新米侍女は魔塔主殿下のお気に入り ~なぜか初恋の天使様と勘違いされて寵愛されています~
「改めて自己紹介するわね、リエルちゃん。アタシ、エリシアーノっていうのよ」
「エリシアーノ料理長、お料理ごちそうさまです。おいしいです」
「うふふ。よかったわぁ」
長い前髪を耳にかけた料理長は、「恋愛ってね、厄介な火種になるものなの」と訳知り顔で語りだした。
「アタシの故郷には、恋心を拗らせて堕天しちゃった天使の言い伝えがあるのよ」
「……天使……」
いつもシオンが「天使様」と口にするからだろうか。
リエルはその言い伝えに異様なほど心を惹かれた。
「すみません、エリシアーノ料理長。詳しく聞かせてもらえませんか?」
「あら、いいわよ! アタシ、喋りたくて仕方ないんだから!」
料理長は上機嫌で言い伝えを教えてくれた。
言い伝えによると、何百年も前に天使が人間と駆け落ちをしてこの王国の王妃になったのだが、彼女と親しかった別の天使が嫉妬して堕天使になった、という。
「天使が王妃になったの?」
オルディナでは聞いたことがなかったが、貴族の家出身の侍女の中には「知ってる」「そうよ」と訳知り顔になる者もいる。
どちらかと言うと、王室や王室に近い上流貴族の血筋の権威を高めるための話のように聞こえた。
料理長はそんな侍女たちを見て、思案げな顔をする。
「アタシの故郷は上流貴族が治める領地だから、それで言い伝えが広まっていたのかしら。ただ、王都でも青薔薇侯爵家が中心になって民衆に浸透させようとしていると聞くわ」
青薔薇侯爵家というのは、ブルーローゼ侯爵家という正式名称の名門貴族だという。
青薔薇商会という商会も所有していて、王都の商業・文化方面での影響力が大きいのだとか。
「堕天した天使は、王妃になった天使の子孫を呪ったの。でも元は純真だから、良心が残っていて……。切ないと思わない? 堕天使は今も真実の愛を求めながらひとりで苦しんでいるのですって……」
「切ないわ!」
「そういうの好き」
侍女たちが盛り上がるのに気分をよくして、料理長は大げさな身振り手振りを交えて歌いだす。
いつ誰につけられたのか、額にカエルのシールを付けて。
「♪滅ぼしてやりたいほど憎いのに、それでも愛してしまう――」
「リエル、これは王都で演劇にもなっているお話なのよ」
先輩侍女が耳打ちして、「今度観に行く?」と誘ってくれる。
(天使が嫉妬で国を滅ぼそうとするだなんて)
荒唐無稽な話だ、と思った、その瞬間だった。
――ずきっ。
「……っ?」
リエルの頭の奥を、鋭い痛みが貫いた。
まるで思考の芯を直接つかまれて揺さぶられたような不快な感覚に、息が詰まる。
病気だろうか。
不安を覚えた刹那、ぐらり、と眩暈がした。
(あっ……? なんか……まずい……?)
自分の体調の変化に胸の奥がざわつき、鼓動が妙に大きく耳に響く。視界に映る光景がぼんやりと霞みながら傾いて、リエルは自分が倒れようとしているのだと理解した。
「リエル……?」
呼びかける声が、遠くなる。
「――あ……れ?」
(幻? さっき出て行ったはずのシオン様が、目の前に……)
「リエル!」
悲鳴めいた声が重なり合う中、リエルの身体は糸の切れた人形のように、静かに意識を失った。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
次に目を開けた時、リエルは医務室にいた。
白い天井が視界いっぱいに広がっている。薬草の匂いに視線を彷徨わせると、棚やテーブルの上に薬瓶が所せましと並んでいた。老医師は患者が目が覚めたことに気づくと、おっとりとした声で説明してくれた。
「目が覚めましたか。あなたは急に倒れてしまったんですよ」
「そ、そのようですね。お世話になりました……」
医師の見立てによれば、原因は長年にわたる栄養失調と慢性的な体力不足、そして新しい環境による疲労の蓄積だという。
「重い病気とかじゃなくて、安心しました……」
「病気に繋がることもあるので、養生してくださいね」
「はい」
倒れたことで、侍女仲間たちは一気に同情ムードを加速させた。
「リエルはオルディナから来たばかりだもの。無理してたのよ」
「侍女長が言ってたんだけど、彼女、故郷で酷い境遇にいたんだって」
「あなたたちが陰口叩いていじめるから……」
「い、いじめてないわよ!」
侍女長などは「いじめた先輩侍女は誰ですか?」と真剣に聞いてくる始末だ。
リエルは困惑しつつ、とりあえず首を横に振った。
「先輩方にはいじめられていませんので、大丈夫です」
「まあリエル! あなたはいい子ですね。先輩をかばって……実家での生活のせいで自分が我慢すればいいと思うようになってしまっているのかしら。健気だけど、もっと甘えていいのですよ」
侍女長はそう言ってお小遣いと休日をくれたので、リエルは心から喜んだ。
「リエル、ゆっくり休むのよ。新しく買ったばかりのきらきらシールあげる」
「あたしもあげるわ。お見舞いの印ね」
「誰にいじめられたの? こっそり教えて」
侍女たちがお見舞いにシールをくれる。
うさぎさんシールに、宝石シール。くまさんシールに、天使様シール。どれも可愛らしい。
「魔除けよ」と言われ、頬や手に次々と貼られた結果、リエルはすっかりシールまみれになった。
「いじめられては、いないです」
オルディナにいた頃のように針の筵な環境ではないが、憐れみの視線ばかりというのも、それはそれで居心地が悪い。リエルはいじめられ疑惑を否定しつつ、いただいた休養期間で心身の調子を整えることにした。
オルディナにいたときは、「家のためにあれをしろ、これをしろ」と気が休まる暇がなかったが、身の安全を保証され、心配されて、養生する選択を許されるのは、ありがたいことだ。
自室で栄養を摂って、暖かくして、ぬくぬくとした布団にくるまって――休日はゆっくりと過ぎていく。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
窓が額縁のようになって、雪に煙る夕暮れ景色を見せている。
お見舞いに来た先輩侍女たちも帰り、そろそろカーテンで窓を覆う時間だ、と思っていたリエルの耳に、遠慮がちなノックの音が届いた。
――コン、コン。
「……はい?」
誰だろう、と思いながら扉を開けると、部屋の外には見覚えのある貴公子がいた。
少し毛先が乱れた紫髪に、それすらも魅力に感じさせてしまう圧倒的な美貌の王子――シオンだった。
シオンは扉を開けたリエルを見て、驚いた様子で目を見開いた。
「……リエル! なんだその頬や手に貼られたシールは。まさか……いじめられて……」
「いじめられては、いないです」
シールまみれの姿は、誤解を生んだようだった。