桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

3 赦されない罪

3 赦されない罪

「きゃー!」
 ジャボーン!
 凄まじい音と共に上がった水飛沫。頭からお湯の中に突っ込んだ私は、急いで水面に顔 を出す。水飛沫は私とチェシャ猫を陥れたディーとダムに襲いかかったようだけれど、どこから出したのか双子は傘で水飛沫を防いでいた。
「ディー! ダム! 何をするの! 危ないよ!」
 私を突飛ばしたディーとダムを睨むけれど、二人は悪いとも思ってないようで、けろりとして言い放つ。
「王様に会うんだから」
「綺麗にしなよ」
 妖しい笑みを浮かべると、そそくさと入浴場の扉を閉めてしまった。
「アリス、大丈夫かい?」
「うん」
 ディーとダムの案内に正直についていった私とチェシャ猫は、この状況に呆然とする。チェシャ猫に至っては殺気が出ているような気がした。途中から変だなって思っていたけど、やっぱりこういう結果になって、自分の洞察力のなさを悔やむ。
「僕は上がるよ」
 お湯から上がったチェシャ猫は、水を払うと思いきや、そんな気配はなく。不思議そうに服を持ち上げてみせる。
「服が、濡れてないね」
「え、あ、本当だ!」
 私も試しにあがってみると、先ほどまでびっしょりと濡れていたエプロンドレスが嘘のように乾いている。
「不思議! 見てチェシャ猫! ほら!」
足をお風呂に入れて、出してを繰り返す。靴下が濡れたり乾いたり。
「ふふっ! 面白いね!」
 一瞬で濡れたり乾いたりの感覚が楽しくて、調子が乗ってお湯から上がったままのチェシャ猫に水をかけたりもしてみた。
「わ!」
 腕を上げ水から顔を守るチェシャ猫。しっぽが嫌だと言うように、勢い良く振り回されて、それも何だか面白い。
「ねぇチェシャ猫、水は嫌い?」
 バシャバシャと足を水面上でばたつかせながら、チェシャ猫に問いかける。チェシャ猫を見つめると、私がかけた水が乾いていくところだった。髪についた雫のいくつかは、髪を伝い下へと落ちていく。
 その雫が、とても綺麗で。チェシャ猫の濡れた茶色の瞳が、いつもと違って見えた。心臓がドキリとはねる。
「水は嫌いだよ。雨もあまり好きじゃないよ。けど」
 チェシャ猫は双子が置いていった傘を拾うと、私を傘の中に入れる。
「君が楽しそうなら、僕は水も好きだよ。君が楽しそうにしていると、同じ景色でも世界が違って見えるからね。水も悪くないって思えるよ」
 チェシャ猫の赤い髪から、最後の雫が落ちる。
 雨。傘。赤い髪を滴る雫。チェシャ猫。
 前に思い出せなかった記憶が、ふわりと浮き上がる。それはチェシャ猫と出会った時の記憶。
『ねぇ、こんな所で座っていたら風邪引いちゃうよ?』
 降りしきる雨。久しぶりに降った雨の中。街の外れで見つけた男の子は膝を抱いて座っていた。キャップ帽から少しだけ見えた、濡れた赤い髪服もびっしょりと濡れていて、どれだけ長い間雨にさらされていたのかを思い知らされる。
 すっ、と傘を差し出すと、体が反応したかのようにピクリと身体が動く。けれど男の子は直ぐに答えず、表情はキャップ帽で見えないままで。
 反応がないのが不思議で顔を覗き込むと、男の子がポカンとしていたのを覚えている。瞳には、驚きと戸惑いが揺れていた。
『ぼく、ぼくは、』
『ん? なあに?』
 小さな声は雨の音で掻き消され、呟きの言葉は続きを失う。
『家はどこ? 雨がね、すごいから。アリスがね、送ってあげる!』
 そう言うと男の子は暫く黙ってしまった後、家はないと言った。
『じゃあアリスのお家行こう! お城ね、お部屋広いんだ!』
『でも、怒られたりしない? 怒鳴られたりしない?』
『平気! アリスがいるから!』
 ちぐはぐな会話に男の子はまたポカンとしたようで目を大きく見開いた。
 その時、雨の雫が真っ赤な髪を伝いながら落ちていく様子を、私は綺麗だと思った気がする。
「アリス?」
「あっ!」
 チェシャ猫に声をかけられ、現実に引き戻される。
「ごめんね、ぼーっとしちゃった」
「いいよ、大丈夫かい?」
 チェシャ猫の顔を見ると、心配して眉を寄せている。これ以上心配かけちゃいけない。けどやっぱり聞かなきゃ。
「チェシャ猫、チェシャ猫の呪いを教えて」
 直球に言い過ぎたかもしれない。チェシャ猫は目を見開いた。でもこれ以上うやむやにしたくない。
『アリス、僕には呪いがかかっていて、いずれ世界が――の時、――きゃいけないんだ。だから、アリスは――』
 あの言葉から読み取って予想すれば、世界に変化が訪れた時、かけられた呪いはチェシャ猫を襲う。
『僕は――たいよ』
 失ったチェシャ猫の望みを、二度と叶えられなくなるかもしれない。 そんなのは絶対嫌。チェシャ猫が苦しむ前に何とかしたい。
「不安なの。チェシャ猫が呪いで苦しんでいるんじゃないかって。ずっと不安が消えない。むしろ時が経つにつれ、先へ進むにつれ不安は募っていくの」
「僕の言動が、君を不安にさせていたなら謝るよ。でも、僕の呪いはそんなに苦しいものではないよ」
 大丈夫、とチェシャ猫は私の頭を撫でる。チェシャ猫は呪いを教えてくれようとはしない。チェシャ猫は呪いを口に出すのを嫌がっている。きっとこれが呪いを聞く最後のチャンスかもしれない。この時を逃したら、もう聞くことは出来ない。チェシャ猫を困らせてしまうから。
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