あなたが白制服に着替えたら、それが恋のはじまり
同居の終わり



夏帆の頭の中は冷たくて重い霧がかかっていた。白戸夫妻とのバーベキューが無事に終わり、成瀬と夏帆は湖の周りを歩いている。さりげなく成瀬が夏帆の手をとって。

ゆっくりと並んで歩く。
二人ともに言葉を発しない。

成瀬はこの沈黙にも違和感を覚えてはいなかった。きっと夏帆も成瀬からの告白を待っていると思っていたからだ。成瀬は明日から船の生活へと戻る。井沢家にお世話になるのは明日が最後だ。つまり、明日で夏帆との同居は終了となる。

(告白するなら今日しかない)

成瀬はどう切り出そうかと頭をフル回転させていた。意を決した成瀬は夏帆の前に立った。そして夏帆のもう一つの手を取り、両手をしっかりと握った。夏帆は少し驚いたが、空気は理解しているはずだ。何も言わなかった。

「夏帆さん、好きです。付き合ってください」

成瀬の告白は実にシンプルであった。しかし、それは飾りっけない実直な性格を表していた。

「成瀬さん……」
夏帆の瞳が揺れる。

「たぶん、同居を始めたころから夏帆さんが好きだった。これからもずっと一緒に居てほしい」

成瀬は包み隠さず思いを伝える。そんな成瀬を見て、夏帆の瞳に涙があふれる。

「……私もです。成瀬さんの制服姿を見た瞬間から、あなたに恋に落ちていました。そばにいるだけで毎日が幸せで……」

夏帆からの告白を聞くと成瀬は嬉しそうに目を開いた。

「では」
成瀬の顔がぱあと明るくなる。

しかし夏帆の顔をのぞきこむと一転、困惑した。

「夏帆さん?」

夏帆は自覚がないまま涙を流していた。それは眉を下げて口を一文字に結んだ苦しそうな涙であった。


「……ごめんなさい。自分でもどうしていいのかわからなくて」
「なにかあったんですか?」

成瀬が心配そうに訊ねた。夏帆は鼻をすすり上げて答えた。

「思い出してしまったんです。母が帰ってこなかった日のことを」

成瀬は何も言わず黙ったまま夏帆の話を聞いた。

「母が危篤で父が病院に駆けつけた日のこと。私はまだ幼くて、その日は伯母にあずけられていました。日が暮れてもいくら待っても、母も父も帰ってこない。どうして帰ってこないのって私は不安と恐怖で押しつぶされそうでした」

「夏帆さんの母親が亡くなった日のことですか……」

「はい……その時の記憶をなぜか思い出してしまって」

夏帆は苦しそうに眉を寄せた。そして、その不安を成瀬に問いかけた。

「成瀬さん」
「なんですか?」

成瀬は優しく夏帆を見つめる。

「成瀬さんは絶対に帰ってきてくれますか?」

頬を濡らす涙を拭うのも忘れて、夏帆はすがるように成瀬に問う。夏帆は成瀬の仕事の本当のリスクを理解したのだ。それを受け入れてもらいたかったのは成瀬。しかし、この仕事に100%の保証などない。その事実も伝えるべきなのか、成瀬の顔から余裕がなくなる。

「あなたを笑顔で見送って帰ってこないなんて、そんなの嫌だっ!」

不安でたまらなくなった夏帆が本音をぶつけた。成瀬も夏帆から目を逸らさず真剣な顔つきになる。成瀬としても非常に辛い問いかけだった。しかし、それでも上回る気持ちがある。

夏帆と一緒に居たいという想いだ。
そして成瀬はゆっくりと口を開く。

「わたしは必ず、夏帆さんのもとに帰ります。何があっても絶対に」

ゆるぎない意志を感じる口調だった。それは頼もしく夏帆は今すぐにでも成瀬に胸に飛び込みたくなる。しかし、頭の奥からあの日の苦しい感情が支配しようとする。

”待つ人が帰ってこない恐怖
 また体験するするかもしれない”

夏帆の中で成瀬に飛び込みたい気持ちと過去のトラウマが拮抗していた。なぜ今になって思いだしてしまったのか夏帆は苦しくて仕方ない。あふれる涙が止まらない。

「色々な感情がっ渦巻いてしまって……」

夏帆はしゃくりあげながら懸命に言葉を出した。
「ええ…」
成瀬は優しく手を解き夏帆の背に手を回した。そしてゆっくりと包み込んだ。

「成瀬さん、少しだけ時間をください。心の……整理をさせてください」

成瀬の腕の中で夏帆はこどものように泣いた。

「わたしはいくらでも待ちます」
「成瀬さん、好きです。そして…ありがとう」

言葉を発するのも精一杯だった。そんな夏帆を成瀬はさらに強く抱きしめるのだった。



次の日の朝。

夏帆は重たい頭を上げて泣いて腫れたまぶたを開いた。

(最後の見送りはきちんとしよう)

今日で成瀬との同居が終わる。夏帆の心の整理は一晩ではできなかった。しかし、成瀬とは最後までしっかりと成瀬と向き合おうと思っていた。顔と髪をきちんと整えた。服も着替えた。準備をして一階に降りていった。

「夏帆、起きるのが遅いな。もう成瀬は出勤するぞ」

「ごめん。きちんと見送るよ」

目を腫らした暗い表情の夏帆。昨日、通夜帰りのような雰囲気の二人に佳孝は何も聞けずにいた。気にはなるが、さすがに夏帆の顔をみてしまうと口にはできなかった。

そして白制服の成瀬が玄関にやってきた。官帽を被り白い革靴に足を入れる。見慣れたこの姿も今日が最後だ。成瀬が振り返る。

「お世話になりました。また遊びにきます」

それはいつも通りの穏やかな表情だった。

「いつでも来いよ。待ってるから」
佳孝も変わらず返事をした。

そして成瀬が夏帆に向く。
「夏帆さん」
「はい……」
成瀬は口を開きかけたが力なく閉じた。そして数秒間、夏帆を見つめた。

「本当に楽しかったです。ありがとう」

夏帆の恋心がきゅうっと痛んだ。また涙が溢れそうになるのをぐっと我慢した。

「こちらこそ、ありがとう。成瀬さん。また連絡します」

「ええ、待っています」

成瀬は大人だ。いつもと変わらない笑顔を夏帆に見せてくれた。

そして成瀬が扉を開く。朝の低い日差しが夏帆の目に飛び込み目を細めた。後光に包まれた成瀬は扉が閉まると同時に消えた。

今日、あなたが制服に着替えたら
私たちの同居が終わる―――



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