策士な財閥ホテル王は政略妻との初恋を実らせる
 キ、キスされた……。

 雪成さんがリビングを出て行ってからも、頬に感触が残っていてすぐには動けなかった。

 シャワー中も気が気ではなく、全身が脈打つほど緊張している。

 これまで二十五年間、恋愛経験がない。

 だからどう振る舞ったらいいかまったくわからなくて、頭の中が混乱している。

 由緒ある城下家に嫁いだからには、後継者を産み育てるのは当然だと理解はしていた。

 けれども、優しいご両親からはすぐにでもといったプレッシャーは無かったし、雪成さんも多忙だったから。

 当分こんな夜は訪れないだろうと油断していた。

 雪成さんは相当手慣れているだろう。

 類まれなスペックに、誰もが振り返るほどの優れた容姿。

 これまで多くの素敵な女性と交流があったに違いない。

 髪を撫でるのも、頬に触れるのも、唇を寄せるのだって自然体で余裕があった。

 一方の私は一応は社長令嬢ではあるものの、父には悪いけど斜陽傾向であり許嫁はいないし、青春時代に母を亡くし恋愛どころではなかった。

 今更だけど、どうしよう……。

 心臓の音があまりにも大きすぎて、シャワーの水音がかき消された。

 浴室を出て、おそるおそる寝室に向かう。

 しかしその途中、リビングに電気が点いているのに気づいた。

 ソファに座っている雪成さんの後ろ姿が見えて、私は静かに近づいた。

 そばまで行くと、寝息が聞こえる。

「寝てる……」

 拍子抜けした声でつぶやいた。

 気負っていただけに肩透かしを食らった気分。

 シャワー後の雪成さんの髪の毛はまだかすかに濡れていて、私は背後に膝をつくと起こさないように注意しながらタオルでそっと水滴を拭いた。

「お疲れなのに、付き合ってくださってありがとうございました。風邪、引かないでくださいね」

 ひょっとしたら、休める時間が取れたのだから私と食事するより寝ていたかったのかもしれない。

 それでも、水沢旅館の田舎料理を喜んで食べてくれて、共有する思い出に浸れて温かさを感じた。

「また一緒に食事しましょうね。できればこれからずっと、毎日」

 小さな声でささやく。

 雪成さんの一挙手一投足に戸惑いはありつつも、嫌悪はない。

 私を見つめる目が優しいから、全然嫌じゃない。

 むしろもっと雪成さんの違う一面を知りたくなる。

 すごくドキドキしてそこはかとなく緊張した一日だったけれど、旦那様との心の距離が縮まった気がしてうれしかった。

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