世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。

第06話 王都アルディナへ

 アルディナ王国――大地の民と風の神を信仰する、豊かな緑と長い歴史を誇る隣国。
 その首都《フィル=カーネ》の城門前は、朝からどこか落ち着かない熱気に包まれていた。

「見ろ、あの馬車……!」
「アルディナ家の旗だ。本物か!?」
「もしかして、あれが……元第一王女のカティア様……?」

 王都へ入城した一行を目にして、街中がざわめきに満ちていく。

 荘厳な装飾を施された馬車は、王族に近しい者にしか許されない上等なものだ。
 その両脇を固めるのは統一された制服に身を包んだエルヴァーン家の護衛騎士たちだった。
 ただ通るだけで、人々の視線は自然とそこへ吸い寄せられる。

「……あの方がグレイス卿か。【大剣の獅子】と呼ばれた男だろう?」
「隣にいるのがご家族かしら。皆さん、とてもお綺麗……」
「というか、あれで兄妹姉妹なのか? 美形ばかりで混乱するんだが……」

 視線の中心にいるのは、エルヴァーン家の当主グレイスと、その妻カティア。
 そして長女セリナ、次女リヴィア、長男アレク。
 その中でひときわ気の抜けた様子で窓の外を眺めているのが、【ぐうたら令嬢】などと呼ばれているレイリアだった。
 カティアが優雅に微笑み、そっと手を上げる。
 それだけで、市民たちははっとしたように姿勢を正し、次々と頭を垂れた。

「……懐かしい顔が見えるわね。あちらにいるのはラオ伯爵家のご子息かしら。昔はあんなに小さかったのに、少し見ないうちにずいぶん背が伸びたわ」

 カティアは目元に懐かしさをにじませながら、静かにそうつぶやいた。
 その隣で、グレイスがわずかに目を細める。

「……随分よく覚えているんだな」
「まあ、故郷ですもの。それに昔はよく王宮で顔を合わせていたのよ」
「ふむ」

 短く返しながらも、グレイスの声音にはほんのわずかに面白くなさそうな響きが混じっていた。
 それに気づいたカティアが、くすりと笑う。
「あら旦那様。まさか嫉妬していらっしゃるの?」
「していない」
 即答――だが、その返しがあまりにも早すぎて、むしろ図星にしか聞こえない。

「そうかしら?」
「……昔の男の話を、あまり楽しそうにされるのは落ち着かんだけだ」

 ぼそりと落とされたその一言に、カティアは目を丸くした後、ふわりとやわらかな笑みを浮かべた。

「安心してくださいな。私がこうして隣にいたいと思うのは、今も昔もあなただけですわ」
「……そういうことを、外であまりさらりと言うな」

 少しだけ耳を赤くしたグレイスが視線をそらす。
 その様子を見て、後ろにいたリヴィアが肩を震わせた。

「ちょっと、父様わかりやす……」
「言うな、リヴィア」

 アレクが慌てて小声で制する。
 けれどセリナは、眼鏡の奥で静かに目を細めていた。

「相変わらず仲がよろしいこと」

 そんな家族のやり取りをよそに、ただ一人、別の世界にいる者がいた。
 レイリアである。
 彼女は馬車の中でふかふかのクッションに身を埋め、窓の外から流れ込んでくるざわめきに、うんざりしたように眉を寄せていた。

「ん……うるさいなぁ……」

 耳に届くのは、民衆のどよめき、拍手、そして歓迎の楽隊の音色。
 けれどレイリアにとっては、それらはすべて落ち着いて眠るのを邪魔する騒音でしかない。
 そんな彼女に気づいたセリナが、くすりと笑いながらそっと頭を撫でた。

「あらあら、レイリアは相変わらずね。私の膝、使う?」
「セリナ姉様……じゃあ、お願いします」
「ええ、いつでもどうぞ」

 手招きする姉のほうへ、レイリアは吸い寄せられるように身体を寄せる。
 そのまま膝へ頭を預けると、ほっとしたように目を閉じた。

「到着したらすぐ、静かな部屋もらえるかな……昼寝したい……」
「そうね。きっとお願いすれば用意してくださるわ」

 眠たげにまぶたをこすりながら、レイリアは小さく欠伸をする。
 王都の人々にとっては、思わず涙ぐむほどの歴史的な帰還。
 けれど当の本人は、まったくと言っていいほど感慨に浸っていなかった。
 そんな妹の様子を見て、カティアは静かに息をつく。

「……この子だけは、本当にどこへ行っても変わらないのね」
「そこが可愛いんだろう」

 グレイスが自然にそう返すと、今度はカティアが少しだけ目を細めた。

「まあ。ずいぶん素直なお言葉ですこと」
「事実を言っただけだ」

 低い声で言いながらも、娘を見るグレイスの眼差しは明らかにやわらかい。
 アレクもこくこくとうなずいている。

「父様の言うとおりです。レイリアはあれでいいんです」
「兄様まで何を誇らしげに……」

 半分眠りながらも、レイリアがぼそりと抗議する。
 だが誰も気にしていない。
 やがて馬車は王城へと到着し、迎えに出ていた王家の者たちが一斉に頭を垂れた。

「カティア様……いえ、エルヴァーン侯爵夫人。ご帰還、心より歓迎いたします」

 出迎えたのは、現国王の弟にあたるヴァルター殿下。
 カティアにとっては従兄にあたる人物である。

「本当に……本当に帰ってきてくれたのだな。もう二度と会えないのではないかと思っていた」

 その声には、隠しきれない感情がにじんでいた。
 目尻にはうっすらと涙さえ浮かんでいる。
 対するカティアは、穏やかに微笑み、品よく一礼する。

「ただいま戻りました、ヴァルター様。ご健勝そうで何よりですわ」

 形式に則った言葉でありながら、その奥には確かな情が込められていた。
 一歩下がった位置で、グレイスが神妙な面持ちのまま頭を下げる。

「……身分も顧みず、大切な姫君を連れ去った男です。今さら顔向けなどできませぬ。ですが――カティアを守ってきたことだけは、誇りに思っております」

 その言葉にヴァルターは一瞬驚いたように目を見開き、やがて満足そうに笑った。

「ふふ……良き伴侶に恵まれたな、カティア。安心した。お前らしい」

 それを聞いたグレイスが、ほんのわずかに眉を動かす。
 するとカティアは、誰にも気づかれないほどそっとグレイスの袖に触れた。

「旦那様?」
「……なんでもない」
「また嫉妬なさっている?」
「していない」

 今度も即答だった。
 しかしカティアは楽しそうに微笑むばかりで、それ以上は何も言わない。
 その様子に、リヴィアが小さく吹き出し、セリナは静かに視線を逸らした。
 アレクだけは、なぜ皆が笑いをこらえているのかいまひとつ分かっていない顔をしている。
 こうして、エルヴァーン家は正式にアルディナ王家の庇護下へ迎え入れられた。

 一方――その場にいたレイリアは、紹介が半ばに差しかかった頃には、すでに意識が遠のいていた。

「……ん、なんか……まだお話してる……寝よ……」

 セリナの膝枕と、新しく用意されたやわらかなクッションに身を預けたまま、彼女はすうっと目を閉じる。
 拍手と歓声が響く中で、少女は静かに夢の世界へ落ちていった。
 それが――【拳姫】と呼ばれた少女の、アルディナ王国での最初の一日だった。
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