敗戦国の花嫁 ー愛してはいけない人を愛してしまった

91 静寂の刹那

 屋敷に戻ると、すでにフレドリックは帰宅していた。
 その事実を知っただけで、ユリアの心臓が一度、大きく脈打つ。

 逃げ場はない。
 今日だと、分かっていた。

 ユリアは機械的に着替えを済ませ、指先の震えを抑えるように何度も握っては開いた。
 ポケットの中で、小瓶がわずかに触れ合う。

 ――落とすな。
 割るな。
 最後まで冷静に……

「失礼します」

 ノックして扉を開けると、フレドリックは椅子に腰掛け、無言でこちらを見ていた。
 その視線は、すでに“所有物”を見るものだった。

「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

 頭を下げ、向かいに座る。
 背筋を伸ばしていなければ、今にも崩れ落ちそうだった。

「医官から結果は聞いた」
 
 低く、断定的な声。
 
「次は必ず身籠ってもらう。体調管理を怠るな」
 
 一瞬、言葉を切る。
 
「次に何かあれば……分かるな?」
「……はい」

 それ以上、会話はなかった。
 食事の音だけが、やけに大きく響く。
 ユリアは味のしないパンを噛みしめながら、頭の中で何度も自分のこれからの行動をなぞっていた。

< 234 / 238 >

この作品をシェア

pagetop