シンママの隣に越して来たエリート経営者は元カレです

第十二話

 風間さんは峰岸先生と綾斗の後ろにいた私のことにも気付いたみたいで、不信感丸出しに顔を歪める。
 在園児の親と担任保育士が個人的な関わりがあれば、平等な保育が受けられないと危惧するのは当然だし、逆の立場なら私だってドン引きするだろう。

「ええっ、ウッソ……」

 口元を手で覆って短く呟いてから、風間さんはどう反応して良いかと迷っている様子だ。ただあまり良い感情は抱いていないようで、軽蔑混じりの視線で私と先生の顔を交互に見ていた。
 週末に園児の保護者とプライベートな外出。ワイドショー顔負けのゴシップのタイトルが頭の中を駆け回る。

 ――どうしよう、このままだと絶対、月曜に園に報告されてしまう……

 綾斗の退園と、峰岸先生の解雇が頭の中をよぎる。女児の保護者の中には男性保育士に対してシビアな人がいると聞く。彼が何の処罰も受けずに済むとは思えない。どう考えても共倒れする未来しか見えない。
 生まれた時からお世話になっている保育園をこんな形で追い出される未来なんて、これまで一度も想像したことはなかった。

 けれど、咄嗟のことに上手い言い訳なんて思いつかず、私は慌てふためくことしかできないでいた。峰岸先生も顔を青ざめさせていて、あまり頼りにはできそうもない。
 私は綾斗の身体を自分の方へ引き寄せ、広場を移動していく人波から守る。この場で硬直して動きを止めてしまっているのは、私達くらいだろう。

「あ、あの……私達は別に……」

 何とか声を振り絞って、身の潔白を晴らそうと口を開く。今日は一緒に出掛けたのは事実だけれど、別に付き合っているわけじゃない。風間さんはどこか冷めた目で、私のことを一瞥してくる。
 まるで、「言い訳は一応聞いてあげるわよ」とでも言いたげな、傲慢な視線に私は再び口ごもる。
 と、その時、背後からぐいっと肩を後ろへと引かれた。

「ああ、先生、すみません。俺がトイレに行っていたばかりに」

 聞き慣れた声に振り返ると、さっきまで掛けていたサングラスは胸ポケットに引っ掛けた恭平が、穏やかな笑顔を振り撒きながら峰岸先生へ向けて会釈している。

「きょ、恭平……⁉」
「この人の多さじゃ、綾斗から一瞬でも目を離したら大変ですしね。先生も一緒に付いていてくださって、助かりましたよ」
「はぁ……?」
「いやー、しかし、先生も勉強熱心ですよね。休みの日に水族館だなんて。次のお遊戯の題材とかですか?」

 いきなり現れた恭平のことを、風間さんだけでなく峰岸先生もキョトン顔で見ている。私もいきなり一人で一方的に喋り始める恭平に対し、目をぱちくりさせていた。

「あれ、こちらは? 綾斗と一緒の保育園の?」
「ああ、うん。同じクラスの菜摘ちゃんのお母さん」

 私がそう説明すると、恭平は営業マンばりに爽やかな愛想笑いを張り付けて、風間さんへ向けて挨拶を始める。何となく彼の意図を理解できてきた。今は彼に話を合わせた方がいいはずだ。

「初めまして。いつもお世話になっております、大槻綾斗の父です」
「え、綾斗君のパパさん? あら、私ったら、てっきり……」
「ええ、長く単身赴任をしているもので、園に直接顔を出すことはありませんでしたが。今日は風間さんもご家族でいらっしゃったんですか?」
「はい。主人と娘は先にイルカショーの席を取りに向かってます」
「あ、本当だ。イルカショー、もうすぐ始まってしまいますね。ほら、綾斗、俺らも急いで行かないと」

 「それじゃあ、失礼します」と綾斗を片手で抱き上げて、恭平は私の手を握って歩き始める。着ぐるみショーの混雑はいつの間にか引いていて、私達は茫然としたままの峰岸先生を広場へ残し、その場から離れていく。
 風間さんも予想した展開ではなかったからか、一瞬だけ残念そうな表情になっていたが、すぐにバギーを押して移動し始めたみたいだった。

「……上手くいった、かな?」

 隣から聞こえてくる弾んだ声に、私は恭平の顔を横から見上げる。当初は邪魔をするつもりはなかったみたいだったけれど、私達が困っているのに気付いて咄嗟に芝居を打ってくれたのだ。

「ありがとう、助かったよ。あのままだと、別の保育園を探さなきゃいけないかと思った……」
「勝手について来たこと、怒ってない?」

 恭平はまだ繋いだままの私の手をキュッと握り締めてから、不安そうに確認してくる。

「いるのに気付いた時は、確かにビックリしたけどね」

 帰ってから小言を言うつもりではいたけど、彼があの場にいなかったらどうなっていたか分からない。
 綾斗は置き去りにしてしまった峰岸先生のことを心配しているのか、何度か後ろを気にしていたが、急に恭平が現れたことの方が嬉しそうだった。

「恭平は、本当に綾斗のパパなの?」

 風間さんとの会話を聞いていたらしく、抱っこされたまま綾斗が聞く。
 恭平はいつも綾斗に対してパパだと教え込んでいたが、それはいまいち信じてはいないみたいだった。けれど今日、菜摘ちゃんのママの口から「綾斗君のパパさん」という言葉が出たから、疑問に思ったのだろうか。

「ああ、俺は綾斗のパパだよ」

 恭平が当然だと頷き返したのを見てから、綾斗は私の方を確かめるように振り向いてくる。私は少し考えた後、息子へと黙って頷き返した。
 それは嘘偽りなく、れっきとした真実なのだから。
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