敗戦国の花嫁 ー愛してはいけない人を愛してしまった

60 力で救えないもの

 それからどれほどの時間が経ったのだろうか。
 感覚は曖昧なまま、ユリアは馬に乗せられ続けていた。
 夜と朝が一度入れ替わった気がする。
 ようやく辿り着いた場所は、山間にひっそりと隠れるように建てられた男たちのアジトだった。
 途中、何度か逃げ出す機会を探ったが、常に誰かがユリアの傍を離れず、叶うことはなかった。
 馬から降ろされると、先導していた男が低い声で言った。

「いいか。ジル様に会ったら、さっきの力を見せるんだ」

 それだけ告げると、男はユリアの腕を掴み、奥の部屋へと連れていった。
 扉を開けた先には、一人の男が椅子に腰掛けていた。
 連れてきた男より年配で、想像していたよりもずっと細かった。
 細い指先がわずかに震えている。
 その呼吸は浅く、長く続かぬことを思わせた。
 だが、その目だけは妙に澄んでいた。
 
「……お前が、癒しの力を持つという娘か」

 椅子の男――ジルが、静かに問いかけた。

「そうです、ジル様。この娘は、深く切り裂いた傷を一瞬で治しました。ですから、あのお方に献上する前に、まずジル様の病を――」
「私に、病を治す力はありません」

 ユリアは、男の言葉を遮ってはっきりと言い切った。
 隣にいた男が、驚愕の表情でユリアを見る。

「な、何を言っている! 昨日、あの女の傷を一瞬で――」
「傷を治すことと、病を治すことは違います」

 ユリアは男を真っ直ぐ見つめた。

「私の力は万能ではありません。傷を塞ぐことはできても、病を癒すことや、死者を蘇らせることはできません」
「ふざけるな!!」

 男は声を荒げ、勢いよくユリアの頬を打った。
 乾いた音が響き、ユリアは床に倒れ込む。

「お前をアルジール国から連れ出したのは、ジル様の病を治せると思ったからだ! この村にジル様は必要なんだ! お前の力があれば――」
「……できないものは、できません」

 床に伏したまま、それでも視線だけは逸らさずに答えた。

「小娘が……!!」

 再び手を振り上げた男の動きを、低い声が制した。

「もうよい」

 ジルが、初めて感情を含んだ声を出した。

「ワシの病を治せぬのなら、その娘に用はない。これ以上ここに留めておくのは危険だ。……連れて行け」
「……申し訳ありません、ジル様」

 男は深く頭を下げた。
 悔しさを滲ませたその表情を、床に倒れたユリアは確かに見ていた。
< 144 / 154 >

この作品をシェア

pagetop