祝福のあとで
その日は、
なんとなくBar Afterに寄った。
理由ははっきりしていない。
仕事の帰り道が、少し長く感じただけ。
ひかりは、
カウンターの端に腰を下ろし、
軽めの一杯を頼んだ。
グラスを傾けながら、
ふと、由里の顔が浮かぶ。
——最近、打ち合わせは一人が多い。
理由も、
事情も、分かっている。
それでも、
どこか引っかかるものがあった。
それを、
直に話すべきかどうか。
ひかりは、
答えを出せないまま、
氷が溶ける音を聞いていた。
扉が開いたのは、
そのときだった。
ひかりは、
反射的に顔を上げる。
一人で入ってきたのは、
由里だった。
仕事帰りの装い。
昼間より、
少しだけ力の抜けた表情。
「こんばんは」
由里はそう言って、
ひかりに気づくと、
一瞬だけ目を見開いた。
「あ……ひかりさん」
「こんばんは」
それだけのやり取り。
由里は、
カウンターの少し離れた席に座る。
直が、
自然な動きでグラスを用意する。
「今日は、一人?」
「うん。
ちょっとだけ」
その声は、
昼間の打ち合わせより、
ずっと素直だった。
しばらく、
他愛のない話が続く。
仕事のこと。
最近の忙しさ。
由里は、
ぽつりとグラスを見つめたまま言った。
「……結婚式の準備って、
楽しいはずなんだけどね」
直は、
手を止めずに聞いている。
相槌も、
急かす言葉もない。
「なんか、
私ばっかり前のめりな気がして」
由里は、
笑おうとして、
うまくいかなかった。
直は、
グラスを置いてから、
静かに言う。
「前に進める人がいるから、
形になるんじゃないですか」
慰めでも、
正解でもない。
ただ、
由里の気持ちを否定しない言葉。
「一人で抱えすぎなくていいと思います」
由里は、
一瞬だけ目を伏せてから、
小さく頷いた。
「……ありがとう」
その声は、
少し軽くなっていた。
ひかりは、
その様子を、
グラス越しに見ていた。
胸の奥が、
きゅっと縮む。
羨ましい、という言葉は、
しっくりこない。
ただ。
由里は、
直に“そのまま”を差し出している。
悩みも、
迷いも。
ひかりは、
今まで一度も、
仕事のことで直に弱音を吐いたことがなかった。
できなかったわけじゃない。
選ばなかった。
それが正しいと思っていた。
でも今は、
その距離が、
少しだけ遠く感じる。
ひかりは、
グラスを置いた。
「すみません」
直が顔を上げる。
「明日、
少し早くて」
それは、
半分だけ本当の理由。
「今日は、
これで失礼します」
直は、
何か言いかけて、
やめた。
「気をつけて」
それだけ。
ひかりは、
軽く会釈をして、
バーを出た。
夜風が、
思ったより冷たい。
歩きながら、
ひかりは思う。
——私は、
この人に、
どこまで見せているんだろう。
仕事も。
弱さも。
全部、
ちゃんと分けたままで。
それが、
大人だと思ってきた。
でも。
少しだけ、
分けすぎていたのかもしれない。
なんとなくBar Afterに寄った。
理由ははっきりしていない。
仕事の帰り道が、少し長く感じただけ。
ひかりは、
カウンターの端に腰を下ろし、
軽めの一杯を頼んだ。
グラスを傾けながら、
ふと、由里の顔が浮かぶ。
——最近、打ち合わせは一人が多い。
理由も、
事情も、分かっている。
それでも、
どこか引っかかるものがあった。
それを、
直に話すべきかどうか。
ひかりは、
答えを出せないまま、
氷が溶ける音を聞いていた。
扉が開いたのは、
そのときだった。
ひかりは、
反射的に顔を上げる。
一人で入ってきたのは、
由里だった。
仕事帰りの装い。
昼間より、
少しだけ力の抜けた表情。
「こんばんは」
由里はそう言って、
ひかりに気づくと、
一瞬だけ目を見開いた。
「あ……ひかりさん」
「こんばんは」
それだけのやり取り。
由里は、
カウンターの少し離れた席に座る。
直が、
自然な動きでグラスを用意する。
「今日は、一人?」
「うん。
ちょっとだけ」
その声は、
昼間の打ち合わせより、
ずっと素直だった。
しばらく、
他愛のない話が続く。
仕事のこと。
最近の忙しさ。
由里は、
ぽつりとグラスを見つめたまま言った。
「……結婚式の準備って、
楽しいはずなんだけどね」
直は、
手を止めずに聞いている。
相槌も、
急かす言葉もない。
「なんか、
私ばっかり前のめりな気がして」
由里は、
笑おうとして、
うまくいかなかった。
直は、
グラスを置いてから、
静かに言う。
「前に進める人がいるから、
形になるんじゃないですか」
慰めでも、
正解でもない。
ただ、
由里の気持ちを否定しない言葉。
「一人で抱えすぎなくていいと思います」
由里は、
一瞬だけ目を伏せてから、
小さく頷いた。
「……ありがとう」
その声は、
少し軽くなっていた。
ひかりは、
その様子を、
グラス越しに見ていた。
胸の奥が、
きゅっと縮む。
羨ましい、という言葉は、
しっくりこない。
ただ。
由里は、
直に“そのまま”を差し出している。
悩みも、
迷いも。
ひかりは、
今まで一度も、
仕事のことで直に弱音を吐いたことがなかった。
できなかったわけじゃない。
選ばなかった。
それが正しいと思っていた。
でも今は、
その距離が、
少しだけ遠く感じる。
ひかりは、
グラスを置いた。
「すみません」
直が顔を上げる。
「明日、
少し早くて」
それは、
半分だけ本当の理由。
「今日は、
これで失礼します」
直は、
何か言いかけて、
やめた。
「気をつけて」
それだけ。
ひかりは、
軽く会釈をして、
バーを出た。
夜風が、
思ったより冷たい。
歩きながら、
ひかりは思う。
——私は、
この人に、
どこまで見せているんだろう。
仕事も。
弱さも。
全部、
ちゃんと分けたままで。
それが、
大人だと思ってきた。
でも。
少しだけ、
分けすぎていたのかもしれない。