悪気がないかどうか、それを決めるのは私です
10.小さな綻び sideソフィア
sideソフィア
「皆、少し手を止めて集まってくれ」
作業の手が止まり、薬師たちが互いに顔を見合わせる。
何事だろう。
そんな無言の緊張が室内に広がる中、室長はいつになく険しい表情で口を開いた。
「実はな。第一騎士団から、ポーションの効きが悪いという苦情が入った」
効きが、悪い? ここに来てから、そんな話は一度も耳にしていない。
「新しい部門が立ち上がって忙しくなったのは承知している。人員が一人減ったこともな。だが、我々は宮廷薬師だ」
室長の声が、静かだが重く響く。
「量を確保することだけに気を取られ、品質を落とすようなことがあってはならない。プライドを持って、これまで通りの水準を保ってほしい」
その言葉に、室内の空気が一段と張り詰めた。
「……手なんて抜いてないわよね」
「今まで通りやってるはずだけど……」
先輩たちが小声で不満を漏らす。誰もが心当たりを探しながら、釈然としない思いを抱えていた。
「とにかく、引き続き励んでくれ。それから、ソフィアとウィリアム、二人には別の話がある。私についてきなさい」
別の話?
戸惑いを胸に抱えたまま、私たちは室長の後を追った。
◇
室長室に通され、ソファに腰を下ろす。室長は一度咳払いをし、どこか言いにくそうな表情で口を開いた。
「あー……部門を立ち上げたばかりで、まだ軌道に乗っていないのは承知している。だがな、王妃様から催促が来ていてね」
やはり洗髪料の件だ。
私たちは互いに視線を交わし、黙って話の続きを待つ。
「これまでは肌に塗るものが中心だったから、勝手が違うのは理解している。しかし、今回の洗髪料は、美容部門として最初に世に出す製品になる」
室長の声が、自然と厳しさを帯びた。
「急ぐ必要はあるが、同時に王妃様がご満足される品質でなければ意味がない。……進捗はどうだ? 目途は立っているのだろうか」
「はい。ソフィアと相談し、使用する材料についてはすでに決まっております」
ウィリアムが落ち着いた声で答える。
「髪に栄養を与える成分を、できる限り多く取り入れる予定です」
ウィリアムが自信をもって答えると、室長の表情にはほっとしたような安堵が浮かんだ。
「ただ、少し配合が難しくて、時間がかかっておりますの。分離してしまったり、成分同士が効果を打ち消してしまったりして……」
ああ、こんなとき、フローリアがいてくれたら。
頭に浮かんだその名前を、慌てて心の中で振り払う。もう、いないのよ。頼るべき相手ではない。そう、自分に言い聞かせる。
「とにかく、美容部門が最初からつまずくわけにはいかない」
室長は、改めて私たち二人を見据えた。
「主任と副主任としての自覚を持って、最後までやり遂げてほしい」
「……はい」
二人そろって頷き、私たちは室長室を後にした。作業室へ戻る足取りは、先ほどよりもわずかに重かった。
◇
作業室に戻ると、慌てた様子の先輩がこちらへ駆け寄ってきた。
「あ、ねえねえ、ウィリアム。今日、夜の当直、代わってくれない?」
急な頼みごとに、ウィリアムは少し困ったように眉を下げる。
「すみません。私は平民ですので……高価な薬品が保管されているここでは、当直に入れない決まりなんです」
採用に貴賤は問わないと言いながら、万が一の盗難や事故を防ぐためという理由で、平民には当直が割り当てられない。
その決まりは、やはりどこか失礼だと感じてしまう。けれど、当の本人は「当直がなくて助かるよ」と笑っているのだから、余計に複雑だ。
「じゃあ……ソフィアは?」
視線を向けられ、私は小さく首を振った。
「申し訳ありません。決められた日以外は、父の許可が下りませんので……急には難しいですわ」
「そう……よね……」
先輩はがっくりと肩を落とし、深いため息をついた。
「そうよね……ああ、困ったわ。いつもはフローリアがやってくれていたから。ねえ、誰でもいいから、今日当直できる人いない?」
そういえばフローリア、夜の当直がやけに多かった気がする。
誰かの代わりをしていた、というより……違う。やらされていたのだわ。
フローリアが断れない性格だと分かっていて、誰もがそれを当然のように受け取っていたんだわ。今さら気づくなんて遅すぎるけれど、怒りが込み上げる。
優しさにつけ込んで、いいように利用していた先輩たち。お願いする側は深く考えないのよね。
ひどいわ、フローリアは、都合のいい存在にするなんて。
「皆、少し手を止めて集まってくれ」
作業の手が止まり、薬師たちが互いに顔を見合わせる。
何事だろう。
そんな無言の緊張が室内に広がる中、室長はいつになく険しい表情で口を開いた。
「実はな。第一騎士団から、ポーションの効きが悪いという苦情が入った」
効きが、悪い? ここに来てから、そんな話は一度も耳にしていない。
「新しい部門が立ち上がって忙しくなったのは承知している。人員が一人減ったこともな。だが、我々は宮廷薬師だ」
室長の声が、静かだが重く響く。
「量を確保することだけに気を取られ、品質を落とすようなことがあってはならない。プライドを持って、これまで通りの水準を保ってほしい」
その言葉に、室内の空気が一段と張り詰めた。
「……手なんて抜いてないわよね」
「今まで通りやってるはずだけど……」
先輩たちが小声で不満を漏らす。誰もが心当たりを探しながら、釈然としない思いを抱えていた。
「とにかく、引き続き励んでくれ。それから、ソフィアとウィリアム、二人には別の話がある。私についてきなさい」
別の話?
戸惑いを胸に抱えたまま、私たちは室長の後を追った。
◇
室長室に通され、ソファに腰を下ろす。室長は一度咳払いをし、どこか言いにくそうな表情で口を開いた。
「あー……部門を立ち上げたばかりで、まだ軌道に乗っていないのは承知している。だがな、王妃様から催促が来ていてね」
やはり洗髪料の件だ。
私たちは互いに視線を交わし、黙って話の続きを待つ。
「これまでは肌に塗るものが中心だったから、勝手が違うのは理解している。しかし、今回の洗髪料は、美容部門として最初に世に出す製品になる」
室長の声が、自然と厳しさを帯びた。
「急ぐ必要はあるが、同時に王妃様がご満足される品質でなければ意味がない。……進捗はどうだ? 目途は立っているのだろうか」
「はい。ソフィアと相談し、使用する材料についてはすでに決まっております」
ウィリアムが落ち着いた声で答える。
「髪に栄養を与える成分を、できる限り多く取り入れる予定です」
ウィリアムが自信をもって答えると、室長の表情にはほっとしたような安堵が浮かんだ。
「ただ、少し配合が難しくて、時間がかかっておりますの。分離してしまったり、成分同士が効果を打ち消してしまったりして……」
ああ、こんなとき、フローリアがいてくれたら。
頭に浮かんだその名前を、慌てて心の中で振り払う。もう、いないのよ。頼るべき相手ではない。そう、自分に言い聞かせる。
「とにかく、美容部門が最初からつまずくわけにはいかない」
室長は、改めて私たち二人を見据えた。
「主任と副主任としての自覚を持って、最後までやり遂げてほしい」
「……はい」
二人そろって頷き、私たちは室長室を後にした。作業室へ戻る足取りは、先ほどよりもわずかに重かった。
◇
作業室に戻ると、慌てた様子の先輩がこちらへ駆け寄ってきた。
「あ、ねえねえ、ウィリアム。今日、夜の当直、代わってくれない?」
急な頼みごとに、ウィリアムは少し困ったように眉を下げる。
「すみません。私は平民ですので……高価な薬品が保管されているここでは、当直に入れない決まりなんです」
採用に貴賤は問わないと言いながら、万が一の盗難や事故を防ぐためという理由で、平民には当直が割り当てられない。
その決まりは、やはりどこか失礼だと感じてしまう。けれど、当の本人は「当直がなくて助かるよ」と笑っているのだから、余計に複雑だ。
「じゃあ……ソフィアは?」
視線を向けられ、私は小さく首を振った。
「申し訳ありません。決められた日以外は、父の許可が下りませんので……急には難しいですわ」
「そう……よね……」
先輩はがっくりと肩を落とし、深いため息をついた。
「そうよね……ああ、困ったわ。いつもはフローリアがやってくれていたから。ねえ、誰でもいいから、今日当直できる人いない?」
そういえばフローリア、夜の当直がやけに多かった気がする。
誰かの代わりをしていた、というより……違う。やらされていたのだわ。
フローリアが断れない性格だと分かっていて、誰もがそれを当然のように受け取っていたんだわ。今さら気づくなんて遅すぎるけれど、怒りが込み上げる。
優しさにつけ込んで、いいように利用していた先輩たち。お願いする側は深く考えないのよね。
ひどいわ、フローリアは、都合のいい存在にするなんて。