悪気がないかどうか、それを決めるのは私です

13.どうしたら… sideエドモンド

 sideエドモンド


 コンコンコン


「失礼します。団長、この報告書ですが……」

 そう言って扉を開けた瞬間、俺は思わず言葉を失った。


「……なんだ、サラ。また来ていたのか。お前は本当に神出鬼没だな」

 視界の先、団長の執務机の横に置かれたソファ。そこに、まるでここが自室であるかのように足を組み、優雅に紅茶を口にしている女がいた。


「人聞きが悪いわね。今日はちゃんと“お使い”で来ているのよ?」

 にこり、と悪びれない笑顔。だがその言葉とは裏腹に、テーブルには茶器が揃い、彼女は完全にくつろぎきっている。

 なぜ、団長室でそこまでリラックスできる。

 ここは騎士団長の執務室だ。

 無駄話も長居も本来なら許されない、緊張感に満ちた場所……のはずなのに。団長の娘と仲がよい、という理由だけでは説明が付かない。団長は何か弱みでも握られているのか?


 俺はため息を飲み込み、団長に報告書を差し出した。

 内容を確認してもらい、要点を簡潔に説明する。団長はいつも通り静かに頷き、修正点を一言二言告げただけだった。



「以上です」

 用件は済んだ。これ以上ここに留まる理由はない、そう判断し、踵を返した、その瞬間。

「あ、待って」

 背後から、やけに軽い声が飛んでくる。

「エドモンド様に話があるの。ちょっと座っていって」

 いつの間にか、決定権は彼女の手に移っていたらしい。

 ……だから、なぜこの部屋で、お前が一番偉そうなんだ。



「あまり時間はやれないぞ」

 自分でも少し素っ気ないと思いながら、俺は渋々サラの向かい側のソファに腰を下ろした。



「ねえ、エドモンド様。フローリアに、最後に会ったのはいつ?」

 ――フローリア?

 唐突に出てきたその名前に、思わず眉が動く。



「一週間前だが……」

 一瞬の沈黙。その間に、嫌な想像が脳裏をよぎった。


「……はっ、まさか体調が悪いのか?」

「そんなわけないじゃない」

 サラはあっさりと言い切り、紅茶を一口。



「私の料理のおかげで、以前よりずっと健康的よ?」

 ……心臓に悪い言い方をするな。



「そうか。脅かすな」

 肩の力を抜いた俺を見て、サラはどこか楽しそうに目を細めた。


「今ね、フローリアの髪、すっごく綺麗なのよ。艶々で、指を通したらするっと――それに肌も。前より明らかに調子がいいわ。いい匂いもするし」

 なるほど。

 俺は内心で大きく頷いた。言った通り、自分で試しているのだな、うん、うん。実に感心な心がけじゃないか。

 フローリアの変化を、サラがわざわざ報告してくる理由。それがまだ見えないことだけが、少し引っかかる。


「いいことじゃないか? それで、何が言いたいんだ?」

 率直にそう告げると、サラは一瞬だけ言葉を詰まらせた。そして、じっと俺を見据え、わざとらしく息を整える。


「エドモンド様が、美容の品を自分でも試したらって提案したんでしょ?」

「そうだが」

「それね、私はどうかと思っているの」

 ぴしり、と空気が張り詰める。



「遠回しに“美容に気を遣え”って言っているのと同じじゃない。私だったら――怒るわよ?」

 な、なに?

 そんなつもりは、まったくなかった。ただの助言というか、実用的な話というか……。



「い、いや、その……しゃ、謝罪をした方がいいのだろうか」

 言い訳を探すうちに、気づけば口が勝手に動いていた。


「自分で考えなさいよ、そんなこと」

 即座に切り捨てられる。サラはカップをテーブルに置き、身を乗り出した。


「私が言いたいのはね。自分でライバルを増やして、どうするんだってこと!」

 
 ……ライバル?

 予想外の単語に、完全に思考が止まった。


「何のライバルだ? 騎士で美容に気を遣っている者なら……ああ、いるかもしれんな?」

 首を傾げたまま、真面目に考える。だが、すぐに首を振った。


「いや、俺は興味がない。品物を取り合うようなことはしないぞ」

 そう反論したものの、サラは呆れたように額に手を当てた。

 どうやら、また何か致命的にズレているらしい。



「え? 嘘でしょ。唐変木だとは思っていたけど……まさか、自分の気持ちに気付いていない……?」

 サラが固まったまま、俺をまじまじと見つめる。

 そして、両手で顔を覆い、

「うわぁ……団長ぉー」

 助けを求めるように叫んだ。

 ……なんだ、色々と失礼だが、本当に何の話だ。俺にはさっぱり理解できない。



「あー、エドモンド……先週、洋菓子店のボヌールに、早朝から並んでいたと聞いたが……いったい、何時間待ったんだ?」

 団長が、遠い目をしながら口を開いた。

 ああ、あの洋菓子店か。だが、なぜ今その話になる。


「四時間ですが。それが何か?」

 そう答えた瞬間だった。

 部屋にいた二人が、示し合わせたかのように顔を見合わせ、目を見開いた。

 ……なんだ、その反応は。

 ボヌールは人気店だ。並ばなければ買えないのは当然だろう。その無言の圧に、わずかな苛立ちを覚えつつ、次の言葉を待つ。


「……朝早くから、騎士であるあなたが、あの可愛らしい店構えのボヌールに並び『女性への贈り物なので、ラッピングをお願いします』と頼んだ――街の噂よ」

 ……噂?


「それ、フローリアにあげたんでしょ」

「お前が、謝罪しないと嫌われると言うからだ」

 
 余計な意味など、あるはずがない。

 だが。

 サラはこめかみに手を当て、深く、深く息を吐いた。

 どうやら、この説明は、まったく的を射ていないらしい。



「普通の店のお菓子でも、いいじゃない」

 サラが、呆れと怒りを半分ずつ混ぜたような声で言う。


「何を言ってるんだ?」

 思わず即答していた。


「どうせなら喜んでもらいたいだろう。実際、すごく幸せそうに食べていたぞ」

 あの時の顔を思い出し、自然と口元が緩む。


「……そう。それよ!!」

 サラが、テーブルを指で叩いた。



「もし私に謝罪するようなことがあったとして、同じようにボヌールでお菓子、買う?」

 問い詰めるような視線に、俺は一瞬だけ思考を巡らせた。


「は?  なんで俺が、お前のために――」

 そして、反射的に答えていた。

 ……。

 その瞬間、何かが、かすかに引っかかった。言葉にできない違和感。だが、それを掴む前に、団長の低い声が割り込む。



「エドモンド、いいか」

 場の空気が、ぴたりと引き締まる。

「フローリアは、グリムハルト子爵家のご令嬢だ。――あの、グリムハルト子爵家だぞ? 姉君が二人。どちらも社交界の華と呼ばれ、それぞれの婚約者が、骨抜きだという噂だ」

 サラが、静かに頷く。

「今なお、虎視眈々と姉妹を狙っている者も多いらしいわよ」

 ……初耳だ。


「フローリアは社交にほとんど出てこないため、『美しき病弱な令嬢』『深窓の令嬢』と噂され、顔を知られていないにもかかわらず、大量の縁談が届いているそうだ」

 大量の、縁談?

 頭が追いつかない。俺は、自分がフローリアについて、驚くほど何も知らなかったことに気づき、言葉を失った。



「……あの分厚い眼鏡はな。父親から贈られたものらしい。おそらく、顔の認識を妨げる特殊な加工が施されている」

「きっとそうね。フローリア、じっと目を見られるのが苦手だって言っていたもの」

 サラが、納得したように言った。


 目が、悪いんだとばかり思っていた。

 

「姓をあまり名乗らないし、第三区は平民が多い。だから気づいていない者も多いが……」

 団長の声は落ち着いているが、その内容は重かった。


「絶対、美人よ!」

 間髪入れず、サラが声を張り上げる。


「よく見なさい。顔の輪郭は整ってるし、鼻も口も形がいい。あの眼鏡を取ったら――いいえ、取らなくてもよ。最近は美容を気にし始めて、確実に“スペック”が上がってるわ」

 指折り数えるように、容赦なく続ける。



「それに、何より性格がいい。優しくて、控えめで、気遣いもできる。……ライバルなんて、いくらでもいるわ」

 サラが、わざとらしく声を落とす。

「知ってる? 最近、フローリアが医療室を手伝っている時間帯ね。騎士たちが、用事もないのに足しげく通っているのよ」

 なんだと?

 思わず、奥歯を噛みしめた。

 俺でさえ、最近は忙しくて顔を出せていないというのに。それを、用事もなく……?


「……叩きのめしてやる」

「馬鹿ね。怪我をしたら、これ幸いと医療室に行くじゃない」

 即座に切り捨てられた。

 くっ……では、どうすればいい。

 答えが出ない俺を見て、サラは深く息を吸った。



「四つ、言いたいことがあるわ」

 その声音に、冗談の色は一切なかった。


「普段、眉間にしわを寄せて、にこりともしないあなたが。フローリアの前では、優しそうに微笑んでいる」

 一つめ、そうなのか?。


「忙しい合間を縫って、わざわざ様子を見に行く」

 二つ、わざわざ……って。


「人に謝るのが苦手なあなたが、嫌われたくないからって、謝罪の品まで用意する」

 三つ、確かに。


「フローリアの喜ぶ顔が見たいから、訓練狂のあなたが、朝の鍛錬を休んで――四時間も、店に並ぶ」


 四つ、そう言われれば。



 ここで、ぴたりとサラの指が止まる。

 な、なんだ?



「恋よ! あなたは、フローリアに恋をしているのよ!!」



 サラは、まっすぐ俺を指差した。その言葉が、容赦なく突き刺さる。

 否定しようとして、言葉が、どこにも見当たらなかった。



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