悪気がないかどうか、それを決めるのは私です

15.大きな綻び sideソフィア

 side ソフィア

「――皆、一旦、手を止めてくれ」

 その一言で、室内の音がすっと消えた。

 入口に立つ室長の顔は、はっきりと青ざめている。普段は穏やかで、多少の失敗にも動じない人なのに……。その室長が、唇を強く引き結び、私たちを見渡していた。


「いくつか、確認したいことがある。まず、薬草を育てている第二温室だが、半分以上の薬草が、腐っている」

 室内のあちこちで、息を呑む気配がした。

 ……腐っている?

 思わず、指先に力が入る。

 第二温室は、扱う薬草も管理方法も基本的なものばかりだ。失敗が起きにくいからこそ、経験の浅い者も任される場所のはず。



「担当は、誰だ」

 その問いに、空気がざわりと揺れた。やがて、先輩たちの中から、数名がおずおずと手を上げる。

 え? 一人ではなく複数人で管理していて、薬草を……腐らせた?

 薬師なのに……?



「せ、世話は、きちんとしています」

 手を上げた一人が、小さく声を絞り出した。


「水も、肥料も……指示通りに……」

 言葉を選びながら必死に続けるが、その声には、はっきりと怯えが滲んでいる。



「でも……理由が分からないまま、どんどん弱って……気づいたら、枯れて……」

 語尾が、消えた。それは言い訳というより、困惑と恐怖だった。

 私は、頭の中で状況を整理しようとする。世話が疎かだったとは思えない。手順を誤った様子もない。それなのに、半分以上が腐る?

 ……どう考えても、おかしいわ。



「はぁ……枯れたのではない。腐ったのだ」

 室長の声が、鋭く響いた。



「あの温室で育てている薬草は、乾燥地のものだ。水が少なく、栄養の乏しい土地で育つ性質の薬草だぞ。それを、水も肥料も次々に与えたらどうなる?」

 答えを待たず、声を荒げた。



「腐るに決まっているだろう!!」

 怒声が部屋中に反響し、その場にいた全員が息を呑んだ。先輩たちは一斉に青ざめ、誰かが喉を鳴らす音がした。



「宮廷薬師ともあろう者が、薬草の基礎知識も理解していないなど……今まで、こんなことはなかったはずだ。前の担当者は、きちんと引き継ぎをしたのか?」

 室長は深く息を吐き、険しい表情のまま言葉を続ける。その問いに、沈黙が落ちる。

 だが次の瞬間、別の先輩がはじかれたように口を開いた。



「し、しています! 私たちは、ちゃんと引き継ぎました!! でも……」

 言いにくそうに視線を伏せる。

「……その、今年、新人が入ってきてからは、今の担当者たちはずっとフローリアに任せていて……。引き継ぎ書もフローリアに渡しましたし、現担当者たちは……確認していないはずです」



室内が、ざわりと揺れた。
 

 え? フローリアに、全部やらせていた? 第二温室の管理を、知識も経験も浅い新人に? 断るのが苦手だと、皆知っているのに?

 ……信じられない。

 それは引き継ぎではない。ただの、押し付けだ。視線の先で、先輩たちは責任から逃れるように俯いている。怒りが、じわじわと込み上げてくる。

 


「ちょっと、余計なこと言わないで!」

 言われた担当者は、明らかに苛立った声を出した。


「うるさいわね。私がちゃんと引き継ぎをしていなかったなんて思われたら、たまったもんじゃないわ」

 視線を逸らしながら、別の先輩が吐き捨てる。



「あんただって、同じじゃない。フローリアに発注書を全部やらせてたの、知ってるんだから。取り引き内容、今になって慌てて覚えてるんでしょ。バレバレなのよ」


 ――嘘でしょう?。

 言葉を失う。

 先輩たち……自分の仕事を、フローリアに押し付けていたってこと?

 薬草の管理だけじゃない。発注書、取引内容、事務作業まで。新人に任せる範囲を、完全に超えている。



「……なるほど。最近、注文ミスが多いと思っていたが……そういうことか」

 室長の一言に、先輩たちは一斉に顔を見合わせ、居心地悪そうに視線を彷徨わせる。



「ち、違うんです、室長!」

 慌てたように、別の先輩が声を張り上げた。



「そ、そうだ! 関係ない顔をしていますけど、そこにいるイアンやアレクも……!」

 指差された二人が、ぎょっとする。


「書類整理とか、器具の洗浄とか……フローリアにやらせていました。私たちだけじゃありません!」

「なっ、巻き込むなよ!」

 イアンが声を荒げる。



「俺たちは、新人を鍛えようとしていただけだ!」

 鍛える? 都合のいい言葉だわ。

 そのやり取りを聞きながら、室長の表情が、はっきりと変わっていく。眉が寄り、目が鋭く細められ、口元から感情が消える。

 空気が、重く沈んだ。

 これはもう、言い逃れの段階ではない。薬師としての姿勢そのものが、問われようとしている。

 

「……そうか。作業場が妙に雑然としてきたと思っていたが、そのせいか」

 室長は目を伏せ、短く息を吐いた。


「たるんでいるとは感じていたが……。はぁ。だが、大事な話はまだある」

 顔を上げ、その視線が室内をなぞる。



「昨日の当直は、誰だ」

「……わ、私です……」

 消え入りそうな声で、一人の先輩が名乗り出た。



「君は昨日、当直をせずに帰ったな?」

 室長の声が、低く鋭くなる。



「なぜだ! 昨夜、王子殿下が急な腹痛を訴えられた。当直がいなかったため、私が呼び出された」

 ぴしり、と空気が張り詰める。


「いったい、何を考えている!! どんな処罰が下るか分からん。覚悟しろ!」

「ひっ……た、助けてください!」

 先輩は半ば泣き声で叫んだ。



「き、急用ができたのです……でも、もう誰も残っていなくて、頼めなくて……。 か、勝手に帰ったのは今回が初めてです!」

 一瞬、言葉を切り――。

「い、いつもは……フローリアに、ちゃんと頼んで……あっ……」

 その場の空気が、凍りついた。




「……また、フローリアか!」

 室長の声が、明らかに怒気を帯びる。


「まさかとは思うが……最近、ポーションの質が落ちている件にも、フローリアは関係していないだろうな?」

 その問いに、先輩たちは一斉に視線をそらした。誰一人、否定しない。居心地の悪さが、沈黙となって広がる。

 そんな……。ポーション作りまで、押し付けられていたの?

 思わず唇を噛む。

 フローリア、どれだけ抱え込んでいたの。大変なら、大変だって言ってくれればよかったのに。

 同じ新人で、同期なのに。どうして、私は気づいてあげられなかったんだろう。

 悔しさと情けなさが、静かに込み上げてきた。




「……なんということだ」

 室長は額を押さえ、低くつぶやいた。



「首にするべきなのは、フローリアではなかった……ということか」

 その声には、怒りだけでなく、判断を誤ったことへの失望がにじんでいた。重たい空気の中で、室長は一度大きく息を吐き、私たちの方へ向き直る。

 何かしら?

「……さて、ソフィア、ウィリアム。王妃様の依頼は、これまで即座に形にしてきたお前たちが、なぜ今回はここまで時間がかかっている。お前たちも……フローリアがいないから、と言うのか?」

 ――え? 当たり前じゃない。何を今更。


「室長!」

 私は一歩前に出て、はっきりと言った。



「私はずっと、三人での共同開発だと説明してきました。フローリアは、私の『こうなったらいい』を、必ず形にしてくれる人です。成果は彼女の努力あってこそだと、何度も伝えました」

 一息つき、視線を外さず続ける。



「手柄を独り占めしたことなんて、一度もありません。それなのに、彼女を辞めさせて、私たち二人だけで開発を続けさせようとしたのは……室長でしょう?」

 どうして、そんな唖然とした顔をするの。

 あなたや先輩たちの判断でフローリアがいなくなって、一番困っているのは、私たちなのに。



「……研究や成果物の代表名は、ソフィアだったじゃないか」

 室長は、淡々と告げる。

「通常、最も功績を上げた者が開発代表者となる。代表ではない者が抜けたとして、そこまで影響が出るとは思わない……これまでの成果について、報告書を見ながら改めて話を聞きたい。二人とも、別室に来てくれ」

 そう言って、室長は背を向けた。

 こうなったら、ちゃんと説明して、フローリアが戻ってこられるようにしてあげないと。



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