祝福のあとで
玄関のドアが閉まる音が、
 思ったより静かだった。

 照明はつけないまま、
 廊下の先から、街灯の光が差し込んでいる。

「……どうぞ。」

 ひかりがそう言うと、
 直は短く「うん」と答えた。

 靴を脱ぐ動作さえ、
 いつもより、少しぎこちない。

 本当は、
 何か作ろうかとか、
 お腹空いてない?とか、
 そんな言葉を用意していた。

 でも。

 リビングに入った瞬間、
 直がひかりを見る。

 仕事の顔でも、
 外で見せる落ち着いた表情でもない。

 少しだけ、
 抑えていたものが外れた目。

 ひかりは、
 何も言わずに一歩近づいた。

 直も、
 同じだけ距離を詰める。

 触れる前に、
 確認みたいな間があって。

 それから、
 直が低く言った。

「……明日、朝から予定あって」

 言い訳じゃない。
 約束でもない。

 ただ、
 ちゃんと伝えるための言葉。

 ひかりは、
 小さく頷いた。

「うん。わかってる」

 それで十分だった。

 次の瞬間、
 直の手が、ひかりの腰に触れる。

 確かめるみたいに、ゆっくり。

 ひかりは、
逃がさないみたいに指をつかんで、
そのまま距離をなくした。

 キスは、
 勢いじゃなかった。

 昨日の朝とも、
 さっきの夜道とも違う。

 今ここにいることを、
 互いに選んだキス。

 直の呼吸が近くて、
 ひかりは思う。

 料理じゃない。
 言葉でもない。

 今日は、
 これが一番だった。
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