桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
 真っ白なカーテンを、昼過ぎの太陽光が透過する。光の入る廊下はまるで白昼夢でも見せるような微睡みと、平和の眩さに瞬いてしまうような穏やかさがある。足を進めるたびに、急いていた心が穏やかになってくる。
「お母様がよく仰るのだけれど、子供の成長ってあっという間なのね。貴女に気付かれないよう家族は必死だったのだけど、貴女は一ヶ月もの間、昏睡状態だったの。一ヶ月で、世界を救って恋をして、本当に子供の成長って早いのねぇ」
「一ヶ月? 私、そんなに眠っていたの?」
 一ヶ月も眠っていたなんて、考えもしなかった。目覚めた時は庭にいて、お姉様とトランプをしていたはずだ。一ヶ月も眠っていたらお腹も減るはずだし、体が硬直していてもおかしくはない。違和感なく動かせたのが不思議なくらいだ。不思議の国で過ごした十四年が、こちらではただの一ヶ月だということも、不思議でたまらないけれど。
「その間、ミス・リティアが貴女の身体に処置をしていてくれたの。何かしらの魔法かしら。貴女が前触れなく倒れてから、私達家族は途方にくれていたわ。医者に診てもらっても原因不明、いつ目覚めるかも分からない。ずっとこのまま眠ったままかもしれないと言われ絶望していた時、ミス・リティアは訪れた。そして貴女が悪い魔女に囚われてしまったこと、夢の世界の事を聞いたわ」
 その時のことを思い出しているお姉様の表情があまりにも辛そうで、十四年間も眠らなくて良かったと思った。
 夫人とリティアは、光が溢れてくるガラス扉の前に立ち止まり、待っていてくれている。扉の向こうには、草花が彩る中庭が見えた。
「不安と絶望で、私達は深く落ち込んだの。でも、貴女にはいざと言うときに諦めない芯の強さがあった。泣いている人を慰めたり、雨に濡れる子猫を暖める優しさがあった。だから貴女が必ずこの運命を切り抜けて目を覚ますと信じたの。まさか一人ぼっちの寂しい子を助けるほどの行動力を身につけてくるなんて、驚いたけれど」
 夫人とリティアに追い付いて、二人の前に立ち止まる。
「ねぇアリス。貴女は私達の家族よ。貴女が忘れてしまっても、どんな選択をしても」
「お姉様、私は」
 お姉様は、私が不思議の国に帰るのだと見抜いている。それでも、私の手を引いてくれたんだ。
「私は、家族を忘れていた。捨てられたのだと思っていたの。暗黒の魔女から真実を聞いて悲しかった。忘れていたこと、本当にごめんなさい。私、私、思い出せて家族に会えて、嬉しかった。不思議だよね、ずっと過ごしてきたのに、家族がいて嬉しいなんて。同時に大事だって思ったの。これからも、これからも」
 あぁ、言いたい言葉がまとまらない。
 これからも、一緒にいたい。ロリーナお姉様や、ハリーお兄様や、イーディスや、家族と。お母様やお父様にも会いたい。皆がもっと大きくなって、歳をとって、どんな大人になるのか、どんな職業に就くのか、未来を歩みたい。歩めると思っていたの。不思議の国に行く前の私は、家族といる日常が続くと、なくなることなんて考えたことなかった。
 今、未来に家族がいてほしいと願う。けれど。
「私、家族とこれからも一緒にいたい。けれど、チェシャ猫を迎えにいったこの先に、これからも同じ日常が続くとは思えない。私を待つ人も、不思議の国にいるから。私は帰って、不思議の国の無事も確かめたい。皆に会いたい。会いたいよ」
 もう一度夢の世界にいく、という選択は、正しいのかな。私はどうなるんだろう。家族はどうなるんだろう。分からないことばかりなのに。不安要素しかないのに。
「私、チェシャ猫に会いたい」
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