シンママの隣に越して来たエリート経営者は元カレです
第十一話・水族館
私が説明を濁していても綾斗が横から好き勝手に喋り出して、子供の話からおおよその事情を察したらしい恭平は「そっか……」とだけ呟いて、アパートの階段を上っていく。私達もその後に続いて、互いに隣り合う部屋の鍵を開ける。
玄関ドアを閉める前、恭平が何か言いたそうに私達の方を見ていたが、結局は何も言わないまま部屋の中へ入っていった。
一緒にいたいと言いつつも、彼は私に対して無理強いしようとはしない。強引に出て、また私が逃げ出してしまうことを恐れているんだろうか。あの時とは違い、私にはもう頼れる場所なんて無いのだけれど。
綾斗が大事に手に握りしめているお菓子は、彼と付き合っていた時に私がよく買っていた物だ。
土曜の朝、前日の降園時に約束した時間になると、峰岸先生の車がアパートの前に停まった。園の駐車場でいつも見かけていたミニバン。完全に私服姿の彼を見るのは初めてで、私も綾斗も見慣れるまで少し時間がかかった。エプロンじゃない峰岸先生は年齢相応の快活な青年という感じだ。
車内では綾斗が退屈しないようにと用意してくれたのか、子供向けのアニメのDVDが再生されていた。
そして、後部座席の床に画用紙で作った花びらが落ちているのを綾斗が見つけると、峰岸先生が照れ笑いを浮かべる。
「ごめん。昨日帰ってから車ん中、ちゃんと掃除したつもりだったんだけど……そっか、まだ残ってたかぁ」
保育室の壁を飾るために作ったパーツだったらしく、園で作り切れなかった分を持ち帰って作業していたのだという。そんな仕事熱心な姿を知ってしまったら、ますます彼の誘いを断り辛くなってくる。
私は促されるまま綾斗と一緒に後部座席へと乗り込む。
実家が近いというだけあり、峰岸先生はカーナビなどは使わずに慣れたように水族館へ向かって車を走らせた。保育園は早番で朝がとても早い時があるからと就職が決まってから一人暮らしを始めたのだという。
「でも週末にはしょっちゅう帰ってるんで、自炊とかは全然ですね。帰る度に親から作り置きをいろいろ持たされるんで」
「ああ、お昼は給食もありますしね」
子供用の茶碗だからコータ先生は毎回ご飯を山盛りによそって食べていると、綾斗が驚いて教えてくれたことがある。いつか先生と同じくらい沢山食べるようになりたいと思っている男児は多いらしい。子供達にとって彼は父親以外の身近な大人の男性で、憧れの存在でもあるのだ。
人気キャラの着ぐるみショーがあるからか、水族館は親子連れの姿が多いようだ。先にショーを見てから館内を回る方がいいかと、私達は少し早めにステージのある広場に向かう。
と、気のせいか視界の隅からこちらの様子を伺うような視線を感じ、私はハッと周囲を見回した。綾斗よりも少し小さな男の子が父親に肩車されているのを微笑ましく眺めながら、その向こうに見える柱の陰に見知った顔を見つけて唖然とする。
まるで一緒に訪れた誰かが席を離れている最中かのように、腕時計を気にしているフリなんかをしているが、間違いなくその人は私と綾斗のことを遠巻きに見ていた。
――えっ、なんでっ⁉
サングラスで目元を隠してはいるが、すらりと背の高い彼のことを見間違うはずがない、絶対に恭平だ。アパートを出た時は隣の部屋から出掛けた様子はなかったし、私達が出た後に追いかけてきたんだろうか。
遠く離れずで別に邪魔をしてくる気配はないから、私は呆れながらも綾斗達にはそのことを知らせはしなかった。峰岸先生にもバレてないのなら知らんぷりを通した方がややこしくならなくていい。
恭平のことは極力気にしないようにしながら、賑やかな曲が鳴り始めたステージへと視線を送る。私と先生との間の席で、登場する着ぐるみの一体一体の名前を大きな声で呼んでいる綾斗はとても楽しそうだ。その息子の様子を先生も嬉しそうに笑いながら様子を見ている。彼が綾斗のことを可愛がってくれているのを感じたのは確かだ。
最初は悩んだけれど連れて来てもらって良かったと、私はステージよりも隣にいる息子のことばかり見ていた。
会場にいる小さな子供達を巻き込んでのクイズ大会までが終わると、次の目的でもあるペンギンを見るために私達は席を立った。
周りの観客も皆、これから館内を巡回していくのかゾロゾロと水族館の本館へ続く通路に行列が発生する。小さな子供が多いから、ゆっくりとしか進まない。
峰岸先生と手を繋いでもらっている綾斗のことを、私は後ろから見守りながらついていく。
傍から見たら二人は親子に見えてしまうんだろうなと思うとちょっと不思議な気分だ。
「あれぇ、コータ先生? えっ、綾斗君……?」
そんな時に聞こえて来た甲高い声に、私は驚いて身体を硬直させる。
自宅からはかなり距離があったけど、決して来れない場所ではない。見知った顔に出会わないとは限らなかった。
声がした方に恐る恐る視線を移動させると、同じ年少クラスの女の子――風間菜摘ちゃんのママが驚いた表情で、担任保育士と手を繋いで歩く綾斗とを交互に見比べている。
菜摘ちゃんは別のところにいるのか、風間さんが押しているバギーの中は空っぽだ。
「あ、風間さん……」
峰岸先生はさりげなく綾斗の手を離し、顔をヒクつかせながら不自然な愛想笑いを浮かべている。彼もここで知り合いと遭遇するのは想定外だったらしい。確かに油断してしまうくらいには離れていたけれど、限定イベントなのだからそれに合わせて子供を連れてくる親だっているだろう。
風間さんも何かマズイものを目撃してしまったという顔をしているし、その場には嫌な空気が流れ始めた。
玄関ドアを閉める前、恭平が何か言いたそうに私達の方を見ていたが、結局は何も言わないまま部屋の中へ入っていった。
一緒にいたいと言いつつも、彼は私に対して無理強いしようとはしない。強引に出て、また私が逃げ出してしまうことを恐れているんだろうか。あの時とは違い、私にはもう頼れる場所なんて無いのだけれど。
綾斗が大事に手に握りしめているお菓子は、彼と付き合っていた時に私がよく買っていた物だ。
土曜の朝、前日の降園時に約束した時間になると、峰岸先生の車がアパートの前に停まった。園の駐車場でいつも見かけていたミニバン。完全に私服姿の彼を見るのは初めてで、私も綾斗も見慣れるまで少し時間がかかった。エプロンじゃない峰岸先生は年齢相応の快活な青年という感じだ。
車内では綾斗が退屈しないようにと用意してくれたのか、子供向けのアニメのDVDが再生されていた。
そして、後部座席の床に画用紙で作った花びらが落ちているのを綾斗が見つけると、峰岸先生が照れ笑いを浮かべる。
「ごめん。昨日帰ってから車ん中、ちゃんと掃除したつもりだったんだけど……そっか、まだ残ってたかぁ」
保育室の壁を飾るために作ったパーツだったらしく、園で作り切れなかった分を持ち帰って作業していたのだという。そんな仕事熱心な姿を知ってしまったら、ますます彼の誘いを断り辛くなってくる。
私は促されるまま綾斗と一緒に後部座席へと乗り込む。
実家が近いというだけあり、峰岸先生はカーナビなどは使わずに慣れたように水族館へ向かって車を走らせた。保育園は早番で朝がとても早い時があるからと就職が決まってから一人暮らしを始めたのだという。
「でも週末にはしょっちゅう帰ってるんで、自炊とかは全然ですね。帰る度に親から作り置きをいろいろ持たされるんで」
「ああ、お昼は給食もありますしね」
子供用の茶碗だからコータ先生は毎回ご飯を山盛りによそって食べていると、綾斗が驚いて教えてくれたことがある。いつか先生と同じくらい沢山食べるようになりたいと思っている男児は多いらしい。子供達にとって彼は父親以外の身近な大人の男性で、憧れの存在でもあるのだ。
人気キャラの着ぐるみショーがあるからか、水族館は親子連れの姿が多いようだ。先にショーを見てから館内を回る方がいいかと、私達は少し早めにステージのある広場に向かう。
と、気のせいか視界の隅からこちらの様子を伺うような視線を感じ、私はハッと周囲を見回した。綾斗よりも少し小さな男の子が父親に肩車されているのを微笑ましく眺めながら、その向こうに見える柱の陰に見知った顔を見つけて唖然とする。
まるで一緒に訪れた誰かが席を離れている最中かのように、腕時計を気にしているフリなんかをしているが、間違いなくその人は私と綾斗のことを遠巻きに見ていた。
――えっ、なんでっ⁉
サングラスで目元を隠してはいるが、すらりと背の高い彼のことを見間違うはずがない、絶対に恭平だ。アパートを出た時は隣の部屋から出掛けた様子はなかったし、私達が出た後に追いかけてきたんだろうか。
遠く離れずで別に邪魔をしてくる気配はないから、私は呆れながらも綾斗達にはそのことを知らせはしなかった。峰岸先生にもバレてないのなら知らんぷりを通した方がややこしくならなくていい。
恭平のことは極力気にしないようにしながら、賑やかな曲が鳴り始めたステージへと視線を送る。私と先生との間の席で、登場する着ぐるみの一体一体の名前を大きな声で呼んでいる綾斗はとても楽しそうだ。その息子の様子を先生も嬉しそうに笑いながら様子を見ている。彼が綾斗のことを可愛がってくれているのを感じたのは確かだ。
最初は悩んだけれど連れて来てもらって良かったと、私はステージよりも隣にいる息子のことばかり見ていた。
会場にいる小さな子供達を巻き込んでのクイズ大会までが終わると、次の目的でもあるペンギンを見るために私達は席を立った。
周りの観客も皆、これから館内を巡回していくのかゾロゾロと水族館の本館へ続く通路に行列が発生する。小さな子供が多いから、ゆっくりとしか進まない。
峰岸先生と手を繋いでもらっている綾斗のことを、私は後ろから見守りながらついていく。
傍から見たら二人は親子に見えてしまうんだろうなと思うとちょっと不思議な気分だ。
「あれぇ、コータ先生? えっ、綾斗君……?」
そんな時に聞こえて来た甲高い声に、私は驚いて身体を硬直させる。
自宅からはかなり距離があったけど、決して来れない場所ではない。見知った顔に出会わないとは限らなかった。
声がした方に恐る恐る視線を移動させると、同じ年少クラスの女の子――風間菜摘ちゃんのママが驚いた表情で、担任保育士と手を繋いで歩く綾斗とを交互に見比べている。
菜摘ちゃんは別のところにいるのか、風間さんが押しているバギーの中は空っぽだ。
「あ、風間さん……」
峰岸先生はさりげなく綾斗の手を離し、顔をヒクつかせながら不自然な愛想笑いを浮かべている。彼もここで知り合いと遭遇するのは想定外だったらしい。確かに油断してしまうくらいには離れていたけれど、限定イベントなのだからそれに合わせて子供を連れてくる親だっているだろう。
風間さんも何かマズイものを目撃してしまったという顔をしているし、その場には嫌な空気が流れ始めた。