世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。
第05話 国を捨てる覚悟
「家族と一緒なら、どこでもいいです」
その何気ないひと言に、室内の空気がほんの少しだけやわらいだ。
今にも剣を抜きそうな気配をまとっていた父グレイスは、ゆっくりと肩の力を抜く。
眉間に深い皺を寄せていた兄アレクの表情にも、ようやくかすかな安堵が浮かんだ。
姉たちもまた、小さく息をつく。
レイリアのこういうところ――飄々としていて、どこか達観しているくせに、家族に対してだけは真っすぐなところ。
それがきっと、この家族をつないでいるのだろう。
「まったく、そういうことをさらっと言うのだから……」
セリナが眼鏡の奥で目を細め、あきれたように口元をゆるめる。
冷静な口調ではあるが、その声音には隠しきれない甘さがにじんでいた。
「本当よねぇ……そんなこと言われたら、もう絶対に連れて行くしかないじゃない」
リヴィアも腕を組みながら、呆れ半分、愛しさ半分といった顔で笑う。
「連れて行くも何も、最初からレイリアを置いていくなんて選択肢はないだろ」
アレクは真顔でそう言い切った。
その言い方があまりに当然だったので、レイリアはぱちりと瞬きをする。
「……置いていかれる可能性、あったんですか?」
「あるわけないでしょう」
母カティアが即答した。
しかも妙に真剣な顔で。
「あなたを置いていくくらいなら、この国に残る理由なんてひとつもないわ」
「そうだな」
父グレイスも重々しく頷く。
「王家への忠義より、娘のほうが大事に決まっている」
それを聞いて、レイリアは少しだけ困ったように笑った。
自分ではそこまで大げさなことだと思っていないのに、家族は本気でそう考えているらしい。
「……なんだか、重いですね」
「今さらでしょう?」
カティアがさらりと言う。
セリナも静かに頷き、リヴィアは「今ごろ気づいたの?」とでも言いたげに肩をすくめた。
アレクに至っては、むしろ誇らしげですらある。
それからの数日は、まさに嵐のようだった。
急な出立にもかかわらず、荷造りは驚くほどの速さで進められていく。
エルヴァーン家の使用人たちもまた、主人たちの決断に何も言わず従っていた。
いや、従うというよりは、当然のこととして受け入れているようだった。
レイリアの荷物は最小限でいい。
戦闘用の衣服がいくつかと、旅先でも快適に眠れるように持っていく、ふかふかの枕。
本人としてはそれで十分だったのだが――
「それだけ?」
荷物を確認したカティアが眉を寄せる。
「足りないわ。移動中に冷えたら困るでしょう。ひざ掛けも持ちなさい」
「え、でも馬車ですし」
「馬車だからこそよ」
「あと、おやつも必要だな」
アレクが真顔で口を挟む。
「移動は疲れるだろう。甘いものは持っていこう」
「兄様、私そこまで子どもじゃ」
「干し果物と焼き菓子、どっちがいい?」
「選ばせるんですか……」
「両方にしましょう」
カティアが即決した。
「あと、替えのクッションも必要ね。馬車の座席は硬いもの」
「いや、枕あるので大丈夫です」
「枕とクッションは別物よ」
ぴしゃりと言われ、レイリアは口をつぐむ。
そこへリヴィアが笑いながら割って入った。
「着替えももう少し増やしなさいよ。あんた、どうせ『動きやすければ何でもいい』ってやるんだから」
「事実ですけど……」
「事実でも駄目。可愛い末っ子が旅先で適当な格好してたら、姉として心配でしょうがないの」
さらにセリナまで淡々と追撃する。
「念のため、酔い止めの薬も持っていきましょう。レイリアは平気そうに見えて限界まで我慢して黙っていそうだもの」
「そんなに信用ないですか、私」
「そういう意味ではなくて」
「そういう意味よね」
「そういう意味ね」
姉たちの声が綺麗にそろった。
レイリアは小さくため息をつく。
けれど、不思議と嫌ではない。
(……次の国でも、昼寝できるといいな)
そんな呑気なことを考えながら、彼女は屋敷の扉を最後に振り返った。
数えきれない日々を過ごした家。
けれど、不思議と心に未練はなかった。
――大切なものは、ちゃんと一緒に連れていくのだから。
そして出発の日――エルヴァーン家を乗せた馬車は、静かに王都の石畳を進み始めた。
カーテンの隙間から、遠ざかっていく王城の塔が見える。
嘗ての婚約者と、レイリアを冷たい目で見ていた人達。
けれど、それももうレイリアにとっては過ぎ去ったものだった。
彼女はそれを一度だけ見つめて、そっと目を閉じる。
(……もう、どうでもいい)
心の中でそうつぶやき、揺れる馬車の背もたれへ静かに身体を預けた。
向かいの席では、アレクがさりげなく毛布を広げようとしている。
それに気づいたレイリアは、じとりとした目を向けた。
「兄様」
「なんだ?」
「まだ寝るって言ってません」
「言わなくても分かる」
「分からなくていいです」
「いや、分かる」
真顔で返され、レイリアは軽く視線をそらす。
そのやり取りを見て、リヴィアが吹き出した。
「ほらほら、始まった。アレクの妹過保護病」
「病とは失礼だな」
「重症なのは事実でしょう」
セリナが冷静に言い添える。
すると父グレイスまで、低い声でぽつりと続けた。
「毛布だけで足りるか?もう一枚あってもいいのではないか」
「父様まで……」
「いいじゃない。寒かったら可哀想だもの」
カティアが穏やかに微笑む。
どうやら家族全員、過保護であることに自覚はあっても、改めるつもりはないらしい。
レイリアは小さく息をついたあと、観念したように毛布を受け取った。
「……ありがとうございます」
「素直でよろしい」
カティアが満足そうに言い、アレクはどこか誇らしげな顔をする。
セリナはそんな弟妹たちを見て目元をやわらげ、リヴィアは「ほんと、可愛いんだから」と肩をすくめた。
馬車はそのまま、王都を離れていく。
▽ ▽ ▽
――その頃、王都の城内。ディオン・アークフェンの執務室は、昼下がりの光に静かに照らされていた。
部屋の中には、彼と、新たな婚約者であるミラ・コルネリアの姿がある。
「やっぱり、言い過ぎだったんじゃないですか?レイリア様に、あんな言い方……」
ミラが申し訳なさそうに、けれどどこか距離のある声音で言った。
紅茶のカップを持つ指先はかすかに震え、その視線はディオンをまっすぐ見ていない。
ディオンは腕を組み、窓の外をにらむように見つめていた。
「……あいつは、最初から何も感じていないようだった。まるで人形みたいだった。婚約を破棄されても平然としていて、悔しがる様子もない……あれが、本当に人間なのか?」
そう口にしながらも、ディオンの胸の内には拭いきれない不安が残っていた。
あれほど冷たく、何の執着も示さずに去っていったレイリア。
その姿が、どうしても頭から離れない。
『そちらが勝手に持ち込んだ婚約でしたよね』
『――だって私、あなたのお名前を一度もお呼びしたことがありませんよ?』
あのひと言が、今も棘のように胸の奥へ刺さっている。
「ミラ……レイリアが、怒りも悲しみも見せなかったのは何故なんだ……?」
問いかけるようにつぶやかれた言葉に、ミラは何も返さなかった。
ただ、小さく目を伏せるだけだった。
ぎこちない沈黙の中で、室内の時計がかちり、と音を立てる。
時間は確かに進んでいく。
だがその一方で、気づかぬうちに、取り返しのつかない何かもまた過ぎ去っていた。
こうして、【拳姫】とその家族は王国を去った。
彼らがいなくなったことで何が失われたのか。
それをディオンとミラが知るのは、まだ少し先の話である。
その何気ないひと言に、室内の空気がほんの少しだけやわらいだ。
今にも剣を抜きそうな気配をまとっていた父グレイスは、ゆっくりと肩の力を抜く。
眉間に深い皺を寄せていた兄アレクの表情にも、ようやくかすかな安堵が浮かんだ。
姉たちもまた、小さく息をつく。
レイリアのこういうところ――飄々としていて、どこか達観しているくせに、家族に対してだけは真っすぐなところ。
それがきっと、この家族をつないでいるのだろう。
「まったく、そういうことをさらっと言うのだから……」
セリナが眼鏡の奥で目を細め、あきれたように口元をゆるめる。
冷静な口調ではあるが、その声音には隠しきれない甘さがにじんでいた。
「本当よねぇ……そんなこと言われたら、もう絶対に連れて行くしかないじゃない」
リヴィアも腕を組みながら、呆れ半分、愛しさ半分といった顔で笑う。
「連れて行くも何も、最初からレイリアを置いていくなんて選択肢はないだろ」
アレクは真顔でそう言い切った。
その言い方があまりに当然だったので、レイリアはぱちりと瞬きをする。
「……置いていかれる可能性、あったんですか?」
「あるわけないでしょう」
母カティアが即答した。
しかも妙に真剣な顔で。
「あなたを置いていくくらいなら、この国に残る理由なんてひとつもないわ」
「そうだな」
父グレイスも重々しく頷く。
「王家への忠義より、娘のほうが大事に決まっている」
それを聞いて、レイリアは少しだけ困ったように笑った。
自分ではそこまで大げさなことだと思っていないのに、家族は本気でそう考えているらしい。
「……なんだか、重いですね」
「今さらでしょう?」
カティアがさらりと言う。
セリナも静かに頷き、リヴィアは「今ごろ気づいたの?」とでも言いたげに肩をすくめた。
アレクに至っては、むしろ誇らしげですらある。
それからの数日は、まさに嵐のようだった。
急な出立にもかかわらず、荷造りは驚くほどの速さで進められていく。
エルヴァーン家の使用人たちもまた、主人たちの決断に何も言わず従っていた。
いや、従うというよりは、当然のこととして受け入れているようだった。
レイリアの荷物は最小限でいい。
戦闘用の衣服がいくつかと、旅先でも快適に眠れるように持っていく、ふかふかの枕。
本人としてはそれで十分だったのだが――
「それだけ?」
荷物を確認したカティアが眉を寄せる。
「足りないわ。移動中に冷えたら困るでしょう。ひざ掛けも持ちなさい」
「え、でも馬車ですし」
「馬車だからこそよ」
「あと、おやつも必要だな」
アレクが真顔で口を挟む。
「移動は疲れるだろう。甘いものは持っていこう」
「兄様、私そこまで子どもじゃ」
「干し果物と焼き菓子、どっちがいい?」
「選ばせるんですか……」
「両方にしましょう」
カティアが即決した。
「あと、替えのクッションも必要ね。馬車の座席は硬いもの」
「いや、枕あるので大丈夫です」
「枕とクッションは別物よ」
ぴしゃりと言われ、レイリアは口をつぐむ。
そこへリヴィアが笑いながら割って入った。
「着替えももう少し増やしなさいよ。あんた、どうせ『動きやすければ何でもいい』ってやるんだから」
「事実ですけど……」
「事実でも駄目。可愛い末っ子が旅先で適当な格好してたら、姉として心配でしょうがないの」
さらにセリナまで淡々と追撃する。
「念のため、酔い止めの薬も持っていきましょう。レイリアは平気そうに見えて限界まで我慢して黙っていそうだもの」
「そんなに信用ないですか、私」
「そういう意味ではなくて」
「そういう意味よね」
「そういう意味ね」
姉たちの声が綺麗にそろった。
レイリアは小さくため息をつく。
けれど、不思議と嫌ではない。
(……次の国でも、昼寝できるといいな)
そんな呑気なことを考えながら、彼女は屋敷の扉を最後に振り返った。
数えきれない日々を過ごした家。
けれど、不思議と心に未練はなかった。
――大切なものは、ちゃんと一緒に連れていくのだから。
そして出発の日――エルヴァーン家を乗せた馬車は、静かに王都の石畳を進み始めた。
カーテンの隙間から、遠ざかっていく王城の塔が見える。
嘗ての婚約者と、レイリアを冷たい目で見ていた人達。
けれど、それももうレイリアにとっては過ぎ去ったものだった。
彼女はそれを一度だけ見つめて、そっと目を閉じる。
(……もう、どうでもいい)
心の中でそうつぶやき、揺れる馬車の背もたれへ静かに身体を預けた。
向かいの席では、アレクがさりげなく毛布を広げようとしている。
それに気づいたレイリアは、じとりとした目を向けた。
「兄様」
「なんだ?」
「まだ寝るって言ってません」
「言わなくても分かる」
「分からなくていいです」
「いや、分かる」
真顔で返され、レイリアは軽く視線をそらす。
そのやり取りを見て、リヴィアが吹き出した。
「ほらほら、始まった。アレクの妹過保護病」
「病とは失礼だな」
「重症なのは事実でしょう」
セリナが冷静に言い添える。
すると父グレイスまで、低い声でぽつりと続けた。
「毛布だけで足りるか?もう一枚あってもいいのではないか」
「父様まで……」
「いいじゃない。寒かったら可哀想だもの」
カティアが穏やかに微笑む。
どうやら家族全員、過保護であることに自覚はあっても、改めるつもりはないらしい。
レイリアは小さく息をついたあと、観念したように毛布を受け取った。
「……ありがとうございます」
「素直でよろしい」
カティアが満足そうに言い、アレクはどこか誇らしげな顔をする。
セリナはそんな弟妹たちを見て目元をやわらげ、リヴィアは「ほんと、可愛いんだから」と肩をすくめた。
馬車はそのまま、王都を離れていく。
▽ ▽ ▽
――その頃、王都の城内。ディオン・アークフェンの執務室は、昼下がりの光に静かに照らされていた。
部屋の中には、彼と、新たな婚約者であるミラ・コルネリアの姿がある。
「やっぱり、言い過ぎだったんじゃないですか?レイリア様に、あんな言い方……」
ミラが申し訳なさそうに、けれどどこか距離のある声音で言った。
紅茶のカップを持つ指先はかすかに震え、その視線はディオンをまっすぐ見ていない。
ディオンは腕を組み、窓の外をにらむように見つめていた。
「……あいつは、最初から何も感じていないようだった。まるで人形みたいだった。婚約を破棄されても平然としていて、悔しがる様子もない……あれが、本当に人間なのか?」
そう口にしながらも、ディオンの胸の内には拭いきれない不安が残っていた。
あれほど冷たく、何の執着も示さずに去っていったレイリア。
その姿が、どうしても頭から離れない。
『そちらが勝手に持ち込んだ婚約でしたよね』
『――だって私、あなたのお名前を一度もお呼びしたことがありませんよ?』
あのひと言が、今も棘のように胸の奥へ刺さっている。
「ミラ……レイリアが、怒りも悲しみも見せなかったのは何故なんだ……?」
問いかけるようにつぶやかれた言葉に、ミラは何も返さなかった。
ただ、小さく目を伏せるだけだった。
ぎこちない沈黙の中で、室内の時計がかちり、と音を立てる。
時間は確かに進んでいく。
だがその一方で、気づかぬうちに、取り返しのつかない何かもまた過ぎ去っていた。
こうして、【拳姫】とその家族は王国を去った。
彼らがいなくなったことで何が失われたのか。
それをディオンとミラが知るのは、まだ少し先の話である。