魔女?いいえ、ただの才女でございます。 ~魔女と恐れられている最強令嬢は、不器用な旦那様に溺愛される~
最強令嬢は、契約結婚を提案する
「魔女が来たぞ」
「あれがかの有名な魔女か」
「目を合わせただけで呪われるらしい」
「なんと恐ろしいこと」

 煌びやかなパーティー会場。お淑やかな笑い声が聞こえる中、ひそひそと噂話をする者たちがいた。その対象は、会場の窓際で星空を見上げるたった1人の少女である。

 艶やかな銀髪は腰まで届き、夜露に濡れた花びらのように瑞々しい。肌は透き通るほど白く、大きな瞳は吸い込まれそうなほど深い紫紺。まだ幼さを残す愛らしい顔立ちは、成長すればどれほどの傾国の美女になるかと予感させる。

(やれやれ、相変わらず騒がしい連中だな。私が本当に魔女なら、今この瞬間にその口を縫い合わせてやるところだ)

 少女はその容姿に似合わない口調で、心の中でため息をつく。手に持ったグラスを僅かに傾け、再び視線を夜空へと戻した。
 周囲の目には、何か恐ろしいことを考えている得体の知れない化け物として少女が映っていることだろう。しかし、今の少女の脳内にあるのは、何でもないことだった。

(さて……空中の魔力密度と湿度の相関関係。ここに16重の並列魔法式を組み込めば、理論上は瞬間的な天候操作が可能になるはずだ。第7節の係数が少し不安定か……? いや、ここは多重積分で補完すればいい。これが完成すれば、農作物などを合理的に栽培することが可能になるな)

 魔女と謳われる彼女は、断じて魔女ではない。
 魔女とは随分前に滅んでしまった、空想になり果てた存在である。それは、魔法が存在するこの世界においても常識であるはずだった。

 かつては、全人類が魔法を使えたのだ。しかし様々な要因から魔法を使える者は年々その数を確実に減らし、現在では1万人に1人の確率で突然変異的に魔法を使える人間が生まれていた。

 そんな社会に生まれた彼女は、あまりに強大な力を持っていた。
 それこそ、かつて強大な力をもって世界を支配していた存在__『魔女』の生まれ変わりではないかと疑われるほど。

「……あら、私に何かご用でしょうか?」

 不意に背後に人の気配を感じ、完璧な令嬢の微笑みを浮かべて振り返った。指先の角度、背筋の伸び、ドレスの裾のなびき方。その全てが、王宮の作法教師が涙を流して感動するほどの一流品だ。しかし、帰って来たのは称賛の拍手などではなかった。

「ひっ……!」
「い、いいえ!し、し、 失礼いたしますわ!」

 声をかけようとした勇気ある令嬢たちが、私の視線と交わった瞬間に顔を引き攣らせて逃げていく。その一連の様子を見ていた周囲の参加者は、ひそひそと噂話を再開させた。ぽつんと残された私は、その行き場のない笑みをそっと消すしかない。

(はぁ…、挨拶くらいさせてくれればいいものを。別に取って食おうとしていないだろう。綺麗なお嬢さんと平和に楽しく会話をしたいだけだというのに)

 再び夜空を見上げて、私は小さく溜息をついた。
 私は、ただ勉強が好きなだけだ。新しい知識を得て、魔法の理を解き明かす。その過程で得た力が他人から見れば異常なレベルに達してしまったという、ただそれだけの話。
 
 『才女』__そう呼んでくれれば角も立たないのに、人は理解できない強さを『魔女』と呼んで遠ざける。それが何とも残念でならなかった。
 
 それに、『魔女』と呼ばれるのはこの古めかしい口調も相まっているのだろう。外に向けては令嬢として正しい言葉遣いをするが、心の中の素の口調は随分男勝りなものだった。
 理由は単純。幼少期によく遊んだ祖父の口調が移っただけである。私の魔力を恐れた両親が辺境に住む祖父母に幼い私を押し付けたため、幼少期は祖父母の家で育てられた。口調は、その時の影響を今も引き摺っているだけだった。私自身直す気はないし、幸か不幸か『魔女』と恐れられているため、わざわざ指摘する人もいない。

 そんな過去に思いを馳せていた時だった。

「リリス・フォン・アステリア様。お楽しみのところ失礼いたします」

 不意に、私を呼ぶ声がした。周囲の噂話がピタリと止まる。きっと聞き耳立てているのだろう。それを隠しもしない周囲に苛立ちながら振り返れば、国王陛下直属の騎士が頭を下げていた。

「いえ。どうかされましたか?」
「国王陛下がお呼びです。どうか、今から国王陛下の執務室までご足労いただけないでしょうか」

 パーティーの最中だというのに、主催者である国王の姿が見えないことに疑問は抱いていた。それと呼び出しをくらっている件が無関係には思えない。若干嫌な予感がするが、断るわけにはいかないだろう。会場にいる参加者全員が聞き耳を立てているのだ。断ったら、また何と言われるか。
 
「勿論です。陛下のお役に立てることがあれば、何なりと」

 返事をした私は騎士の案内の元、会場をあとにしたのだった。
 

 長い廊下を歩くほど、夜会の喧騒は離れていった。静かに騎士の後をついていけば、程なくして国王陛下の執務室に辿り着いた。
 重厚な扉から感じる測り知れない重圧。並の令嬢であれば、呼び出されたというだけで膝を震わせるような場面だろう。

(やれやれ。ようやくあのうるさい会場から脱出できたと思ったら、今度は国王陛下の執務室か。まあ、あんな不快な夜会よりはマシか)

 しかし、私にとってはまさに救いの手だった。不快な視線に晒され続けるというのも楽ではない。

 騎士が扉を開け、私は静かに1歩を踏み出した。部屋の奥に存在する巨大な執務机に座る国王陛下は、私の姿を見るなり笑みを深めた。

「よく来てくれた、リリス嬢。君のその揺るぎない眼差しを見ると安心するよ」
「恐れ多きお言葉にございます、陛下。本日はどのような御用でしょうか」

 私は完璧な角度で頭を垂れる。言葉遣いはどこまでも謙虚ではあるが視線は一切逸らさず、陛下の瞳の奥にある意図を探り出す。

「ははは、相変わらずだな。まあ、かけてくれ」

 陛下は苦笑しながら、ソファーに座るように促した。「失礼します」と加えてから腰かけると、向かいのソファーに移動してきた陛下は、話すよりも先に1枚の書類を差し出してきた。

「単刀直入に言おう。リリス・フォン・アステリア嬢。君にしか頼めない縁談があるんだ」
「……縁談、でございますか?」

 予期せぬ単語に、私は僅かに眉を動かす。

(『魔女』と噂されている私に縁談を持ち込むなんて正気だろうか。いや、この国王陛下もかなりの変わり者だからな。とりあえず話だけでも聞いてみるか)

「…リリス嬢、失礼なことを考えていることが丸わかりだぞ」
「いえいえ、そんなはずありませんよ。まずは、お話だけでもお聞かせ願いたいと思っていた所です」

 話の続きを促せば、陛下はコホンとわざとらしく咳払いをしてから口を開いた。

「相手は、カイル・バナード伯爵だ。若くして北方の守護を担う有能な男だが……いかんせん、周囲の噂が芳しくない。女癖が悪いだの、不愛想だの、挙句には『女を石にする』などという噂まで出回っているのだ」
「石にする、ですか。それは興味深いですね」

(石ならば、高度な土属性魔法の使い手の可能性もあり得るな。なんと興味深い力だろう)

 思わず口元を歪めると、陛下は呆れたように付け加えた。
 
「…いや、比喩だ。それほどまでに女性が寄り付かず、縁談がことごとく潰れているのだよ」
「…それはそれは」
「明らかに落胆しないでもらえるかな」

 くすくすと笑われてしまえば、返す言葉もない。唇を尖らせた私を見て、陛下はその切れ長な目を細めた。
 
「だが、君のような強心臓……失礼、精神的に強い才女であれば、彼と対等に渡り合えるのではないかと思ってね」

 つまり、難癖同士上手い具合に縁談をまとめてくれないか、と。そういう解釈でいいのだろうか。
 そんな私の疑問を汲んだかのように、陛下は小さく息をついた。

「これは王命ではない。……だが、王としての『頼み』だ。どうか一度、彼に会ってはもらえないだろうか」

 何とも返事をできないまま、とりあえず書類の文字を目で追う。
 カイル・バナード伯爵。北方。軍務。
 
 (北方防衛に執念を燃やすお方か。仕事の多さから考えても、仕事以外の時間は女癖の悪さが噂されるアレコレに使っているに違いない。……待てよ、こんなにも忙しい人を旦那様にすれば、結婚後も誰にも邪魔されず、朝から晩まで研究に没頭できるんじゃないか?)

 私の唇が、無意識に微かな弧を描く。
 結婚なんて煩わしいものだと思っていたが、私に興味のない人を旦那様にすれば何の問題もないではないか。これは盲点だった。なんて素晴らしい発想。自画自賛したいものだ。

「……分かりました。陛下がそこまで仰るのでしたら、ぜひ一度お会いいたしましょう」
「本当か!ならば、近いうちに見合いの席を設けよう!」
 
 どうやら、陛下が諸々の手回しはしてくれるらしい。
 『魔女に最も近い者』として国王陛下に呼び出されることも少なくなかったが、ここにきてメリットが出てくるとは。今までの面倒事も、今日のためだと思えば、お釣りが返ってくる。
 
(あとは、未来の旦那様を言いくるめるだけだな)

 __女癖の悪い多忙な伯爵。

 傍から聞けば良くない評判かもしれないが、私にとっては好物件だ。ぜひともここで言いくるめ、その日のうちに婚姻届けにサインさせたいものだ。

「ありがとうございます、陛下。お心遣いに心より感謝申し上げます」

 私は優雅に一礼し、執務室を後にした。

 そんな話から半月後。
 驚くほどの速さで整えられた見合いの場への招待状が、我が家に届いたのだった。


◇◇◇


 お見合いの場に指定されたのは、王宮の端に位置する静穏な庭園であった。
 木漏れ日が降り注ぎ、色とりどりの花々が咲き誇る。まさに見合いに相応しい舞台だ。私は最高級の素材で仕立てられた淡い紫のドレスを纏い、背筋の伸ばしてその時を待っていた。

 身分の高い者ほど、時間に追われることは少ない。故に伯爵や令嬢の見合いの場では、大抵余裕をもって集まるのが常である。遅刻など、滅多に起こるものではない。まして今日のように時間が迫っても尚、相手の姿が見えないという事態は、極めて珍しいことだった。
 
(…さて、集合の15時まであと2分。遅刻は構わないが、事故でも起きていないだろうか)

 待つことは嫌いではないため、気長に待っていようと木々を見上げたその時だった。生垣の向こうから、酷く重たい、引きずるような足音が聞こえてきた。

「……すまない。遅れた」

 現れたのは、1人の男性であった。
 仕立ての良い紺色の燕尾服。高価な生地であることは一目で分かるが、あちこちに皺が寄り、まるで脱ぎ捨てられた服を慌てて拾い上げたかのような惨状だ。そして何より目を引くのは、その顔立ちであった。
 彫りの深い、本来なら見惚れるほど整った容貌。しかし、その目の下には泥でも塗ったかのような特大の隈が居座り、瞳には光の一切がない、いわゆる『死んだ魚の目』をしている。

(うわあ……。想像以上の重症だな。隈の色の濃さから推測するに、平均睡眠時間は2時間を切っているだろう。自律神経はボロボロで、栄養状態も最悪。今すぐ点滴が必要なレベルじゃないか)

 そうは思っても顔に出すわけにはいかない。私は内心の驚愕を完璧な微笑みの下に隠して、懐中時計を開いた。

「いえ、遅れていませんよ。今まさに15時になったばかりです」

 懐中時計を見せてから閉じ、私は音もなく立ち上がる。

「お初にお目にかかります、カイル・バナード伯爵。アステリア公爵家が長女、リリス・フォン・アステリアでございます。お会いできて光栄です」

 優雅にお辞儀をすると、カイル様は私の顔をじっと……いや、焦点の合わないぼんやりとした視線で見つめた。そして、挨拶を返すよりも先に、掠れた声でこう漏らした。

「………悪い……座ってもいいか。死にそうなんだ」

 予想外の言葉に目を瞬く。

(第一声がそれか!挨拶や賛辞、社交辞令を一切合切切り捨てたと。 面白い!嫌いじゃないぞ、その合理性)

「…ええ。もちろんですわ、カイル様。どうぞ、こちらの椅子にお掛けになってください」

 私が手近な使用人に合図を送ると、すぐに紅茶が注がれる。しかし、まるで興味が無さそうな彼は崩れ落ちるように椅子に座り、深く重いため息をついた。

(さて、噂によれば女癖が悪く、不愛想で女を石にするらしいが…)

 チラッと目線を向ければ、彼もまた眉間に皺を寄せながら顔を上げた。

「…すまない。昨夜、報告書を仕上げていたらそのまま朝になってしまって……」

(この死にかけの人が、そんな愚行を行うとは到底思えないな)

 紅茶に口をつけて観察する間にも、再度深いため息をついている。さながら苦労人のオーバーワーカー。死んでいない方が奇跡と言えるレベルだろう。

(なんだか申し訳ないな。ここはさっさと本題に入って差し上げるべきか)
 
「大変お忙しいのですね。その最中、私のような『魔女』と噂される女との時間を取らせてしまい、申し訳ありません」

 寂しげな声と共に小首の傾げてみる。カイル様は重い瞼をゆっくりと動かし、ようやく私を1つの個体として認識したような視線を向けた。

(さあ、どう来る? 私の不気味さに恐れるか、あるいは噂通り冷たくあしらうか。どちらにせよ、私のペースに持ち込ませてもらおうか)

 心の中で小さくほくそ笑んでいると、カイル様はまるで私の動きを真似たように首を傾げた。

「魔女…?何を言っているんだ?それは空想の存在だろう」

 再び予想外の言葉。思わぬ角度からの言葉に固まれば、不思議そうな顔をされた。

「リリス嬢のことは存じ上げている。魔法を使うことのできる勤勉な方であると」
「え、っと、はい。そのように評価していただけて嬉しいのですが、、」

(なんだろう、この感じ。正直、この方面からの展開になるとは微塵も考えていなかったぞ)

 カイル様は紅茶を一口飲み、ようやく人心地ついた様子だった。

「…縁談の時間を取らせてしまって申し訳ないのはこちらの方だ。国王陛下からの打診で断れなかったのだろう?」

 彼の顔にようやく宿った感情は、申し訳なさだった。眉を下げ、まるで同情でもするかのような表情に、庇護欲が搔き立てられる。不思議だ、彼のことを甘やかしたくて仕方ない。

「陛下から、リリス嬢は非常に理知的で多少のことでは動じない方だと聞いている。だから、単刀直入に言わせてもらうが」

 カイルは一呼吸おいてから重い口を開いた。

「俺に女性を喜ばせるような振る舞いは期待しないでほしい。君のドレスを褒める語彙も、エスコートの技術も、何も持ち合わせていないんだ」

 その言葉には、一切の虚飾がなかった。きっと事実なのだろう。それを素直に伝えてくれる辺り、好感が持てる。
 私は彼の言葉に、わずかに身を乗り出した。完璧な令嬢としての微笑みはそのままに、瞳の奥に好奇心の火を灯してしまう。消せと言われても無理な話である。こんなにも面白いタイプは、生まれてこの方出会ったことがない。
 
 それに悪い噂が出回っているようだが、もしやそれは勘違いではなかろうか。


 __そう、ただの才女である私が『魔女』と忌避されている件と同様に。

 
「まあ、カイル様。私に対して、そのような素直な言葉をくださるなんて嬉しい限りでございます。しかし、私にそれらは不要です。ただただ、ありのままのカイル様で全く問題ありません」

 そういうと、素直に怪訝な顔をされた。こういう所がカイル様の良い所なのだろう。心の中で大いに頷きながら言葉を続ける。

「私は社交界では『魔女』と呼ばれている存在です。どの方も私の前では引き攣った笑顔で取り繕うか、あるいは恐怖に震えるばかり。カイル様のように会話を続けてくださるだけで、私は嬉しくてたまらないのです」
「震える…? なぜだ。君は、見たところただの小柄な少女だが。……ああ、魔法が得意だと伺っていたが、それが何か問題なのか?」

 カイル様は不思議そうにしている。どうやら、『魔女』としての噂は彼の元には届いていなかったらしい。
 きっと、今回の縁談の件を国王陛下から打診された時にようやく私のことを知った程度なのだろう。その上で、魔女と呼ばれている意味が分からず、流したに違いない。彼とは今日初めて会ったばかりだが、そうしている様子が目に浮かぶ。

「ふふっ。カイル様のように素直に評価してくださる方が、社交界に増えてくだされば良いのに」

 私がそう零すと、カイル様は目を瞬いた。寝不足もあるだろうが、先ほどから話についてこられないのだろう。それでも、素直に耳を傾けてくれるところが実に愛らしい。

(うんうん、申し分ない。仮に噂が本当だとしても、大した問題ではないだろう。人は一癖二癖あった方が味があるというもの。女癖の悪さに関しては、話し合いで折り合いをつければいいさ)
 
 庭園に流れる風が、カイル様の運んできた重苦しい空気と私の纏う静謐な空気を混ぜ合わせていく。ここまでの会話で無駄な駆け引きは不要だと察した私は、背を伸ばして直球勝負の提案をした。


  「カイル様、私と結婚してください」


 私の言葉にカイル様だけでなく、待機していたメイドたちまでもがあんぐりと口を開けた。静かな庭園には鳥のさえずる声が聞こえる。しばしの静寂の後、ようやく口を開いたカイル様は酷く動揺していた。

「…な、なにを、俺には今、誰かと愛を育むような時間も余裕もないんだ」

 その言葉に嘘は混ざっていない。事実、忙しいのだと察せられた。

「ええ、分かっておりますわ。今日のご様子から、しかと理解いたしました」
「なら、」
「しかし!このままお互いに陛下からの打診で縁談に追われる日々を望んではいないでしょう。実のところ、私も『魔女』という噂が付き纏うせいで、純粋な好意からの縁談は来ませんの」

 そう、私だって縁談が来ないわけではない。
 ただ、どれもが兵器利用を目論んでいたり、魔法の悪用が裏にある縁談ばかり。死地に行くような真似は流石にしたくないため、怪しいものを断っていたらまともな縁談が残らなかったというわけだ。

「私はただ、誰にも邪魔されず知見を深める時間を守りたいのです。王都の騒がしい夜会にも、私を『魔女』と呼ぶ者たちの視線にも、もううんざりしていますの」

 私はそこで一度言葉を切り、優雅に立ち上がった。カイル様を見下ろす形になり、私は最高の条件を提示する。

「ですから、私たち結婚いたしましょう。そして、すぐに別居しましょう」
「……何?」

 カイルの死んだ魚のような瞳が、初めて大きく見開かれた。彼が極めて人間らしい反応を示した瞬間である。

「私は王都を離れ、貴方様の領地のどこか適当な別邸に住みますわ。カイル様は今まで通り、北方の最前線で仕事に没頭してくださって結構です。年に数度ある、公的な場に顔を出す必要がある時だけ、私が『完璧な妻』として隣に立ちましょう。それ以外の時間は、お互いに一切干渉しないこと。

___この条件の元の結婚でしたら、いかがでしょうか?」

 自信満々の提案に、カイル様の目が何かを思案するように動いた。そして程なくして、再度私を見上げる。
 
「……正気か。それではリリス嬢にいうメリットに対して、結婚という縛りは余りにも大きくないか?」
「いえ、メリットの方が大きいですわ。私は『伯爵夫人』という隠れ蓑と、静かな環境が手に入ります。そして、騒がしい社交界から合法的に離れることができ、忌避の目に晒されずに済むようになります。これは、私にとっては何事にも代えがたいメリットです。これ以上に合理的な取引は、きっとどこにもありません」

 カイル様は、私の言葉を1つずつ咀嚼するように検討している。その間、私は彼の表情の動きを微塵も見逃さぬよう観察を続けた。

(さあ、乗ってくれ。この契約は、あなたにとってもメリットが大きいはずだ。私を愛する必要も、世話しなければならない義務もない。お互いに求める好物件であることは間違いないだろう)

 程なくして、
 
「……君は、本当に変わっているな。『魔女』と呼ばれている理由が、少しだけ分かった気がする」

 カイル様はそう漏らすと、長く息を吐いた。その瞳からは、先ほどまでの虚無感が消えていた。私という存在を、自分と同じ目的意識を持つ人間として認識した色が宿っているように感じられた。

「ふふっ、魔女?いいえ、ただの才女でございます」

 悪戯にそう返せば、彼は小さく笑みを漏らした。

(なんだ、笑えるではないか)

 その表情は柔らかく、年相応のものであるように感じた。

「……本当にいいのか?後悔しないな?」
「ええ。約束いたします。私はカイル様のお仕事の邪魔はしませんし、カイル様も私の学びの自由には口を出さない。……これで契約成立、ということでよろしいでしょうか?」

 彼は大きく頷くと、そのマメだらけの大きな手を差し出した。応えるように、私も手を差し出す。そして、強固な握手が交わされた。
 それは、婚約成立よりも商業の契約が成立した時の握手に限りなく近かった。
 
 利害の一致による契約結婚。

 両者は、今日の縁談で得たものに対して大いに満足したのだった。

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