悪気がないかどうか、それを決めるのは私です

11.誰かの役に立つ

「ねえ、聞いてよフローリア。今日ね、全然髪がまとまらないの。もう最悪。絶対この雨のせいよ」


 作業室の扉がノックもなく開いたかと思うと、サラがと入ってきて、テーブルに突っ伏した。

 そのまま、深いため息をひとつ。



「……お疲れさま、サラ」

 思わずそう返しながら、手元の作業を止める。サラは騎士団の食堂で働く、私より三歳年上の女性だ。

 寮では隣の部屋で、顔を合わせる機会も多い。

 初めて会った日のことを、ふと思い出す。



『三歳差なんて誤差よ。サラって呼んで』

 そう言い切られたときは、その距離感の近さに少し面食らった。けれど今では、彼女のこういう率直さがありがたいと感じている。

 サラは、思ったことをそのまま口にする。裏を読んだり、言外の意味を探ったりしなくていい。それだけで、どれほど気が楽か。最近は特に、身に染みている。


「今日は、どこか出かける予定でもあるんですか?」

 そう尋ねると、サラは顔を上げ、少しだけ不満そうに唇を尖らせた。



「ないない。食堂と寮の往復だけよ? でもさ、こんな髪じゃテンション上がらないじゃない?」

 指で自分の髪をつまみ、引っ張る。

 ……十分、整っているように見えるけれど。



 つやもあるし、結い方も崩れていない。少なくとも、寝癖と薬草の匂いが抜けきらない自分と比べたら、ずっと。


「そうですか……? 十分綺麗ですよ」

 思わずそう言うと、サラは肩をすくめた。


「もう、フローリア。嬉しいけど、もっとちゃんとしているときに褒めて」

 冗談めかしたその言い方に、思わず小さく笑ってしまう。



「あーあ。今日はもう、仕事休んじゃおうかなー」

 ぽつりと落とされた、その一言。

 え? 髪がまとまらないから、仕事を休む……?


「ほ、本気ですか?」

 思わず、そう問い返してしまった。

 サラは一瞬きょとんとした顔をしてから、ふっと力の抜けた笑いをこぼす。



「分かってるわよ。誰も私の髪なんて、いちいち見てないって。」
 
 そう言いながら、サラは自分の髪を指先で軽くすくった。

「食堂に入ったら結ぶしね。でも、そういう問題じゃないのよ」

 少し間を置いて、続ける。



「私のことは、私が一番見るじゃない? 鏡もそうだし、朝の支度のときも。そのときに“あ、今日ダメだな”って思う自分がいると……誰かに気にすることないって言われても、ちょっと引っかかるのよね」

 ぽつりと落とされた本音。

 危なかった。

 いつもの癖で、「気にすることないですよ」と口にしそうだった。

 

「……髪が、まとまればいいのですね」

 代わりに、静かに確認するように言った。

 サラは一瞬きょとんとし、それからぱっと表情を明るくする。



「そうそう、それ! 話が早いわね」

「分かりました。少し、お待ちください」

 そう告げて、私は作業台に置いてあった研究ノートを引き寄せた。薬効成分や調合比率が細かく書き込まれた、使い込んだノート。

 確か。以前、美容液を試作したときに調べた成分の中に、髪の水分保持に使えそうなものがあったはずだ。

 ページをめくりながら、記憶をたどる。

 湿度の影響を受けにくくする成分……静電気防止……油分は重くなりすぎない配合で……。

 視線を棚に移し、今この作業室にある材料を頭の中で照合する。使えそうな薬草をいくつか選び、すり鉢と乳棒を取り出した。
 
 薬草を刻み、香りが立つ。

 その様子を、サラはいつの間にか椅子を引き寄せ、身を乗り出すようにして見ていた。


「ねえねえ、なにそれ?」

「もう少しお待ちください」

「分かったわ」

 私は黙々と調合を続けた。


「できました」

 調合を終えた液体を小さなガラス瓶に移し、栓をしてからサラに差し出した。



「フローリア、これはなに?」

 小瓶を受け取り、光にかざしながらサラが首をかしげる。



「ヘアオイルです。オリーブオイルをベースに、少量の柚子油と、髪に使えるハーブをいくつか加えました」

 そう説明しながら、補足する。

「サラの髪は少し猫っ毛ですよね。水分を吸いやすい髪質なので、雨の日は特に広がったり、うねったりしやすいと思います。このオイルで表面を軽くコーティングすれば、湿気の影響を受けにくくなるはずです」

「うわ、専門家すぎない?」

 一瞬きょとんとしたあと、サラの顔がぱっと明るくなる。



「ねえ、付けてみてもいい?」

「どうぞ。ただし、少しずつ様子を見ながら使ってください。つけすぎると、べたついてしまいますから」

「分かったわ」

 サラは鏡を引き寄せ、指先にほんの一滴だけ取って、髪になじませた。




「あら?」

 小さく声を上げ、もう一度、今度は丁寧に髪を撫でる。



「すごい……広がらないし、パサつきも抑えられてる。しっとりしてるのに重くない……」
 
 鏡の前で髪を左右に揺らしながら、満面の笑みを浮かべた。



「ねえ、これ、私史上最高の髪じゃない?」

「それは、よかったです」

 そう答えながら、褒められたことに嬉しさがこみ上げる。



「肌にも使える成分なので、顔や手に薄く塗っても問題ありませんよ。材料がそろえば、このオイルに香りを付けることもできますが……」

「え、肌にも? ……ちょっと待って、香り付き!?」

 サラの目が、きらきらと輝いた。


「ねえ、もしよ。もし時間があったらでいいの。香り付きのやつ、いつか作ってもらえない?」

「ええ。そんなにお待たせしないと思います。後で、好きな香りを教えてください」

「やったー!」

 サラは勢いよく立ち上がり、思いきり抱きついてきた。



「フローリア大好き! 決めた。今日のお昼、フローリアにだけ特別デザート付けるわ。テンション上がったし、仕事行ってくるね!」

 そう言って、サラは満足げに作業室を後にした。

 彼女の特別なデザート、きっと得意なアップルパイかな? ふふ、楽しみだわ。



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