優秀な後輩で私も嬉しく思うので、どうぞ『先輩離れ』してください
「元気っていうか、表情が柔らかいっていうか……そんなに人間味のある顔できるんだね」
「先輩は僕のことなんだと思ってるんですか。仕事の時は疲れるのであえて感情を抑えているだけです」
「っていうことは、素はこっち?」

 素直に問いかけると、気まずそうに頷かれる。その様子が珍しくて、何とも可愛らしい。思わず笑うと、拗ねたような目でジトッと睨まれた。 
 
「……笑いすぎです。人が真面目に提案してるのに」

 それだけ言うと、一ノ瀬くんはふいっと顔を背けてしまう。耳のが僅かに赤く見えるのは、照明のせいだけではないだろう。完璧な後輩のそんな隙を見せつけられ、私の心の中にあった警戒心が少しずつ溶けていく。

「ごめんごめん。でも、一ノ瀬くんがそんなに必死なの珍しいからさ」
「必死にもなりますよ。先輩、放っておいたら駅のホームで一晩明かしそうなんですもん」
「そんなことしないよ。せいぜい歩いて帰るぐらいかな」
「は?この大雨の中を?」
「まあ、仕方ないじゃん」

 その瞬間、外で響いた凄まじい雷鳴が鳴り響いた。地面が揺れたのではないかと思うほどの轟音に、肩を跳ねさせてしまう。窓の外は、もはや景色が見えないほどの白く豪雨に包まれていた。

「もう一度聞きますね。この中を、歩いて帰るんですか?」
「撤回で」

 あまりにも早い手の平返しに、自分でも笑ってしまう。
 スマホで電車の運行状況を確認してみる。今はまだいいが、この様子だと止まるのも時間の問題だろう。
 
「……最寄りまで帰れるかな」
「だから言ったじゃないですか。ほら、タクシー来ましたよ」

 スマホに届いた通知を確認した彼は、有無を言わさぬまま私の手を引いた。


 結局、押し切られる形で乗り込んだタクシーの車内は、外の喧騒が嘘のように静かだった。雨粒の音だけが、BGMのように響いている。

「行き先、どうします? 」
「……」

 正直迷った。30手前の女といえど、苦手意識のあった後輩の家に泊まることにどうも躊躇してしまう。けれど、窓の外で光る稲妻と止まる気配のない雨脚が不安を煽ってくる。その2つの間で揺れてしまうが、結局は、

「……本当に、泊まるだけだからね」
「分かってますって。……運転手さん、事前にお伝えしていた住所までお願いします」

 運転手の了承の声と共に、タクシーは静かに走り出した。

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