祝福のあとで
ドアが閉まってから、
ひかりはしばらく、
その場を動かなかった。

玄関に残った空気が、
完全に落ち着くのを待つみたいに。

「……さっきの」

直が何か言う前に、
ひかりは口を開いた。

「由里さん、
 この前ルミエールに来てたの」

直は、
一瞬だけ言葉を失った。

ほんのわずか。
呼吸が止まるほどでもない、
でも確かにあった“間”。

「下見で。
 律さんと一緒に」

その一言で、
直の表情が、ほんの少しだけ曇る。

驚きとも、
戸惑いとも違う。

整理しようとする前の顔。

ひかりは、
その変化を見逃さなかった。

でも直は、
すぐに視線を逸らして、
いつもの調子に戻る。

「……そうなんだ」

声は、落ち着いている。

「言ってなかったな」

責める響きはなかった。
確認に近い声。

「うん。
 仕事だったし、
 タイミングもなくて」

言い訳にならないよう、
ひかりはそれだけを足した。

直は、
小さく息を吐く。

「そっか」

それ以上、
踏み込もうとはしなかった。

ひかりは、
その沈黙の中で思う。

今のは、
気にしなかった、じゃない。

気にして、
でも飲み込んだ、という顔だった。

「……ごめん」

ひかりがそう言うと、
直は首を振る。

「謝ることじゃない」

即答だった。

でも、
さっきの一瞬が、
消えたわけじゃないことを、
ひかりは知っている。

直は、
ちゃんと大人だ。

だからこそ、
言わない選択もする。

ひかりは、
その事実を胸に置いたまま、
何も続けなかった。

今は、
掘り下げる時間じゃない。

ただ、
この人にも、
過去と重なる場所がある。

そのことを、
初めて“実感”した夜だった。
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