シンママの隣に越して来たエリート経営者は元カレです
第九話
年少にもなると綾斗も周りの友達の話を聞いてきて、羨ましがって同じことがしたいと強請ってくることが増えてきた。
その日は一番よく遊んでいるという壮太君がショッピングモールで期間限定で開催されている恐竜展に行ってきたという話を聞いたらしく、お迎えに行くと興奮気味に訴えてくる。どんな種類が展示されているとか、帰りに何のグッズを買ってもらったとか、聞いたばかりの話を目をキラキラさせながら。
「壮太君だけじゃないよ、アツ君も行ったって言ってたもん」
年少クラスでは密かな恐竜ブームが起こっているらしく、見に行ってきた子が週明けに自慢してくるのだという。特に男児の間では恐竜の絵本が取り合いになることが頻繁にあるほどの過熱ぶりらしい。
私はスマホでそのイベント情報を検索してから、息子に向かって溜め息混じりに首を横に振ってみせる。
「ここ、車が無いとすごく遠そうだね……駅から歩いて行ける距離じゃないみたいだし」
郊外型のショッピングモールで最寄り駅からバスに乗るかタクシーを使わないといけない。
決して無理というわけじゃないけれど、電車やバスを乗り継ぎすることを考えると躊躇ってしまう距離だ。行きは良くても帰りに綾斗がグズらずに歩けるかが心配。
息子の興味あるものは出来る限り見せてあげたいとは思うけれど、車どころか運転免許も持っていない私には無条件で頷き返してあげることができなかった。
代わりに新しい図鑑か絵本をと交渉してみても、周りの子達に散々自慢されてしまった綾斗が納得してくれそうにない。
「んー、でもね……」
「綾斗も行きたい。どうしてもダメなの?」
帰りの用意が出来た後も、綾斗は保育室の入り口近くでグズり続ける。他のクラスの保護者が前を通り過ぎていく時、同情するような笑みを浮かべていた。
しばらくすると、いつまでも降園しない私達のことに気付いたらしく、保育室から峰岸先生が出てきて心配そうに声をかけてくる。
「綾斗君、どうした?」
先生は綾斗の前でしゃがみ込み、子供の顔を覗いて優しく問いかける。綾斗は私にはグズるだけでまともに話してくれなかったのに、峰岸先生にはちゃんと考えながら理由を説明し始める。やはり保育のプロは違う。
「恐竜見に行きたいって言ったけど、ママがダメって……」
「ああ、恐竜展か。綾斗君、恐竜が好きだもんな」
「アツ君とか、みんなもう連れてってもらったって言ってたのに」
「そうだね。みんなが見に行ったって聞いたら、行きたくなるよね。先生もまだ行ってないから、ものすごく気になってる」
「先生もまだ行ってないの?」
「行ってないよー、ちょっと遠いもんな」
行ってないのは自分だけじゃないと知って、綾斗が少しホッとした表情になる。恐竜を見たいのもあるだろうけど、仲間外れになるのが嫌だったのかもしれない。
先生と話しているうちに気持ちも落ち着いてきたみたいだったから、私は綾斗に向かって再び降園を促す。家に帰ったら恐竜展のことなんてその内に忘れてくれるはずだ。
「綾斗、とりあえずお家に帰ろ。ママ、恐竜展のことはもう少し調べてからちゃんと考えるから」
心配して様子を見に出てきてくれた峰岸先生にはお礼を伝えて、私は綾斗の手を取って保育室の前を去りかける。
と、峰岸先生は立ち上がった後に、私へ向かって少し遠慮がちに言ってきた。
「あの、もし良かったら綾斗君と一緒に行きませんか? 俺、車出しますから」
「……え?」
私は歩きかけた足を止め、廊下から峰岸先生を振り返る。綾斗はすぐに私の手を離して先に下駄箱へと駆けて行ってしまっていたから、彼の今の言葉は明らかに私だけに向けられていた。
「あ、恐竜展に行きたいっていうのも勿論あるんですけど、えっと、その……」
峰岸先生は頭を掻きながら俯いて、照れたように私から視線を逸らせる。思いがけない彼のその反応に、私は自分の目と耳を疑った。
「先生と、ですか?」
「はい。大槻さんさえ良かったら、ですが」
「いえ、でも……」
私立の認可保育園だから職員の規則はそこまで厳しくはないんだろうか? いや、今のご時世そんなわけはないだろう。
そんな疑問が頭を横切ったのが分かったのか、峰岸先生が慌てて言葉を足す。
「あ、勿論、園的にはマズいのはマズいんですけど……でも、綾斗君もとても行きたがってますし」
それは何か言い訳じみた風に聞こえたが、きっと私の気のせいだ。先生にそこまで気を使わせては申し訳ないと、私は覚悟を決める。子供の望みくらい親である私が叶えてあげなければ。
「大丈夫です。綾斗、電車もバスも好きなので、自分で連れて行きます」
「……そうですね。綾斗君、きっと喜ぶと思いますよ」
峰岸先生が心なしか気落ちしているように見えたのは、せっかく好意で申し出てくれたのを無下に断ってしまったからだろう。でも、休日まで先生の手を煩わせるわけにはいかない。
私は今決めたばかりの週末の予定を伝えようと、息子の後を急いで追いかけた。
その日は一番よく遊んでいるという壮太君がショッピングモールで期間限定で開催されている恐竜展に行ってきたという話を聞いたらしく、お迎えに行くと興奮気味に訴えてくる。どんな種類が展示されているとか、帰りに何のグッズを買ってもらったとか、聞いたばかりの話を目をキラキラさせながら。
「壮太君だけじゃないよ、アツ君も行ったって言ってたもん」
年少クラスでは密かな恐竜ブームが起こっているらしく、見に行ってきた子が週明けに自慢してくるのだという。特に男児の間では恐竜の絵本が取り合いになることが頻繁にあるほどの過熱ぶりらしい。
私はスマホでそのイベント情報を検索してから、息子に向かって溜め息混じりに首を横に振ってみせる。
「ここ、車が無いとすごく遠そうだね……駅から歩いて行ける距離じゃないみたいだし」
郊外型のショッピングモールで最寄り駅からバスに乗るかタクシーを使わないといけない。
決して無理というわけじゃないけれど、電車やバスを乗り継ぎすることを考えると躊躇ってしまう距離だ。行きは良くても帰りに綾斗がグズらずに歩けるかが心配。
息子の興味あるものは出来る限り見せてあげたいとは思うけれど、車どころか運転免許も持っていない私には無条件で頷き返してあげることができなかった。
代わりに新しい図鑑か絵本をと交渉してみても、周りの子達に散々自慢されてしまった綾斗が納得してくれそうにない。
「んー、でもね……」
「綾斗も行きたい。どうしてもダメなの?」
帰りの用意が出来た後も、綾斗は保育室の入り口近くでグズり続ける。他のクラスの保護者が前を通り過ぎていく時、同情するような笑みを浮かべていた。
しばらくすると、いつまでも降園しない私達のことに気付いたらしく、保育室から峰岸先生が出てきて心配そうに声をかけてくる。
「綾斗君、どうした?」
先生は綾斗の前でしゃがみ込み、子供の顔を覗いて優しく問いかける。綾斗は私にはグズるだけでまともに話してくれなかったのに、峰岸先生にはちゃんと考えながら理由を説明し始める。やはり保育のプロは違う。
「恐竜見に行きたいって言ったけど、ママがダメって……」
「ああ、恐竜展か。綾斗君、恐竜が好きだもんな」
「アツ君とか、みんなもう連れてってもらったって言ってたのに」
「そうだね。みんなが見に行ったって聞いたら、行きたくなるよね。先生もまだ行ってないから、ものすごく気になってる」
「先生もまだ行ってないの?」
「行ってないよー、ちょっと遠いもんな」
行ってないのは自分だけじゃないと知って、綾斗が少しホッとした表情になる。恐竜を見たいのもあるだろうけど、仲間外れになるのが嫌だったのかもしれない。
先生と話しているうちに気持ちも落ち着いてきたみたいだったから、私は綾斗に向かって再び降園を促す。家に帰ったら恐竜展のことなんてその内に忘れてくれるはずだ。
「綾斗、とりあえずお家に帰ろ。ママ、恐竜展のことはもう少し調べてからちゃんと考えるから」
心配して様子を見に出てきてくれた峰岸先生にはお礼を伝えて、私は綾斗の手を取って保育室の前を去りかける。
と、峰岸先生は立ち上がった後に、私へ向かって少し遠慮がちに言ってきた。
「あの、もし良かったら綾斗君と一緒に行きませんか? 俺、車出しますから」
「……え?」
私は歩きかけた足を止め、廊下から峰岸先生を振り返る。綾斗はすぐに私の手を離して先に下駄箱へと駆けて行ってしまっていたから、彼の今の言葉は明らかに私だけに向けられていた。
「あ、恐竜展に行きたいっていうのも勿論あるんですけど、えっと、その……」
峰岸先生は頭を掻きながら俯いて、照れたように私から視線を逸らせる。思いがけない彼のその反応に、私は自分の目と耳を疑った。
「先生と、ですか?」
「はい。大槻さんさえ良かったら、ですが」
「いえ、でも……」
私立の認可保育園だから職員の規則はそこまで厳しくはないんだろうか? いや、今のご時世そんなわけはないだろう。
そんな疑問が頭を横切ったのが分かったのか、峰岸先生が慌てて言葉を足す。
「あ、勿論、園的にはマズいのはマズいんですけど……でも、綾斗君もとても行きたがってますし」
それは何か言い訳じみた風に聞こえたが、きっと私の気のせいだ。先生にそこまで気を使わせては申し訳ないと、私は覚悟を決める。子供の望みくらい親である私が叶えてあげなければ。
「大丈夫です。綾斗、電車もバスも好きなので、自分で連れて行きます」
「……そうですね。綾斗君、きっと喜ぶと思いますよ」
峰岸先生が心なしか気落ちしているように見えたのは、せっかく好意で申し出てくれたのを無下に断ってしまったからだろう。でも、休日まで先生の手を煩わせるわけにはいかない。
私は今決めたばかりの週末の予定を伝えようと、息子の後を急いで追いかけた。