最低シンデレラ〜元カレ公爵様の唯一らしい〜
「俺はクラウス。お嬢はエミリーだな」

 クラウスと名乗ったおじいさん。名無しはエミリーと名付けられた。

「三年前のことさ。海難事故で息子夫婦を亡くした。新婚旅行だったんだ。俺が船旅で海外旅行を勧めたばっかりに……」

 ぽつりと、そうこぼした。おじいさん曰く、「エミリー」は息子夫婦に女の子が誕生したら付けようと思っていた名前だったそうだ。

 クラウスじいさんは元々大学で生物学の教鞭をとっていたそうだ。引退して夢だったパン屋を開いた。彼はパンの焼き方から、読み書き計算まで教えてくれた。

「パンはな、何より発酵が大事なんだ。お前さんも今は発酵途中なのさ。酵母がパン生地の中で必死に生きとる。お前さんの身体を構成する細胞だって同じことさ。それが、いつか成長して、ふかふかの美味いパンを作るってことさな。ま、美味いパンは作れても上手い喩え話ができとるかどうかはわからんもんだが」

 エミリーは、この世界にようやく残飯以外の食事があることを知った。ルビー色のローストビーフ。塩茹でしたぷりぷりの大海老。庭の菜園の採れたて野菜。果物屋からお裾分けしてもらったリンゴ。……クラウスじいさんの焼きたてパン。

 朝五時の鐘が鳴る前に起きて、クラウスじいさんのパン仕込みを手伝って、朝八時にパンを買いにくる客たちの店番をする。

 シナモンロール、クロワッサン、アップルパイ、ローストチキンサンド……。

 お店は毎日大盛況で、次々に商品が売れていく。一日に銅貨一枚、手伝ったお駄賃をもらう。プレゼントに買ってもらったブリキのうさぎの貯金箱にコインを貯める。

 貯まったコインを初めて使ったのは、生物図鑑だった。庭にやってくる蝶が美しかったから。庭木のオレンジに蝶の蛹があった。その名前を知りたくて。クラウスじいさんはアゲハチョウだと言った。

「本当にアゲハチョウかどうか確かめたい!」
< 5 / 21 >

この作品をシェア

pagetop