御曹司の契約妻が本物の妻として愛されるまで
「あぁ、千尋。九条さんが迎えに来たって」

 父が言ったのと同時に、私は手にしたビニール袋を落とす。

 それがスタートの合図だった。
 私は体調が悪いことすら忘れて、玄関に走った。

「こら、逃げるな!」
「追いかけられたら逃げますよ、普通……!」
「千尋!」

 靴を引っ掛けて玄関に飛び出すも、家の前には進路を阻むように彼の車が停まっている。
 なんとか隙間から逃げようとするも、あっさりと追いかけてきた彼に掴まってしまった。

「お願いだから、逃げないでくれ……」
「…………」

 懇願するような声音で頼まれ、腕を掴まれてはどこにも逃げられない。
 彼は車の助手席を開くと、どうぞと私に腕を差し出した。
 どうやら、車に乗れということらしい。

「…………」

 ひとまず、ここで逃げ出しても埒が明かないと判断した私は抵抗することなく助手席に乗り込んだ。
 彼も運転席側に回り、車に乗り込む。
 蓮さんはエンジンをかけると、静かに車を走らせた。

「…………」
「………………」

 社内は不気味なほどに静かだ。
 きっと、勝手に家を飛び出し、逃げてきたことを怒っているに違いない。
 ここで私を責めてもいいはずなのに、彼は何も言わなかった。

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