優しい雨が降る夜は
「そう言えば美月。お見合いって、どうなった?」
「え?」

美月は首をかしげてから、「ああ」と頷く。

「忘れてました」
「わ、忘れてた? いいのか、それで」

あんなにお見合いしてほしくないと思っていたのに、あっさり否定されるとそれはそれで気になった。

「大丈夫です。もともと私の父は断ろうとしていたのに、私が乗り気だったから困っていたみたいで。美空に、なんとかして忘れてくれないだろうかとこぼしていたそうです。だから父は、今頃喜んでるかも? 改めてお断りしますって伝えておきますね」
「そうか」

ようやく優吾はホッとする。
だが再び美月の頭を抱き寄せた時、美月がポツリとつけ加えた。

「でも父も母も、今はそれどころではないかも。美空の結婚話で」

は?と優吾は、目をしばたたかせる。

「美空ちゃんが、結婚? それって、相手は光太郎か?」
「はい、もちろん。あれ? 光太郎さんから聞いてませんか? 3日前にうちの実家に挨拶に来てくださったそうですよ」
「あいつこの2日間連休だったから、会ってないんだ。そんな話になっていたとは……。そう言えば、最近妙に浮かれてたな。俺が風邪引いてる間に仕事進めててくれたから、悪かったなって言ったら、実績増えて男が上がったからいいよ、とかなんとか。そうか、あいつが結婚……」

優吾も、急に結婚が現実的に思えてきた。

(いつか自分も、美月のご両親にお許しをもらいに行く。必ず認めていただけるように)

そう固く心に決める。

(時期は美空ちゃんの結婚が落ち着いてからの方がいいか)

そこでふと気になった。

「美空ちゃんはまだ大学生だろ? 卒業してから結婚するのか?」
「卒業式を終えたらすぐするみたいです。春から就職が決まっているので、名字も変えてから入社したいみたいで」
「へえ、なるほど。ご両親もそれでいいと?」
「はい。光太郎さんなら安心して嫁に行かせられるって言ってました。逆に美空があちらのご両親に受け入れてもらえるか、心配で。近々挨拶に行くみたいです」
「それは大丈夫だろう。美空ちゃんは明るくて社交的で、まだ大学生なのに光太郎との結婚を決意したんだ。大事にされると思うよ」
「そうだといいですね」

そう言った切り美月はうつむき、不安げな表情を浮かべる。

「美月? どうした?」
「いえ、なにも」
「そんなことないだろう。なにを考えてた?」
「特になにも」
「……話してくれるまでキスするよ」

そう言って優吾が美月の頭を抱き寄せると、美月は焦ったように胸を押し返した。

「分かりました、言いますから」
「なに?」
「はい、あの。私は大丈夫かなって。その……雨宮さんのご両親に、受け入れていただけるかなと不安になって。すみません。まだそんな話にもなってないのに、うぬぼれてしまって」

優吾は一瞬驚いてから、嬉しさに目を細める。

「美月、そんなふうに考えてくれてるんだ」
「いえ、あの、すみません。雨宮さんは、まだまだそんなこと、私を相手に考えられないですよね? それなのに、私ときたら」
「いや、俺も同じことを考えていた。心して美月のご両親に挨拶して、必ずお許しをいただかなければと」
「え?」

顔を上げた美月は、みるみるうちに頬を赤く染めた。

はにかんだ笑みを浮かべて視線を落とす美月を、優吾はグッと抱き寄せる。

「美月、1つだけ今から練習しておいてほしいことがある」

耳元でささやくと、美月は真剣に頷いた。

「はい。どんなことでしょう?」
「俺の名前を呼ぶ練習」
「分かりました。雨宮さん、でよろしいですか?」

思わず優吾は吹き出した。
甘い口調でささやいたつもりなのに、なぜこんな変化球が返ってくるのか。

優吾は今度は、真顔でじっと美月を見つめる。

「俺の両親に会った時、雨宮さんと呼んだら、親父とおふくろが返事をするぞ?」
「はっ、確かにおっしゃる通りですね。それに雨宮さんは、ご両親がつけられた立派なお名前をお持ちですもの。無下にする訳にはまいりません」

なんだかお堅い雰囲気になってきたが、まあよしとしよう。

「じゃあ美月、呼んでみて」
「はい。いざ、失礼して」

キリッとした表情で優吾を見上げたかと思ったら、美月は困ったように涙ぐみ始めた。

頬を真っ赤に染めながら、潤んだ瞳で優吾を見つめて、小さく呟く。

「ゆ、優吾、さん」

可愛らしい声色に、優吾の胸がキュンと締めつけられた。

「美月……」

両腕で抱きしめて、ピンク色の美月の頬にチュッと口づける。

「毎回そんなに甘い声で呼んでくれるの?」
「いえ、あの。これからきちんと滑舌良く呼べるように練習します」
「ははっ! では、練習をどうぞ」
「はい。……優吾、さん」
「自己採点で、何点?」
「5点です」
「低っ!」

優吾は笑って美月の顔を覗き込む。

「俺にとっては、どんな美月の声も100点満点だよ」

ますます真っ赤になる美月に、ふっと笑みを浮かべてから、優吾は優しく美月の唇にキスをした。
< 83 / 93 >

この作品をシェア

pagetop