アンコールはリビングで
「……なぁ。これ、聞きづれぇんだけど……」

彼の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。

「……痴漢とか、変な奴……いねぇ? 大丈夫か?」

その言葉に、私の心臓がドクリと嫌な音を立てた。

触れられたくない、蓋をしていた記憶の箱。
「大丈夫だよ」と笑って流すのが、大人の対応であり、彼を心配させないための正解だということは分かっていた。

でも、彼の真剣な眼差しを前にして、嘘をつくことはできなかった。

「……最近は、全然ないよ! 車両も選んでるし、自衛してるから」

「……『最近は』ってことは」

彼の声のトーンが、スッと温度を下げた。

「……前は、あったってことか……?」

逃げ場のない問い。
私は観念して、小さく息を吐いた。

「……うん。まぁ、学生の頃とかはね。可愛い制服だったし、混んでて身動き取れなかったし……。なんかこう、身体触られたり、後ろから押し付けられたりとか……あったかな」

なるべく淡々と、過去の笑い話のように言ったつもりだった。

「当時は子供すぎて、カバンが当たってるのかな?って思おうとしてたし。純真無垢だったの」

そう付け加えて、場の空気を和ませようと苦笑いを浮かべた。
けれど。

「……」

隣の彼は、笑わなかった。
笑うどころか、手摺りを握る指の関節が白くなるほど力を込め、小刻みに震えていた。

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