お試し婚のはずが、いつの間にか溺愛されています!~二度も婚約破棄された外科医は受付事務員に愛を捧ぐ~
 彼女はもう、戻ってこない。
 それでいい。
 それぞれが、自分の人生を生きるだけなのだから。
 その日は、少しだけ空気が違っていた。

 休みの日に、食材の買い出しへと並んで歩く。
 城高山先生の手が、何度も私の指先に触れては、すぐに離れる。そのたびに、胸が小さく跳ねた。

「寒い?」

 そう言って、彼は私の手を取った。
 逃げる隙もないくらい自然に、指と指が絡む。

「……ううん」

 本当は、寒いのは指先じゃなくて、胸の奥だった。
 いつもよりゆっくり歩きながら、彼は小さな公園へと私を導いた。
 夕焼けはもう薄くなっていて、街灯が淡く灯り始めている。
 ベンチに腰を下ろすと、彼は私の手を離さなかった。
 そのまま、親指で、何度も左手の薬指をなぞって、婚約指輪を確認する。

「……ねえ」
 低く、少しだけ甘い声。
 冗談めかしているようで、目は真剣だった。
 胸が、きゅっと締めつけられる。

「今回のことがあって、はっきりした」
 彼は、私の額に自分の額をそっと寄せた。

「勝浦さんが傷つくの、もう二度と見たくない。守るとか、支えるとか、そういう言葉じゃ足りない」
 近すぎる距離に、息が絡む。
「俺の人生に、君が必要なんだ」

 囁くような声だった。

「一緒に、幸せになろう」
 その言葉で、もう駄目だった。
 私は、涙をこらえながら、何度も頷いた。

「……はい。お願いします」
「もう、逃がさない。お試し婚なんてやめて、早く婚姻届を出しに行こう」

 囁きながら、彼は私を抱き寄せる。
 強くはないのに、確かな腕だった。

 胸に顔を埋めると、彼の心臓の音が聞こえる。
 それが、私と同じ速さで鳴っている気がした。

「好きだよ」

 耳元で、初めて聞くほど柔らかな声。
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