
熱と冷気が同時に押し寄せており、離れているこちらの髪まで大きく揺れた。
「ま、まずいですよ!止めないと、誰かが……!」
「……ゼロス様、大丈夫ですよ」
焦るゼロスの袖を、レイリアが軽く引く。
「だ、大丈夫って、これはどう見ても――!」
「うん、いつものことだから平気」
「いつものこと、で片づけていい規模ではありません!」
「でも本当にいつものことなんだよねぇ」
「そんな日常は嫌ですよ!?」
あまりにも自然に言い切られ、ゼロスは完全に置いていかれていた。
その様子を横目に、ラグザールが肩をすくめながらぼやく。
「姉貴も相変わらず、あのグレイスって男にご執着で一番ひでぇからなぁ。ったく、どっちが敵でどっちが味方か分かんねぇよ……」
「まあ、僕たち魔族というものは、執着した相手にはとことん地獄まで追いかけ回す習性がありますから」
「お前、それを笑顔で言うのやめろ。説得力が最悪なんだよ」
「兄上にだけは言われたくありません」
「なんでだよ」
「ご自身にも思い当たる節がありそうなので」
「は?」
「レイリア様への距離感とか」
「おい」
弟の言葉に対し、ラグザールの目が細くなる。
その瞬間、ゼロスもぴくりと反応した。
「……何ですか、その言い方は」
「なんだ人間。文句あんのか?」
「あなたにだけは、そういうことを言われたくありません」
「へぇ」
ラグザールの口元が、にやりと歪む。
地下でレイリアを引き寄せた時のことを、どうやら互いに忘れてはいないらしい。
「お前こそ、ずいぶん必死だったじゃねぇか。俺がレイリアに触れた時」
「必要のない接触だったから止めただけです」
「必要かどうか決めるのはお前じゃねぇだろ」
「少なくとも、あなたではない」
「喧嘩売ってんのか?」
「事実を述べています」
ぴり、と空気が張る。
ほんのわずかに、先ほどまでの共闘の名残が消えかけた。
「ちょっと、また始めるの?」
「ラグザールもゼロス様も、そこ張り合うとこじゃないからね」
「俺は別に張り合ってねぇよ」
「俺もです」
「同時に言われると説得力ないなぁ……」
そのようにいいながら、レイリアはため息を吐く。
その横で、リヴィアが面白そうに目を細めた。
「へぇー……ゼロスさん、意外と対抗心あるのね」
「違います」
「ラグザールも図星っぽい顔してる」
「してねぇ」
「してるしてる」
「おい」
今度はラグザールがリヴィアを睨む。
そんなやり取りをよそに、草原の中央ではまだカティアとリリスが本気でぶつかっていた。
「あなた、まだ諦めてなかったのね!」
「諦める理由がないもの!」
「十分あるわよ!」
「ないわ!」
さらに爆音――ゼロスは思わず青ざめながら一歩退いた。
「本当に……止めなくて大丈夫なんですか」
「大丈夫だよ」
「たぶん母様も、リリスが生きて出てきたこと自体はちょっと安心してるし」
「それであの蹴りなんですか?」
「それとこれは別なんだと思う」
「分かりたくない理屈ですね……」
そんなゼロスの隣で、ラグザールが小さく鼻を鳴らした。
「お前、いちいち真面目すぎんだよ」
「あなたはいちいち雑すぎます」
「また始まった……でも、ちょっとだけ仲良くなったよね?」
「どこが?」
「どこがですか?」
ラグザールとゼロスの二人の顔と、そして声が合わさり。
レイリアはそれを見て吹き出した。
「ほら、そこ」
「……全然うれしくありません」
「俺もだ」
「でも、息は合ってるんだよねぇ」
レイリアは少しだけ楽しそうだった。
その一方で、ラグザールはゼイディスを見て、ふと頭を抱えた。
ゼイディスが遠くのセリナの方角を見ながら、うっすら恍惚とした顔をしていたからだ。
「……お前、その顔やめろ」
「何のことでしょう」
「いや、完全に姉貴と同じ顔してんだよ」
「光栄ですね」
「そこ褒めてねぇからな?」
そして同時に思う。
ゼイディスがセリナへ向けるあの視線、姉のリリスとそっくりじゃないか、と。
そんな中、レイリアがぽつりとつぶやく。
「……まだ、ラグザールが一番常識人に見えるよねぇ」
その言葉に、ゼロスだけがぎょっとした顔で振り返った。
「それは違うでしょう!?」
「えっ、そこ強く否定するんだ」
「当然です!」
「じゃあゼロス様の中で一番常識人って誰なの?」
「それは……」
ゼロスが言葉に詰まる。
周囲を見れば、夫へ飛びつこうとして蹴り飛ばされた魔族、その魔族へ本気で炎をぶつける母、妙に慣れた顔の娘たち、そして執着を当然のように語る魔族の兄弟。
少しの沈黙のあと、ゼロスはとても疲れた顔で言った。
「……少なくとも、今この場に即答できる相手はいません」
「わぁ、正解」
「正解なのかよ……」
レイリアの言葉に、ラグザールが呆れたように笑った。
夜の草原には、まだ爆音と怒声が今も響いている。
けれど、その騒がしさの中にも奇妙な安堵があった。
少なくとも今夜は、誰も失われていない。
その事実だけは、確かだった。
魔力制御装置の破壊とリリスの救出を終えた一行は、急ぎ地上を目指していた。
いまだ魔力の流れは不安定なまま。崩れかけた階層を駆け上がる足音だけが、無言の焦燥を物語っている。
壁は軋み、天井からは細かな石片がぱらぱらと落ちてくる。
解放されたリリスの魔力と壊された装置の残滓と、もともと地下に封じられていた魔の気配が混ざり合い、空気そのものが酷くざらついていた。
誰もが急いでいる――だが、ただ逃げればいいという空気ではない。
ここから先、何が出てきてもおかしくない。
そう思わせる不穏さが、通路の奥からじわじわと追いすがってくる。
「魔物の気配……少しずつ濃くなってるね」
後方を振り返りながら、レイリアが冷静に周囲を探る。
今はまだ本調子ではないはずなのにその目だけはしっかりと戦場のままだった。
「地下の封印が破れて、閉じ込められてた連中まであふれ出してるのかもな」
ラグザールが面倒くさそうに頭をかく。
軽く言っているようで、その声の奥には苛立ちが混じっていた。
「ほんと、最後まで趣味の悪い施設だよね」
「王国の連中、やることが陰湿すぎるんですよ」
「お前が言うと、なんか複雑だな」
「兄上にだけは言われたくありません」
「なんだと?」
「なんでもありません」
そんなやり取りをしながらも、足は止まらない。
「……姉上、まだ体は完全ではありませんよね。無理なさらずに」
ゼイディスが気遣うように姉を見る。
だが、リリスはゆっくりと首を振った。
「大丈夫よ……もう、眠ってばかりいるのはやめたから」
その声はまだ少し掠れている。
けれど、先ほどまで拘束されていた者とは思えないほど、その瞳には強い意志が戻っている。
その言葉に、レイリアが小さく頷く。
「だったら、さっさと地上に戻ろう。父様と母様、待ってるから」
その一言に、リリスは一瞬目を見開いた。
そして、みるみるうちに表情が明るくなる。
「え、グレイスが……外に?」
「え、うん。一応心配はしてたよ。敵だけど」
レイリアはそこで、ほんの少しだけ視線をそらした。
「…………母様は別だけど」
その含みのある間と言い方に、ゼロスがわずかに眉を顰めた。
事情をまだ完全には知らない彼にはそこで漂った妙な重みがよく分からなかった。
「……何か、問題でもあるのですか?」
「あるよ」
「あるわね」
「大ありですね」
「えっ」
その言葉を聞いて、ゼロスが固まる。
頭を押さえるようにしながら、思わず呟いた。
「今の一致、逆に嫌なんですが……」
だが、リリスはもうそれどころではなかった。
唇がかすかに震え、その目には隠しようのない熱が浮かんでいる。
「……会えるんだ……グレイスに」
そのつぶやきには、誰よりもまっすぐで、誰よりも面倒そうな純粋さが込められていた。
やがて石造りの階段を登りきり、一行はついに地上への扉を押し開ける。
乾いた夜気が肌を打ち、視界の先には星空が広がっていた。
地下の淀んだ空気に満ちていた肺へ、冷たく澄んだ夜の匂いが流れ込んでくる。
一瞬だけ、全員の肩から力が抜けかけた。
「……やっと、戻ったか」
ゼロスが短く息をつく。
その声には、緊張がほどける直前のかすかな安堵がにじんでいた。
すると草原の向こうから、静かな足音が近づいてくる。
月明かりの下、見慣れた二つの影が浮かび上がった。
「――おかえり、レイリア」
現れたのは、変わらぬ落ち着いた顔で手を差し伸べる父、グレイス。
その隣にはカティアの姿もある。
二人とも平静を装ってはいるものの、レイリアたちの顔を見た瞬間、わずかな安堵がにじんだ。
「……父様、母様、ただいま帰りました」
レイリアがそう言って駆け寄ろうとする。
だが、その前に――誰よりも早く動いた者がいた。
「グレイス!!」
風を切って飛び出したのは、リリスだった。
銀髪をなびかせ、嬉しそうに笑いながら一直線にグレイスへ飛びつこうとする――が。
「待てやコラァ!!」
次の瞬間――バチィン!!と凄まじい音が響き、リリスの身体が横から蹴り飛ばされた。
地面を転がるリリス。そのあまりにも迷いのない迎撃にグレイス以外の面々はぎょっと目を見張る。
――いや、正確には全員ではない。
レイリアと、近くまで来ていた次女リヴィアだけは、「またか」という顔をして黙っていた。
「……痛っ!? な、何すんのよカティア!!」
「あなたこそ、どの面下げて人の夫に抱きつこうとしてんのよ。十年前の未練を今さら引きずってんじゃないわよ」
「未練なんて失礼ね! これは【純愛】ってやつよ!」
「はいはい、結構なご執着ですね。戦場で発散させてあげるからちょっと付き合えや」
「あらいいわね。それ、望むところよ!」
カティアの額には青筋が浮かび、すでに抜刀寸前。
一方のリリスも、負けじと全身に魔力をまとい始める。
「母様、早い早い」
「いつもながら初動が早すぎるわねぇ」
「いや、止めないのか?」
「止めても無駄だよ」
「むしろ巻き込まれるだけ」
「そういう問題なんですか……?」
そして次の瞬間――バゴォォォン!!
夜空に爆音が轟いた。
氷と炎が正面からぶつかり合い、草原の一部がまとめて吹き飛ぶ。
熱と冷気が同時に押し寄せており、離れているこちらの髪まで大きく揺れた。
「ま、まずいですよ!止めないと、誰かが……!」
「……ゼロス様、大丈夫ですよ」
焦るゼロスの袖を、レイリアが軽く引く。
「だ、大丈夫って、これはどう見ても――!」
「うん、いつものことだから平気」
「いつものこと、で片づけていい規模ではありません!」
「でも本当にいつものことなんだよねぇ」
「そんな日常は嫌ですよ!?」
あまりにも自然に言い切られ、ゼロスは完全に置いていかれていた。
その様子を横目に、ラグザールが肩をすくめながらぼやく。
「姉貴も相変わらず、あのグレイスって男にご執着で一番ひでぇからなぁ。ったく、どっちが敵でどっちが味方か分かんねぇよ……」
「まあ、僕たち魔族というものは、執着した相手にはとことん地獄まで追いかけ回す習性がありますから」
「お前、それを笑顔で言うのやめろ。説得力が最悪なんだよ」
「兄上にだけは言われたくありません」
「なんでだよ」
「ご自身にも思い当たる節がありそうなので」
「は?」
「レイリア様への距離感とか」
「おい」
弟の言葉に対し、ラグザールの目が細くなる。
その瞬間、ゼロスもぴくりと反応した。
「……何ですか、その言い方は」
「なんだ人間。文句あんのか?」
「あなたにだけは、そういうことを言われたくありません」
「へぇ」
ラグザールの口元が、にやりと歪む。
地下でレイリアを引き寄せた時のことを、どうやら互いに忘れてはいないらしい。
「お前こそ、ずいぶん必死だったじゃねぇか。俺がレイリアに触れた時」
「必要のない接触だったから止めただけです」
「必要かどうか決めるのはお前じゃねぇだろ」
「少なくとも、あなたではない」
「喧嘩売ってんのか?」
「事実を述べています」
ぴり、と空気が張る。
ほんのわずかに、先ほどまでの共闘の名残が消えかけた。
「ちょっと、また始めるの?」
「ラグザールもゼロス様も、そこ張り合うとこじゃないからね」
「俺は別に張り合ってねぇよ」
「俺もです」
「同時に言われると説得力ないなぁ……」
そのようにいいながら、レイリアはため息を吐く。
その横で、リヴィアが面白そうに目を細めた。
「へぇー……ゼロスさん、意外と対抗心あるのね」
「違います」
「ラグザールも図星っぽい顔してる」
「してねぇ」
「してるしてる」
「おい」
今度はラグザールがリヴィアを睨む。
そんなやり取りをよそに、草原の中央ではまだカティアとリリスが本気でぶつかっていた。
「あなた、まだ諦めてなかったのね!」
「諦める理由がないもの!」
「十分あるわよ!」
「ないわ!」
さらに爆音――ゼロスは思わず青ざめながら一歩退いた。
「本当に……止めなくて大丈夫なんですか」
「大丈夫だよ」
「たぶん母様も、リリスが生きて出てきたこと自体はちょっと安心してるし」
「それであの蹴りなんですか?」
「それとこれは別なんだと思う」
「分かりたくない理屈ですね……」
そんなゼロスの隣で、ラグザールが小さく鼻を鳴らした。
「お前、いちいち真面目すぎんだよ」
「あなたはいちいち雑すぎます」
「また始まった……でも、ちょっとだけ仲良くなったよね?」
「どこが?」
「どこがですか?」
ラグザールとゼロスの二人の顔と、そして声が合わさり。
レイリアはそれを見て吹き出した。
「ほら、そこ」
「……全然うれしくありません」
「俺もだ」
「でも、息は合ってるんだよねぇ」
レイリアは少しだけ楽しそうだった。
その一方で、ラグザールはゼイディスを見て、ふと頭を抱えた。
ゼイディスが遠くのセリナの方角を見ながら、うっすら恍惚とした顔をしていたからだ。
「……お前、その顔やめろ」
「何のことでしょう」
「いや、完全に姉貴と同じ顔してんだよ」
「光栄ですね」
「そこ褒めてねぇからな?」
そして同時に思う。
ゼイディスがセリナへ向けるあの視線、姉のリリスとそっくりじゃないか、と。
そんな中、レイリアがぽつりとつぶやく。
「……まだ、ラグザールが一番常識人に見えるよねぇ」
その言葉に、ゼロスだけがぎょっとした顔で振り返った。
「それは違うでしょう!?」
「えっ、そこ強く否定するんだ」
「当然です!」
「じゃあゼロス様の中で一番常識人って誰なの?」
「それは……」
ゼロスが言葉に詰まる。
周囲を見れば、夫へ飛びつこうとして蹴り飛ばされた魔族、その魔族へ本気で炎をぶつける母、妙に慣れた顔の娘たち、そして執着を当然のように語る魔族の兄弟。
少しの沈黙のあと、ゼロスはとても疲れた顔で言った。
「……少なくとも、今この場に即答できる相手はいません」
「わぁ、正解」
「正解なのかよ……」
レイリアの言葉に、ラグザールが呆れたように笑った。
夜の草原には、まだ爆音と怒声が今も響いている。
けれど、その騒がしさの中にも奇妙な安堵があった。
少なくとも今夜は、誰も失われていない。
その事実だけは、確かだった。