桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
 横からハンプティが出てきて、続けざまにトランプ兵を倒していく。その姿はお姫様を助けてくれるおとぎ話の王子様だ。
「ありがとう、ハンプティ」
 何度目か分からないありがとうを呟いて、もう一度駈ける。今度はウサギ耳だけじゃなくて、姿をはっきりとらえる。
 やっと貴方に追い付いた。何度追いかけて、何度逃げられて、何度消えてしまっただろう。物語の真実は残酷で、例えこの先その真実が貴方を引き裂こうとも、私は諦めない! 
黒ウサギと視線が交わって、お互い声を出そうと口を開く。けれど、どちらも声をあげることはなかった。
「アリス!」
 視界に雪のような白が飛び込む。白と黒。目の前に出逢えなかった色彩が揃う。ぼやける視界を振り払って、前に進む。
 どれほどの長い時間、私達はこの時間を探したんだろう。
「黒ウサギ」
「白ウサギ」
 全く同じ表情でお互いを見合う。私はたまらずに、二人の首元に手を回して飛び込む。身体に衝撃が走ったけど、そんなの気にしていられなかった。左には白い髪が、右には黒い髪が見える。背伸びをして二人を抱き締めたらもう我慢出来ない。
「白ウサギ! 黒ウサギ! やっと会えた! やっと会えたね!」
 ずっと会えなかった二人が、すれ違って、交われなかった道が、やっと今ひとつになった。
 千四百年ぶりの邂逅。これ以上、もう二人に、皆に辛い想いはさせない! 
「二人の時計、どうか秒針を止めて!」
 首にかけていた二人の懐中時計が黄金に光る。光は輝きを増して、街を照らした。眩しさに誰もが目をあけることが出来ない。
 暖かい光。暖かい二人の体温。抱き締めた身体はいまだに腕の中にある。消えないように抱き締めると、背中に腕が回された。二人が私を抱き締め返してくれている。
「ありがとうございます、アリス」
 左耳で優しく囁かれ、胸がいっぱいになる。黒ウサギ何も言わなかったけど、腕の力をこめてきた。肝心なことは言ってこないのは、黒ウサギらしいな、と思う。
 崩壊の音も人々の叫びも争う声も、もう聞こえない。ゆっくりと目を開くと、崩壊しかけていた街が元通りになっていく。空を覆っていた暗黒の混ざった雲は取り払われ、真っ青な空が世界を祝福している。歓声が上がった。トランプ兵も街の人々も皆も、輝きを見せた世界に安堵を示す。けれど私はまだ安心なんて出来ない。
「アリス、ごめん」
 不安を具現化するように、黒ウサギの身体が透けていく。
「黒、ウサギ」
 時計は止めたのにどうして、と白ウサギが呟く。けれど私はどうしてだなんて言えなかった。これが物語の真実。暗黒の魔女が書いたシナリオ。
「思い出したんだ。俺は白ウサギの双子じゃない。人でもない。暗黒の魔女が作った影だ」
 黙っていて悪い、と黒ウサギは私の頬を撫でる。私の頬には涙があって、黒ウサギはそれを掬った。
『何かが足りない』
 川でビルの持っていた絵本を読んだ時。
 幸せな世界。暖かい風。澄んだ空。大切な不思議の国の住人。今この世界にあるはずなのに、絵本にはなかった大切な何か。
 誰かが足りない。その誰かは黒ウサギだ。始まりの時間に、黒ウサギはいなかった。黒ウサギは、暗黒の魔女に魔法で作られた存在。呪いという魔法が解ければ、存在もとける。
「何なんですか、魔女の作った影って。僕らは双子です! 君は黒ウサギだ!」
 白ウサギが黒ウサギに向かって叫ぶと、消えかかった黒ウサギは一言だけ呟いた。
「すなない、さようならだ」
 黒ウサギの手を握る。片手で涙を拭ってアリスさんの懐中時計を出した。
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