シンママの隣に越して来たエリート経営者は元カレです
第十話
「来週末に水族館で綾斗君の好きなキャラクターがコラボイベントをやるんですが、良かったら行きませんか?」
降園時に園庭で駆け回る綾斗を遠巻きに眺めていると、他の保護者と話していたはずの峰岸先生が声を掛けてくる。周囲に他の保育士や保護者はいなくて、今のはどう考えても私に対しての言葉だ。
でも、担任からいきなりそんな風に保育と全く関係ない話を振られたら困惑するのは当然だ。一瞬、聞き間違えたのかと思ってしまった。
私は驚き顔で振り向いて、「コラボイベント、ですか?」と聞き返す。
「はい。次の土日限定イベントなんですが、綾斗君なら絶対喜んでくれると思うんですよ」
確かに綾斗の園グッズのいくつかはそのキャラクターの物を強請られて持たせている。どちらかというと女の子からの人気があるみたいだけれど、息子は恐竜と同じくらいお気に入りだ。
主要ではないが友達キャラに人魚もいるから水族館でのコラボが実現したんだろうと、峰岸先生がテンション高めに説明してくれる。
聞くところによれば、水族館があるのは先生の地元なのだそうだ。
「あそこ、水族館自体もお勧めなんですよ。綾斗君に聞いたら、まだ行ったことないって言ってたので、ちょうどいいですね」
「……はぁ」
峰岸先生が先にそのイベントのことを話してしまっているのなら、綾斗が行きたいとグズってくるのが目に見える。
「水族館ですか……あそこは家からだと結構、遠いですよね……?」
「もちろん、俺、車出しますよ」
「先生が、ですか?」
私が聞き返すと、峰岸先生は笑顔で大きく頷き返してくる。
私は困惑しながらどう断るべきかと頭を悩ませる。休日に担任保育士とプライベートで出掛けるなんて、どう考えてもトラブルの原因になりかねない。
そんな風に私が角が立たない断りの理由を探していると、ようやく帰る気になったらしい息子が駆け寄ってきて、先生へと目を輝かせながら声をかける。
「コータ先生、ママにお願いしてくれたぁ?」
「さっきお願いしたよ。綾斗君、水族館に行きたいんだもんな」
「うん! ペンギンさんと遊んでみたい!」
二人の間ではすでに行く方向で話が進められていることに、私は絶句する。先生も一緒になって息子と週末の予定を話し始め、行かないとは完全に言い辛い状況だ。
最近、薄々だけれど、峰岸先生の私達母子に対しての気遣いに違和感を覚え始めてはいた。片親だから不便があるだろうという同情的なものなどではなく、それは個人的な好意なのではと。
もしかしたら私が自意識過剰なだけかと、これまではあえて認めないようにしてきたけれど。
年少のクラスはまだ始まったばかりで、今後も息子をこの保育園に預け続けなければならない。私がどう返答するかによって、通い辛くなってしまうのも困る。
私がいつまでも断らないことを都合よく了承と捉えてしまったのか、峰岸先生は嬉しそうに笑っている。
――どうしよう……
すっかり出掛ける気になっている綾斗のご機嫌な顔を眺めて、私は小さく溜め息を吐いた。今回はさすがに無理だけど、次はちゃんと断ろう、そう心に決めて。
けれど心の隅では、綾斗がこんなに懐いているのだから峰岸先生とのことを真剣に考えるべきではと悩む自分もいた。彼ならば住む世界が違うとか、不釣り合いなんじゃないかとか、そんな複雑なことを考えずに一緒にいられるんじゃないか、と。
今のところは恋愛感情なんてないけれど……
自宅アパートの駐輪場にママチャリを停めて息子をチャイルドシートから抱き下ろしていると、私服姿の恭平がコンビニのビニール袋を手に歩いているのが見えた。
私は少し気マズくて気付いていないフリをしようとしたが、ほぼ同時に隣人のことを見つけてしまった綾斗が手を振って挨拶してしまう。
「恭平、こんにちはぁ」
「おかえり、保育園は楽しかったか?」
自転車の横でヘルメットを被ったままご機嫌に飛び跳ねている息子に、恭平は優しい笑顔で話し掛けてくる。まだどこかぎこちなさはあるけれど、彼なりに何とか綾斗との距離を縮めようとしてくれているのは伝わってくる。
綾斗は私が呼ぶように恭平のことは呼び捨てだ。本人はパパと呼ばせたいみたいだが、それは上手くいかないようだ。
恭平が手に持っていたビニール袋の中を覗き込んで、綾斗は箱入りのビスケットを貰って喜んでいる。
「勝手に食べたらダメだぞ。食べる時はちゃんとママに許可をもらってからな」
「うん、分かった」
「もうっ、会う度にお菓子を与えないでよ……」
どう扱っていいか分からず、つい餌付けみたいになってしまってるのは少し問題だけれど。私の小言に、恭平は苦笑いを浮かべている。
お菓子を貰ってさらにテンションが上がったのか、綾斗が得意げにお喋りを始めた。
「今度ね、水族館に行くんだよー」
「へー、いいな」
「いいでしょ、水族館にはね、コータ先生の車で行くんだよ!」
「……コータ先生?」
綾斗の言葉を聞いて、恭平が一気に顔を曇らせる。彼は私のことを探すためにいろいろ調べたみたいだったから、当然ながら綾斗が言うコータ先生が担任の峰岸先生のことだと気付いたのだろう。
「なんで、保育園の先生と?」
綾斗にではなく、私に対して聞き返してくる恭平。私は何と答えて良いか分からず、モゴモゴと言葉を濁す。
「綾斗の好きなキャラのイベントが水族館であるらしくて……」
「うん、それで何で保育士と?」
もうすっかり日も落ちてしまい、駐輪場横にある外灯の弱々しい灯りだけでは恭平の表情はよく見えない。ただ、その声はどこか寂しそうに聞えた。
降園時に園庭で駆け回る綾斗を遠巻きに眺めていると、他の保護者と話していたはずの峰岸先生が声を掛けてくる。周囲に他の保育士や保護者はいなくて、今のはどう考えても私に対しての言葉だ。
でも、担任からいきなりそんな風に保育と全く関係ない話を振られたら困惑するのは当然だ。一瞬、聞き間違えたのかと思ってしまった。
私は驚き顔で振り向いて、「コラボイベント、ですか?」と聞き返す。
「はい。次の土日限定イベントなんですが、綾斗君なら絶対喜んでくれると思うんですよ」
確かに綾斗の園グッズのいくつかはそのキャラクターの物を強請られて持たせている。どちらかというと女の子からの人気があるみたいだけれど、息子は恐竜と同じくらいお気に入りだ。
主要ではないが友達キャラに人魚もいるから水族館でのコラボが実現したんだろうと、峰岸先生がテンション高めに説明してくれる。
聞くところによれば、水族館があるのは先生の地元なのだそうだ。
「あそこ、水族館自体もお勧めなんですよ。綾斗君に聞いたら、まだ行ったことないって言ってたので、ちょうどいいですね」
「……はぁ」
峰岸先生が先にそのイベントのことを話してしまっているのなら、綾斗が行きたいとグズってくるのが目に見える。
「水族館ですか……あそこは家からだと結構、遠いですよね……?」
「もちろん、俺、車出しますよ」
「先生が、ですか?」
私が聞き返すと、峰岸先生は笑顔で大きく頷き返してくる。
私は困惑しながらどう断るべきかと頭を悩ませる。休日に担任保育士とプライベートで出掛けるなんて、どう考えてもトラブルの原因になりかねない。
そんな風に私が角が立たない断りの理由を探していると、ようやく帰る気になったらしい息子が駆け寄ってきて、先生へと目を輝かせながら声をかける。
「コータ先生、ママにお願いしてくれたぁ?」
「さっきお願いしたよ。綾斗君、水族館に行きたいんだもんな」
「うん! ペンギンさんと遊んでみたい!」
二人の間ではすでに行く方向で話が進められていることに、私は絶句する。先生も一緒になって息子と週末の予定を話し始め、行かないとは完全に言い辛い状況だ。
最近、薄々だけれど、峰岸先生の私達母子に対しての気遣いに違和感を覚え始めてはいた。片親だから不便があるだろうという同情的なものなどではなく、それは個人的な好意なのではと。
もしかしたら私が自意識過剰なだけかと、これまではあえて認めないようにしてきたけれど。
年少のクラスはまだ始まったばかりで、今後も息子をこの保育園に預け続けなければならない。私がどう返答するかによって、通い辛くなってしまうのも困る。
私がいつまでも断らないことを都合よく了承と捉えてしまったのか、峰岸先生は嬉しそうに笑っている。
――どうしよう……
すっかり出掛ける気になっている綾斗のご機嫌な顔を眺めて、私は小さく溜め息を吐いた。今回はさすがに無理だけど、次はちゃんと断ろう、そう心に決めて。
けれど心の隅では、綾斗がこんなに懐いているのだから峰岸先生とのことを真剣に考えるべきではと悩む自分もいた。彼ならば住む世界が違うとか、不釣り合いなんじゃないかとか、そんな複雑なことを考えずに一緒にいられるんじゃないか、と。
今のところは恋愛感情なんてないけれど……
自宅アパートの駐輪場にママチャリを停めて息子をチャイルドシートから抱き下ろしていると、私服姿の恭平がコンビニのビニール袋を手に歩いているのが見えた。
私は少し気マズくて気付いていないフリをしようとしたが、ほぼ同時に隣人のことを見つけてしまった綾斗が手を振って挨拶してしまう。
「恭平、こんにちはぁ」
「おかえり、保育園は楽しかったか?」
自転車の横でヘルメットを被ったままご機嫌に飛び跳ねている息子に、恭平は優しい笑顔で話し掛けてくる。まだどこかぎこちなさはあるけれど、彼なりに何とか綾斗との距離を縮めようとしてくれているのは伝わってくる。
綾斗は私が呼ぶように恭平のことは呼び捨てだ。本人はパパと呼ばせたいみたいだが、それは上手くいかないようだ。
恭平が手に持っていたビニール袋の中を覗き込んで、綾斗は箱入りのビスケットを貰って喜んでいる。
「勝手に食べたらダメだぞ。食べる時はちゃんとママに許可をもらってからな」
「うん、分かった」
「もうっ、会う度にお菓子を与えないでよ……」
どう扱っていいか分からず、つい餌付けみたいになってしまってるのは少し問題だけれど。私の小言に、恭平は苦笑いを浮かべている。
お菓子を貰ってさらにテンションが上がったのか、綾斗が得意げにお喋りを始めた。
「今度ね、水族館に行くんだよー」
「へー、いいな」
「いいでしょ、水族館にはね、コータ先生の車で行くんだよ!」
「……コータ先生?」
綾斗の言葉を聞いて、恭平が一気に顔を曇らせる。彼は私のことを探すためにいろいろ調べたみたいだったから、当然ながら綾斗が言うコータ先生が担任の峰岸先生のことだと気付いたのだろう。
「なんで、保育園の先生と?」
綾斗にではなく、私に対して聞き返してくる恭平。私は何と答えて良いか分からず、モゴモゴと言葉を濁す。
「綾斗の好きなキャラのイベントが水族館であるらしくて……」
「うん、それで何で保育士と?」
もうすっかり日も落ちてしまい、駐輪場横にある外灯の弱々しい灯りだけでは恭平の表情はよく見えない。ただ、その声はどこか寂しそうに聞えた。