優しい雨が降る夜は
「いつもみたいに、仕事の帰りにあのカフェで本を読んでたの。そしたら栞を落としたみたいで、男性が追いかけて来て渡してくれて……。傘も持たずにそのまま走って行こうとするから、歩いてくださいって言って、隣に並んで歩いたの。ちょうど方角も同じだったし。そしたらお礼にって、これをくれて。なんだか逆に悪いことしちゃった。ほんとはあの人が食べるはずだったのに」
美空は、ふーん、と言いながら頬杖をつく。
「多分さ、その男性はお姉ちゃんだからこれを渡そうと思ったんだよ」
「え? どういうこと?」
美月が眉根を寄せると、美空はふふっと笑って宙に目をやった。
「きっと普通の人なら『濡れちゃうから、傘入ってください』とか言うと思うんだよね。だけどお姉ちゃんは、走って行こうとするその人に『歩いてください』って言って、隣を歩いた。傘に入れてあげるって素振りなく、結果的にその人は傘に入れてもらったのよ。だからその人も、なにかお姉ちゃんにさり気ないお返しをしたくなったんじゃないかな?」
そう言ってから、美空は身を乗り出して尋ねる。
「ね、どんな人だったの? その男性」
「えっとね、焦げ茶色のスプリングコートを着ていて、背の丈は私より20cmほど高く、髪はナチュラルな感じで色は黒……」
すると美空が「ちょちょ、ちょっと!」と手で遮った。
「警察の目撃証言じゃないんだから。もっとこう、他に言い方あるでしょ?」
「たとえば?」
「んー、じゃあ年齢はいくつくらい?」
「そうね、ギリギリ平成ひと桁生まれじゃないかしら」
「ぶっ、昭和ひと桁みたいに言わないの! じゃあ、芸能人で言うと?」
「思いつく芸能人がいないわ。テレビも動画も見ないから」
「でしょうね。もうー、ほんとにお姉ちゃんって、なんて言うのか、浮世離れしてる」
美空はため息をついてから、声を潜めてポツリと呟く。
「お姉ちゃん、ほんとにするの? お見合い」
「なあに? いきなり。うん、するわよ。時の流れがこのままならね」
「また昭和歌謡曲みたいなこと言って……。実家に帰る度に私、お父さんとお母さんに念を押されるのよ? 美月は本当にお見合いの話を進めるつもりなのか? このままだとすぐに25歳になるぞって。お父さんもお母さんも、お見合いには反対みたいよ。自分で好きな人を見つけてほしいって」
父親の学生時代からの古い親友に、美月より5歳上のひとり息子がいて、その息子が30歳、つまり美月が25歳になっても互いにいい人がいなければ、お見合いさせようと言われたらしい。
小さい頃はよく一緒に遊んだこともあり、相手側は美月とのお見合いに乗り気だとか。
なんでも「今どき珍しく、擦れてない家庭的なお嬢さん」という印象を持たれているそうだ。
父は美月に、どうせ断るだろうと思いつつその話をしたらしいが、美月があっさり「それもいいね」と頷いたものだから、未だにオロオロしている。
「お姉ちゃんてさ、平安時代だったらモテただろうなって雰囲気で、親世代にはウケがいいよね」
「なにそれ。褒めてるの? けなしてるの?」
「分かんないけど、とにかくお見合いには向いてる気がする。軽い気持ちで引き受けたら、あとに引けなくなるかもよ?」
「承知の上よ。全くの見ず知らずの相手ではないし、25歳になったら話を進めるわ。私に彼氏は出来ないだろうから」
「もう、お姉ちゃん! 分かってる? お見合いって、そのまま行くと結婚するのよ?」
「もちろん分かってるわ。それをお見合いと呼ぶのだから」
「その語り口調はやめて。ほんとに分かってる? 恋をせずに結婚することになるのよ?」
恋……と美月は考え込む。
「そうね、そこに恋はないでしょうね。だって最初から『結婚しますか? しませんか?』って話し合うんだから。あっ、でもそこに愛はあるんじゃない? ほら、お見合いの『あい』」
ガクッと美空は首を折った。
「お姉ちゃん、本の読みすぎだよ。どうしてそう、なんでもかんでも言葉遊びみたいになるの? もっとこう、人との会話のやり取りで楽しめない?」
「んー、気兼ねなく話せる相手は美空くらいだもん。いつも相手の様子を気にかけながらしゃべってて、逆に疲れちゃう。本なら、なんでも好きなことを思いながら読めるでしょ? そこが楽しいの」
「そうなんだ……。それなら、『読書好きの会』みたいなので相手を探したら?」
「そうなの! 実際にそういうの、あるのよ! 私の職場で月に一回集まってる『本読み会』っていうのが」
急に声を張ると、美空は驚いたように身を引く。
「へ、へえ、あるんだ。そこでいい人見つけられそう?」
「話が合うおばあちゃんはいるよ。でね、その会の最高齢のおばあちゃんが、昭和ひと桁生まれなのよ。すごいでしょう?」
「う……うん。そっか。じゃあ私、そろそろ寝るね。なんだかついていけなくなったから」
フェイスパックをつけたまま、ヨロヨロと立ち上がる美空を、美月は「おやすみ」と声をかけて見送った。
美空は、ふーん、と言いながら頬杖をつく。
「多分さ、その男性はお姉ちゃんだからこれを渡そうと思ったんだよ」
「え? どういうこと?」
美月が眉根を寄せると、美空はふふっと笑って宙に目をやった。
「きっと普通の人なら『濡れちゃうから、傘入ってください』とか言うと思うんだよね。だけどお姉ちゃんは、走って行こうとするその人に『歩いてください』って言って、隣を歩いた。傘に入れてあげるって素振りなく、結果的にその人は傘に入れてもらったのよ。だからその人も、なにかお姉ちゃんにさり気ないお返しをしたくなったんじゃないかな?」
そう言ってから、美空は身を乗り出して尋ねる。
「ね、どんな人だったの? その男性」
「えっとね、焦げ茶色のスプリングコートを着ていて、背の丈は私より20cmほど高く、髪はナチュラルな感じで色は黒……」
すると美空が「ちょちょ、ちょっと!」と手で遮った。
「警察の目撃証言じゃないんだから。もっとこう、他に言い方あるでしょ?」
「たとえば?」
「んー、じゃあ年齢はいくつくらい?」
「そうね、ギリギリ平成ひと桁生まれじゃないかしら」
「ぶっ、昭和ひと桁みたいに言わないの! じゃあ、芸能人で言うと?」
「思いつく芸能人がいないわ。テレビも動画も見ないから」
「でしょうね。もうー、ほんとにお姉ちゃんって、なんて言うのか、浮世離れしてる」
美空はため息をついてから、声を潜めてポツリと呟く。
「お姉ちゃん、ほんとにするの? お見合い」
「なあに? いきなり。うん、するわよ。時の流れがこのままならね」
「また昭和歌謡曲みたいなこと言って……。実家に帰る度に私、お父さんとお母さんに念を押されるのよ? 美月は本当にお見合いの話を進めるつもりなのか? このままだとすぐに25歳になるぞって。お父さんもお母さんも、お見合いには反対みたいよ。自分で好きな人を見つけてほしいって」
父親の学生時代からの古い親友に、美月より5歳上のひとり息子がいて、その息子が30歳、つまり美月が25歳になっても互いにいい人がいなければ、お見合いさせようと言われたらしい。
小さい頃はよく一緒に遊んだこともあり、相手側は美月とのお見合いに乗り気だとか。
なんでも「今どき珍しく、擦れてない家庭的なお嬢さん」という印象を持たれているそうだ。
父は美月に、どうせ断るだろうと思いつつその話をしたらしいが、美月があっさり「それもいいね」と頷いたものだから、未だにオロオロしている。
「お姉ちゃんてさ、平安時代だったらモテただろうなって雰囲気で、親世代にはウケがいいよね」
「なにそれ。褒めてるの? けなしてるの?」
「分かんないけど、とにかくお見合いには向いてる気がする。軽い気持ちで引き受けたら、あとに引けなくなるかもよ?」
「承知の上よ。全くの見ず知らずの相手ではないし、25歳になったら話を進めるわ。私に彼氏は出来ないだろうから」
「もう、お姉ちゃん! 分かってる? お見合いって、そのまま行くと結婚するのよ?」
「もちろん分かってるわ。それをお見合いと呼ぶのだから」
「その語り口調はやめて。ほんとに分かってる? 恋をせずに結婚することになるのよ?」
恋……と美月は考え込む。
「そうね、そこに恋はないでしょうね。だって最初から『結婚しますか? しませんか?』って話し合うんだから。あっ、でもそこに愛はあるんじゃない? ほら、お見合いの『あい』」
ガクッと美空は首を折った。
「お姉ちゃん、本の読みすぎだよ。どうしてそう、なんでもかんでも言葉遊びみたいになるの? もっとこう、人との会話のやり取りで楽しめない?」
「んー、気兼ねなく話せる相手は美空くらいだもん。いつも相手の様子を気にかけながらしゃべってて、逆に疲れちゃう。本なら、なんでも好きなことを思いながら読めるでしょ? そこが楽しいの」
「そうなんだ……。それなら、『読書好きの会』みたいなので相手を探したら?」
「そうなの! 実際にそういうの、あるのよ! 私の職場で月に一回集まってる『本読み会』っていうのが」
急に声を張ると、美空は驚いたように身を引く。
「へ、へえ、あるんだ。そこでいい人見つけられそう?」
「話が合うおばあちゃんはいるよ。でね、その会の最高齢のおばあちゃんが、昭和ひと桁生まれなのよ。すごいでしょう?」
「う……うん。そっか。じゃあ私、そろそろ寝るね。なんだかついていけなくなったから」
フェイスパックをつけたまま、ヨロヨロと立ち上がる美空を、美月は「おやすみ」と声をかけて見送った。