新米侍女は魔塔主殿下のお気に入り ~なぜか初恋の天使様と勘違いされて寵愛されています~

 お見舞いに来たシオンは、仮面を付けていなかった。
 服装も、よく着ている黒いローブ姿ではない。
 柔らかな生地で、緩く胸元を開けた白いシャツに、脚線を美しく見せるベージュ色のスラックス姿だ。そこに立っているだけで自然と視線を奪われる存在感と色香がある。

「見舞いに来たんだ」
「……それはそれは、ありがとうございます」
 
 声を潜め、まるで聖堂に足を踏み入れるような慎重さで部屋に入ってくる彼の手には、花束が抱えられていた。
 レモンイエローとオレンジの愛らしい色合いの花で構成されていて、気持ちが安らぐ馥郁(ふくいく)とした匂いがする。
 腕には果物入りの籠も下げられていて、窓が閉まっている室内に爽やかな春風が吹き込んだような気がした。

「花言葉は『幸せが訪れる』……天使様に、似合うと思ったので」
「天使様じゃないけど、ありがとうございます」

 否定すると「そうだったな」と頷いてくれるが、それでも瞳の熱は冷める様子がない。
 
(この人はいつになったら私が天使様じゃないとわかってくれるんだろう。本物の天使様が現れたら、私への関心は失われてしまうのかな)
 
 リエルがもやもやとした気持ちを持て余していると、シオンは小さなナイフを取り出し、シオンは果物の皮を剥き始める。
 
「シオン様。指は痛まないですか?」 
「もう治った。林檎の皮だって剥ける」

 指の怪我のせいか、手つきは若干ぎこちない。
 
 しゃり。しゃり。
 
 怪我をしませんように、と祈るように固唾をのんで見守っていると、やがて、丁寧に切られた林檎が皿に並んだ。

「うさぎさんの形にしてみた」
「素敵ですね」
 
 満足そうに言うだけあって、形が綺麗に整っている。
 思わず(ねぎら)いの言葉を口にしてから、「年上で身分が上の方に対してちょっと偉そうだったかな」と顔色を見ると、彼は嬉しそうにしていた。
 
 その顔に、不思議な感覚が湧く。
 まるで自分が年上で、年下の彼を微笑ましく思っているような、そんな気分だ。
 この王子を相手にしていると、距離感の基準が揺らいでしまう。リエルは大いに困惑した。
 
 一切れをフォークに刺し、リエルに差し出すシオン。
 その蜂蜜色の瞳は、期待にきらきらと輝いている。

「さあ、天使様。召し上がってください」

 蕩けそうな甘い口調で言われて、リエルは「またか」と眉を下げた。そして、天使様の絵柄のシールをプレゼントしてあげた。
 
「あの……シオン様? 私、天使様じゃないんですよ。何度も言ってますけど。はい、天使様はこっち」
「くれるのか?」

 シオンは天使様シールに見惚れてから、恥じ入るように咳払いした。

「それはそうとして、召し上がれ」

 尊大な調子で言い直すのが、なぜかリエルには微笑ましく見える。

「では、お言葉に甘えて」
  
 食べさせてもらうと、口の中に爽やかな果実の味が広がる。新鮮さがわかるシャリッとした歯応えが心地よくて、酸味と甘味が絶妙だ。

「……美味しいです」
「よかった。我が国の魔法技術を活かし、果樹農家が天候不利にも負けず、愛情たっぷりに育てた果物だからな」
   
 誇るような口調で魔法技術の仕組みと農家の取り組みを語りだすシオンを見ていると、胸の奥がくすぐったくなる。
 
 彼は魔塔の部下たちや農家を愛する心があって、善良な王子だ。
 少し変わったところがあるのが玉に(きず)だけど――と考えていると、シオンが距離を詰めてくる。

「少し、失礼」
「……はい?」
 
 何をするのかと思った次の瞬間、彼の額が、そっとリエルの額に触れた。

「……っ」

 近い。
 呼吸が混じるほどの距離に、心臓が跳ね上がる。

「少し熱があるな」
「そ、そうやって測るものなんですか……?」
「熱を測る口実でやらかしても許されるだろう、という下心が、俺に」
「正直ですね!」
 
 真剣な声が余計にハートをくすぐる。
 シオンは悪戯が成功したような顔で額を離し、理知的な口調になってのたまった。

「リエル。無理はするな。君は……大切に扱われるべき存在だ」
「好きな方に似てるからですね」
「いや。君は君だ……、と、思う。自分でも、複雑で掴みどころがない感覚なのだが……」

 シオンは少し困ったように沈黙する。
 そして、言葉を慎重に選ぶようにゆっくりと紡いだ。

「俺は確かにずっと天使様を信奉してきたが、今こうして目の前に君がいて、君が天使様だと思いつつ、それと関係なく現在の君を好ましく思っている……」
「な、なんですか、それ」
「君は君だ。他の誰かと比べようもない、ただひとりの俺の君という存在なんだ」
「お、重い……⁉」

 リエルは口元を掛け布団で隠した。

(……だめだ。……私、ちょっと喜んじゃってるんだもの)

 自分の心に困っていると、シオンはそれをどう解釈したのか、自然な仕草でリエルの頬に顔を寄せ、小鳥がついばむようなキスを降らせた。
 
「俺の言葉で照れてる君が愛おしい。今、この瞬間が幸せだ。ありがとう、てん……リエル」
「今、天使様って呼びそうになってましたね……お見舞いに来てくださってありがとうございます、シオン様」

 ――無理しちゃって。
 
 リエルはくすくすと笑った。
 胸のうちが暖かくて、居心地がいい居場所を見つけたような気がして嬉しくなった。嬉しさの中には、「これでいいのかな?」という問題意識もないわけではないのだが。

(……重い好意が嫌じゃないと思ってしまう……)
 彼といる時間は、楽しかった。
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