敗戦国の花嫁 ー愛してはいけない人を愛してしまった
 ここには――自分たち以外、誰もいない。
 今この青年を治したとしても、誰にも知られないのではないか……。
 ユリアはごくりと唾を呑み込み、意を決したように青年の左肩へ両手を伸ばした。
 指先がかすかに震え、心臓の鼓動が耳に響く。
 ヒーリングの力は、すぐに傷を塞いだ。
 だがそこには、青白い傷痕がくっきりと残った。
 ユリアがその痕をなぞった、その瞬間だった。
 不意に、手首を強く掴まれた。

「私に、何をしている!!」

 青年は目を見開き、ユリアの手首を掴んだまま睨みつけた。
 洞窟の薄暗さの中で、顔立ちははっきりとは見えない。
 それでも、ブルーに鋭く光る瞳だけは、はっきりと視界に焼き付いた。
 ユリアは掴まれたまま、反射的に頭を下げた。

「ひどくお辛そうでしたので、様子を拝見していただけでございます。何もしておりません」

 とっさに吐いた嘘だった。
 ユリアは千切れた自分のズボンの裾を、身をすくめるように隠した。
 青年は自分の左肩に残る傷痕へと視線を落とし、再びユリアを見た。

「私は深く傷を負い、この洞窟で身を潜めていた。おそらく数時間前のことだ。……この短時間で塞がるような傷ではない」

 疑念を含んだ声だった。
 それでもユリアは、頭を下げたまま首を横に振る。

「私が来た時には、あなたに傷などありませんでした」

 声が、わずかに震えた。
 
「本当に、様子を見ただけでございます」
「……」

 ふたりの間に、重たい沈黙が落ちた。
 やがて、青年の小さなため息が洞窟に響いた。

「……そうか。もうよい」

 青年はそれだけ言うと、ゆっくりと立ち上がり、洞窟の外へと歩き出した。
 朝焼けの光の中に溶けるようにして消えていった。
 その背中と、あの鋭い青い瞳だけが、ユリアの記憶に強く焼き付いていた。
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