桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
 そうだよ。笑って、躍って、叫んで、歌って、世界の終わりを歓迎しよう。それはきっと幸せで。
 幸せ。
「ち、がう」
 違う。私達の取り返したい幸せって、そんな幸せだった?
 皆が狂って笑いながら踊る世界。それが本当に望んだもの?
 笑い声が出なくなり、体の緊張が少しだけ溶ける。虚ろになりかけた瞳を動かすと、見えた世界は禍々しく、空には暗雲が、地面は荒れひびが。生えている木々は色が変色し爛れているのが見えた。
 暗黒に混じるのは血にも似た濃い赤。視界はぼやけ、焦点は合わないおかげで見えなかったものが段々と見えてくる。そしてついに、私の瞳は揺れる影を捕える。
 それは、私が探していた人。いつも傍にいてくれて、守ってくれた優しい人。
「チェシャ猫」
 ゆらゆらと不安定に体を揺らしながら、ゆっくりと歩くチェシャ猫は、少し押せば倒れてしまいそうだった。見つめている間にもチェシャ猫は段々と近付いてきて、私とチェシャ猫の距離は縮まる。虚ろな瞳は私を捕らえていなくて、狂気に当てられているのがわかった。
「ま、る……もる」
 距離が縮まり、チェシャ猫が何か呟いているのが聞こえてくる。チェシャ猫は一体何を伝えたいのだろうか。
「アリスを、守る」
 ドサリ、と電池が切れたかのように、チェシャ猫の体が私の目の前で倒れる。チェシャ猫の真っ赤な髪が、私の意識を刺激し完全に呼び覚ます。
 ずっと守ってくれたチェシャ猫を守るって、呪いを解いて幸せを取り戻すって、私は決めたのに、私、何を考えていたの? 
 狂気に呑まれて世界が滅べばいいだなんて思った。私はなんて恐ろしいことを考えていたんだろう。
「おやおやおやアリス! 笑わないのか? もっとお前の狂った様を晒し妾を楽しませるのだ! クヒヒヒヒヒハハハハハ!」
「暗黒の、魔女」
「クヒヒヒヒヒ、駒ごときが何をほざく?」
 手に力を込め、地面から上半身を上げ、身体を持ち上げる。
「大丈夫」
 のし掛かる暗黒の魔女の圧倒的な強さを感じる。正直、まだ怖い。だけど、もう決めたから。
「私がチェシャ猫を、皆を守る。貴女になんか負けない!」
 顔を上げ、真っ直ぐ暗黒の魔女を見つめる。漆黒の瞳の底知れない恐怖に身体が震えながらも、反らすわけにはいかない。今度は、恐怖ではなく決意の為に。
「クク、ハハハハハハ! 愉快愉快愉快!」
 切れ長の目を細め、暗黒の魔女は叫ぶように笑う。愉快愉快と繰り返すその姿は、本当に楽しそうだった。
「お前は! 何故そんな! 自信があり負けぬと思うのだ! その忌まわしき猫がいるからか? それともウサギか? お前の自信に成りうるモノは全て、妾にはそこに転がる石ころに等しいぞ!」
 私の宣戦布告に少しも動じず、暗黒の魔女は笑い続ける。
「そんなことない。皆がいるだけで私は自信を、勇気を貰っているんだから。私がこうして貴女を前に立っていられるのは、皆がくれた想いがあるから。想いや約束、全てを勇気に変えてここに立っている」
 帽子屋達や、海ガメ達に会わなければ、私はきっと狂気に呑まれあのまま狂っていた。
「クククク。ハハハハハハ! その勇気とやらで、妾を楽しませてみよ」
 どうすれば、暗黒の魔女を倒せるんだろう。ふと、手を動かすとひんやりとしたものが触れた。手を伸ばし、望みのモノを拾い上げ即座に構える。私には扱えないものだけれど、何も持たないよりはマシな気がした。
「フフフ、ハハハハハハ! そのちっぽけな脳や身体で妾を負かす! あの小娘のように無意味に振り回すつもりか?」
 あの小娘。
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