最低シンデレラ〜元カレ公爵様の唯一らしい〜
晩餐の後、カイに連れられたのは、居館の二階にある庭園に面した南向きのバルコニーだった。夜風が全身を撫でていくように心地よかった。とはいえ、季節はまだ春の始まりだ。陽が落ちた王都ローゼンの夜はそれなりに冷える。
庭園には等間隔にガス灯が点されていて、生垣の迷路の輪郭がぼんやりと窺えた。遠くでフクロウが一声鳴いた。辺境アンシャル砦には砲弾と軍靴の喧噪しかなかったから、ここまでの静寂を味わったのは、久しぶりだった。
確か、最後に静寂を感じたのは、クラウスじいさんが暖炉の前でロッキング・チェアに腰かけ、うつらうつらしていた頃の平穏。遠い記憶だった。もう、じいさんの顔の詳細は少しも思いだせない。
真鍮製の手すりにもたれかかると、ワインボトルとグラス二脚を持ったカイがどこからともなく現れた。使用人に命じるのではなく、自分で持ってくるあたりがこの男の不可思議なところだった。
「寝酒だ、飲むぞ」
「晩餐でも飲みましたが。これ以上は……」
「飲めるくせに。知っているぞ。まだ許容量の半分も行っていないことを」
「よく、ご存じで」
とん、と籐テーブルの上にグラスが置かれた。透明な金色の液体がグラスにしずしずと注がれていく。
「王国沿岸産南斜面十五年ものだ」
「だから、呪文ですか」
「呪文、かもな。……美味しいワインの呪文」
「ふうん」
お互いグラスを軽く掲げてから、グラスに口をつける。まず、爽やかな果実の香りが駆け抜けた。甘酸っぱい。花畑を口に含んだような、華やかな芳香。
「悪くないですね」
「だろう?」
夜風に彼の紅い髪がなびいた。ガス灯の琥珀色が彼の碧い瞳に映り込む。何を見惚れているのだ、と思考が酒精で緩慢になっていることを自覚した。半年間の飢餓に苛まれた身体には、いささか酔いが早く回るようだった。
「それ、持っていてくれたんだな」
彼の視線がエミリーの襟元に縫い留められる。その声が、一瞬、掠れかけた。
「……ああ、これですか」
首にかけた細い鎖の先にぶら下がる、薄い金属の小片。刻印されているのは名前と識別番号。
──兵士識別票。
庭園には等間隔にガス灯が点されていて、生垣の迷路の輪郭がぼんやりと窺えた。遠くでフクロウが一声鳴いた。辺境アンシャル砦には砲弾と軍靴の喧噪しかなかったから、ここまでの静寂を味わったのは、久しぶりだった。
確か、最後に静寂を感じたのは、クラウスじいさんが暖炉の前でロッキング・チェアに腰かけ、うつらうつらしていた頃の平穏。遠い記憶だった。もう、じいさんの顔の詳細は少しも思いだせない。
真鍮製の手すりにもたれかかると、ワインボトルとグラス二脚を持ったカイがどこからともなく現れた。使用人に命じるのではなく、自分で持ってくるあたりがこの男の不可思議なところだった。
「寝酒だ、飲むぞ」
「晩餐でも飲みましたが。これ以上は……」
「飲めるくせに。知っているぞ。まだ許容量の半分も行っていないことを」
「よく、ご存じで」
とん、と籐テーブルの上にグラスが置かれた。透明な金色の液体がグラスにしずしずと注がれていく。
「王国沿岸産南斜面十五年ものだ」
「だから、呪文ですか」
「呪文、かもな。……美味しいワインの呪文」
「ふうん」
お互いグラスを軽く掲げてから、グラスに口をつける。まず、爽やかな果実の香りが駆け抜けた。甘酸っぱい。花畑を口に含んだような、華やかな芳香。
「悪くないですね」
「だろう?」
夜風に彼の紅い髪がなびいた。ガス灯の琥珀色が彼の碧い瞳に映り込む。何を見惚れているのだ、と思考が酒精で緩慢になっていることを自覚した。半年間の飢餓に苛まれた身体には、いささか酔いが早く回るようだった。
「それ、持っていてくれたんだな」
彼の視線がエミリーの襟元に縫い留められる。その声が、一瞬、掠れかけた。
「……ああ、これですか」
首にかけた細い鎖の先にぶら下がる、薄い金属の小片。刻印されているのは名前と識別番号。
──兵士識別票。