桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
 お互い見つめ合うだけの、心の内を覗きあう沈黙が訪れる。お姉様の瞳の中には、私への不信感と不安はもう消えていた。それは「家族である私」を見つめる瞳。
「おかえりなさい、アリス」
「お姉様!」
 夫人が私を誘導し、猫を撫でるような優しさでそっと背中を押してくれた。勢いのまま、開かれた腕の中に飛び込む。
「ロリーナお姉様、ごめんなさい。私、お姉様達のことを忘れていたなんて。大事な家族なのに」
「いいのよ、誰の声も届かない、海の底のように深い、夢の中から帰って来てくれた。目が覚めたとき、貴女が貴女じゃないって分かって不安だったけれど」
 いつも優しいお姉様が、痛いくらいに私を抱き締めてくれる。
「いいの、いいのよ、今貴女はここにいる」
「お姉様!」
 また涙が出そうになる。私にとっては十四年ぶりに会えたお姉様だ。記憶が戻っても、十四年は私の記憶と心に刻まれている。長く会えなかった分、会えた喜びは大きく、そして何よりお姉様の想いが胸を貫いた。
 私が眠る間、お姉様がどれだけ不安で、私の心配をしてくれていたのか。抱き締められなくたって想像が出来てしまった。いつもの日課の読書も出来ないくらい、時計の針の一刻一刻が長く感じられるくらいに、お姉様にとって長い長い時間になったはず。
「ごめんなさい、心配かけて。でも、もう大丈夫だから。私は元気だし、記憶も戻ったの。だから心配しないで」
「え、えぇ、そうね」
 お姉様はハンカチを出すと、深い空を映したような青い瞳から溢れた涙を拭った。歯切れの悪い返事のあと、お姉様が涙で濡れたハンカチを見つめる。何か言いたいことがあるときに、物を一点に見つめるのはお姉様の癖だった。
 私がイーディスと些細なことで喧嘩してしまった後、部屋にきたお姉様は手元の本を閉じて、表紙を見つめながら沈黙したことがある。まるで本の表紙に適切な返答が浮かび上がってこないかと待つように。
 その時と同じように、言葉を選び終わったお姉様が、私へと視線を移す。そして、私の手を壊れ物を扱うように優しく掬い上げ、握る。視線は夫人へと移され、リティアへと移された。夫人もリティアも、お姉様の意思を汲んでいるのか、二人は館の奥へと歩きだす。お姉様は二人の後についていくように、私の手をひいた。
「貴女にはまだ、やらなきゃいけないことがあるのでしょう?」
 その言葉を聞いて、夫人から「不思議の国」の話を聞いたのだと思った。そして、「桃色のアリス」のことも。私が、チェシャ猫を追いかけていることも。
「うん。私、世界から消えてしまった大切な人を取り戻したいの。私のアリスとしての使命は終わった。呪いは解けた。けれどきっと、私の大切な人はまだ一人きりなの。私を守ってくれた。前に進むために、手を引いてくれた、大切な人が。私の涙を笑顔に変えてくれたチェシャ猫を、今後は私が守りたい。笑顔にしたいの。私、チェシャ猫のことが」
 とてもとても大好きで、大切だから。
「貴女の、恋のお話を聞いたのはこれが初めてだわ。イーディスはよく好きな人が出来たってお話をしてくれるけれど。そう、貴女にも、好きな人が、好きだけじゃない、大切と想える人が出来たのね」
「イーディスは恋多き乙女だよね」
 ふふ、と笑うとお姉様も微笑み、思い出すように館の奥を見つめる。夫人とリティアが先導してくれている先には、ガラスの扉がある。
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