お試し婚のはずが、いつの間にか溺愛されています!~二度も婚約破棄された外科医は受付事務員に愛を捧ぐ~
 こうして城高山先生に流されるまま、洋食屋へと連れて行ってもらうのだった。
 店の扉を開けた瞬間、ふわりと漂ってきたバターの香りと、賑やかな話し声が二人を包み込んだ。
 鉄板の上でハンバーグの油が弾く音や、カトラリーの軽やかな音が心地よく耳に届く。
 どこか懐かしさを感じさせる店内の雰囲気に、私は気づかぬうちにこわばっていた肩を、そっと落とした。
 先ほどまで胸に溜まっていた緊張が、わずかにほどけていく。

「ここ、昔から通ってるんだ」

 城高山先生はそう言って、迷いのない足取りで奥の空いた席へと彼女を促した。
 店員と軽く目を合わせる様子から、この店に慣れていることが伝わってくる。

 向かい合って席に座ると、私はメニューを手に取った。
 けれど、並んだ文字を目で追っているはずなのに、料理名が頭に残らない。
 意識がどうしても、向かいに座る彼の存在へと引き寄せられてしまう。
 それに気づいたのか、城高山先生が小さく笑った。

「ここ、パスタとハンバーグが美味しいよ。……両方が更に盛ってあるメニューが一番人気で、それぞれのソースの味とパスタの量も選べるよ」

 丁寧な説明に、私はようやく現実に引き戻される。
 選択肢が多いほど迷ってしまう性格だということを、自分でもよく分かっていた。

「色々迷ってしまいましたが、それにします! パスタはあさりクリームがいいかなぁ」
 そう口にしながら、心の中ではまだ少し悩んでいた。
 けれど、クリーム系のパスタが好きなことだけは、迷いようがなかった。
 結果として選んだその一言に、どこかほっとする。

「いっちゃん、こんばんは! 今日は美人さんも一緒なんだね。珍しいよね、いつも一人で来てるのに」
 この店の店長だろうか?
 中年の優しそうな男性が、オーダーを取りに来てくれた。
「そうなんだよ。知り合いには内緒にしといてよ」
「うん、分かったよ。多分、内緒にしとく」
「多分じゃ、困る」
 彼はそう言いながら、楽しそうに笑っている。
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