桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
「こんな場所?」
 チェシャ猫の一言に辺りを見渡すと、近くには今にでも崩れてしまいそうな古城が佇んでいた。屋根などは遠の昔に崩れ落ちていて、壁だけがかつての栄光を保とうとしていた。女王様の城と負けないくらいのその城は、何百年も昔からここにあるようで、城の奥へと進む階段を登ると、不思議の国の歴史を遡れる気さえする。古城の目の前にあたる森の奥には崖があるのか、耳をすませば風の唸る音が聞こえてきた。
「ここは何処なの?」
 立ち上がりもう一度辺りを見渡すけれど、場所を示す物は見当たらない。
「不思議の国の外れだね。崩壊も大分進んでいるようだよ。僕らはウサギの穴に導かれたみたいだ」
「こんな所に黒ウサギがいるの?」
 まるで真相を表すかのように地面が激しく揺れる。城も同時に揺れて、辛うじて残っていた柱が崩れていく。
「僕に掴まって!」
「うん!」
 灰色の猫を腕に抱いて、チェシャ猫に掴まる。
 上下に揺れる大地。その衝撃で折れる木々。崩れていく地面の音と折れていく木々の音が、混ざり合って耳に届く。近くの古城はガタガタと不穏な音を立て、底知れない恐怖を駆り立てた。怖くなり思わずチェシャ猫の腕をきつく抱きしめると、抱きしめている猫ごとチェシャ猫に包まれる。
 包まれた安堵からか、体の力が抜けそっと息を吐くと、今まで聞こえなかった微かな音が耳に飛び込んできた。
 地面の抉れる音でもなく、木々の折れていく音でもない。金属がぶつかり合う音。続けて聞こえた銃声に、無意識に体が跳ねる。
「銃声が聞こえる。もしかして黒ウサギがいるの?」
 黒ウサギが近くにいる。意識するだけで、緊張が走った。これから私は、前に進む。白ウサギとの約束を果たす為に、黒ウサギに会わなければならない。
「行かなきゃ! 近くに黒ウサギが」
「落ち着いて。揺れが収まってから動かないと危険だよ」
「そうだよね。こんな時こそ落ち着かなきゃ!」
 はやる気持ちを抑えて数秒間待つ。揺れが収まり再び静寂が訪れると、チェシャ猫は私を離し、一言行こうと言った。私は胸に灰色の猫を抱いたまま、チェシャ猫の後ろを走る。
 銃声の音と金属がぶつかり合う音がだんだんと近くなるにつれ、不安で手が震えた。
 黒ウサギと、刃物を持つであろうもう一人は、誰?
 城にいたから分かる。鼓膜を振動させる激しい金属音は、兵士の剣と剣がぶつかり合う音に似ている。
 近づくにつれ、はっきりと露になる狂気の波長。それは帽子屋の狂気よりも、更に色濃く深い。肌を通して伝わってくる殺意に、鳥肌が立ってくる。
「見えたよ!」
 木々を抜けると、目の前には抉れた地面と暗黒の空が広がっていた。
 そして不安定な地面の上で戦う二つの影。そこには描いた姿があった。
「黒ウサギ!」
 黒ウサギが銃を片手に戦闘を繰り広げている。その姿はぼろぼろで、あちこち破けた服の下から血が出ているのが遠目からでも見てとれた。
「アリス、だと!」
 私の声が聞こえたのか、相手の攻撃を避けながら黒ウサギが横目で私を捉える。
「ア、リ、ス?」
「しまった」
 黒ウサギと戦っていた人物が一瞬で消えたかと思うと、鋭利な刃物が目の前に現れる。
「オマエ、アリス?」
 思考がついていかず、ただ目の前に現れた人物を見つめる。
 艶を失った髪。オレンジのウサギ耳。黒い鎌。
 痛々しいほどに細くなった身体は、傷だらけだった。故意につけたような傷が、まだ生々しく残っている。抉られた肉からは、骨が見えそうでぞっとした。正気を失った瞳は私を映し、狂喜を宿していく。
「三月、ウサギ――」
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