祝福のあとで
直は、二人のグラスを片づけてから、
ひかりの方を見た。

仕事が終わったあとの、
切り替えきれない顔。

「……このあと」

一拍、間を置いてから。

「一緒に、帰れますか?」

送る、とも、
送っていい?とも言わない。

ただ、
並んで帰る前提の言い方。

ひかりは、
一瞬だけ驚いてから、頷いた。

「はい。」

それだけで、
直はそれ以上何も言わず、
上着を手に取った。



建物を出ると、
夜の空気が、少しだけ冷たかった。

並んで歩く距離は、
近すぎず、遠すぎず。

話そうと思えば話せるのに、
無理に言葉を探さない。

足音だけが、
静かな道に重なる。

「今日は、お疲れさま」

ひかりがそう言うと、
直は、前を見たまま答えた。

「ひかりも」

短いけれど、
仕事としてじゃない響き。

少し歩いてから、
直が、ふと思い出したみたいに言う。

「さっきさ」

「雰囲気、違うって言われてたね」

「うん」

「俺も、そう思った」

立ち止まりはしない。
歩きながら。

でも、
逃げない言葉。

ひかりは、
胸の奥が、静かに動くのを感じた。

このまま、
それぞれの家に帰ることもできる。

でも。

交差点の手前で、
ひかりの足が、ほんの少しだけ遅れた。

直が気づいて、
振り返る。

「……どうした?」

ひかりは、
少しだけ迷ってから、口を開いた。

「……なんか」


「このまま帰るの、早いなって」

言ってしまってから、
自分で少し驚く。

直は、
すぐには返事をしなかった。

ひかりの顔を見て、
それから、視線を外す。

考える時間を、
ちゃんと挟む人だった。

「……無理、してない?」

確認。

ひかりは、
小さく首を振る。

「してない」

その声は、
自分でもわかるくらい、落ち着いていた。

少しの沈黙。

それから、
ひかりは続ける。

「うち、ここから近くで」

言葉は、
それ以上いらなかった。

直は、
ほんの一瞬だけ息を吐いてから、
静かに頷く。

「……じゃあ」



「少しだけ」

“少しだけ”が、
相変わらず優しい。

ひかりは、
その一言に背中を押されるみたいに、
歩き出した。

夜は、まだ終わらない。

でも、
もう戻らない場所があることを、
二人とも、ちゃんとわかっていた。
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