シンママの隣に越して来たエリート経営者は元カレです
第十三話
私達が水族館へ行くと聞いて、恭平はすぐにこの施設のことを調べつくしたようで、さっき風間さんが言っていたイルカショーの開始時間と場所をガイドさながらに案内してくれる。
「次のショーの時間まであと十分ほどか、ギリギリだな。でも、綾斗はイルカよりペンギンが見たいんだろう? 今なら皆がイルカを見に行ってるから、そっちは空いてるはずだよ」
「うん、ペンギンさんの方がいい!」
「じゃあ、東館へ向かうか」
息子の希望を尊重し、ショーが行われる大プールではなく、ペンギンコーナーへと順路を替える。
付き合っていた時もデートの予定は途中でコロコロと替わることが多かった。映画を観に行くはずだったのに、手前で偶然目にしたカフェでパンケーキを食べることになったり。
その時その時の中で一番楽しいことを選んでくれるから、私はいつも充実した時間を過ごすことができた。
――恭平、変わらないなぁ。
前もって立てた計画にガチガチに固執はせず、柔軟に対応できる。それは経営者としても必須な能力なのだと思うが、彼は仕事以外でも自然にそれを発揮できる人だ。
さっきの即席の芝居だってそう、あんな風に咄嗟に機転を利かせられる人はなかなかいない。現に峰岸先生は風間さんに対して何の言い訳もできずにいた。
人の流れに逆らうように向かったペンギンコーナーは、恭平の予想通りに客はまばらで、ペンギン達もリラックスしている姿を見せてくれる。
柵の前に張り付いてペンギン達の様子を眺めている綾斗のことを、私と恭平は隣に並んで見守っていた。綾斗はすぐ目の前をチョコチョコと歩いている皇帝ペンギンのモフモフで大きな赤ちゃんに釘付けになっている。
私はこっそりと横目で恭平のことを覗き見る。彼が綾斗に向ける眼差しはとても優しい。
自分の血を分けた子供がいると初めて知った時、彼はどう思ったんだろうか? 黙って産んだ私に対して、怒りや呆れの感情は湧かなかったんだろうか?
綾斗を産んだことへの後悔は一度もない。けれど、父親である恭平に伝えないままで良かったのかは分からなかった。
――でも、あの時に伝えていたら、きっと……
恭平のことだ、周囲の反対を押し切ってでも私の傍にいてくれただろう。けれど彼の立場はどうなっていたかは分からない。不釣り合いな私とだなんて、彼のエリート人生にとって足枷にしかならなかっただろう。それに、社運を賭けて進められていたというお見合い話だって……
そこまで考えて、私はハッと恭平の顔を見上げた。
「恭平、お見合いしたんじゃなかったの⁉」
いきなり急な再会だったから頭からはすっかり抜け落ちていたが、彼には取引先の会社のお嬢さんとの縁談が持ち上がっていたはずなのだ。だから私は何も言わずに彼から身を引いた。否、周りから非難されるのが怖くて逃げ出した。
なのにどうして、ここにいるのだろう? あんなボロアパートに一人で住んだりしていていいんだろうか?
「……ああ、やっぱり。小春がいなくなる原因なんて、それしかないとは思ってたけど」
「あれっ、でも、こないだまでアメリカ支社にいたって……?」
頭の中が一気に混乱する。彼との再会後もできるだけ距離を置くようにしていたから、深く考えてもいなかった。彼は他の人と結婚するんじゃなかったんだろうか? 渡米はその人と一緒だったのでは?
考えれば考えるほど、なぜ彼が私達と一緒にいるのかが分からなくなる。
――でも、私の気持ちが戻ってくるのを待ってるって……
最初にアパートを訪ねて来た時に言われた言葉を思い出す。あれは既婚者が口にしていいことじゃないし、恭平は口先だけでそんなことを言う人じゃなかったはずだ。
私は思いついた推理を口にする。
「もしかして、お見合い相手から断られた、とか?」
だから、ほとぼりが冷めるまで海外の支社に行くことになったのかと、頷きながら納得する。お見合いすることは会社の人達も知っているはずだし、破談になったら居心地が悪いだろう。
私が同情的な目を向けると、ムッと口元を歪めた恭平が私の額を指先で弾く。
「痛っ⁉ え、何……?」
不意打ちのデコピンは派手な音を立てた割に、実際はそこまで痛くはなかった。攻撃されたところを片手の平で庇いつつ、私は彼の顔を見上げる。恭平は怒っているのか拗ねているのかが分からない微妙な表情になっていた。
「そもそも見合いなんて、してない」
「えっ、だって……」
「そういう話はあったけど、最初から断ってた。交際してる相手がいるのにするわけがないだろ」
イルカショーが終わったのか、ペンギンエリアに少しずつ人が集まり始めた。次はここでもうすぐ行われるペンギン達のお散歩を見るためだ。
恭平は少しばかり声のトーンを落としてから、呆れ笑いを浮かべながら話し続ける。
「だけど小春と急に連絡が取れなくなるし、どうしていいか分からなくなった。だから、ほぼヤケになってアメリカ支社へ行くことにした」
日本を離れたら諦めきれるだろうと考えて。そう口にした後、恭平は今度は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「俺は自分で思ってた以上に、諦めが悪かったみたいだけどな」
「次のショーの時間まであと十分ほどか、ギリギリだな。でも、綾斗はイルカよりペンギンが見たいんだろう? 今なら皆がイルカを見に行ってるから、そっちは空いてるはずだよ」
「うん、ペンギンさんの方がいい!」
「じゃあ、東館へ向かうか」
息子の希望を尊重し、ショーが行われる大プールではなく、ペンギンコーナーへと順路を替える。
付き合っていた時もデートの予定は途中でコロコロと替わることが多かった。映画を観に行くはずだったのに、手前で偶然目にしたカフェでパンケーキを食べることになったり。
その時その時の中で一番楽しいことを選んでくれるから、私はいつも充実した時間を過ごすことができた。
――恭平、変わらないなぁ。
前もって立てた計画にガチガチに固執はせず、柔軟に対応できる。それは経営者としても必須な能力なのだと思うが、彼は仕事以外でも自然にそれを発揮できる人だ。
さっきの即席の芝居だってそう、あんな風に咄嗟に機転を利かせられる人はなかなかいない。現に峰岸先生は風間さんに対して何の言い訳もできずにいた。
人の流れに逆らうように向かったペンギンコーナーは、恭平の予想通りに客はまばらで、ペンギン達もリラックスしている姿を見せてくれる。
柵の前に張り付いてペンギン達の様子を眺めている綾斗のことを、私と恭平は隣に並んで見守っていた。綾斗はすぐ目の前をチョコチョコと歩いている皇帝ペンギンのモフモフで大きな赤ちゃんに釘付けになっている。
私はこっそりと横目で恭平のことを覗き見る。彼が綾斗に向ける眼差しはとても優しい。
自分の血を分けた子供がいると初めて知った時、彼はどう思ったんだろうか? 黙って産んだ私に対して、怒りや呆れの感情は湧かなかったんだろうか?
綾斗を産んだことへの後悔は一度もない。けれど、父親である恭平に伝えないままで良かったのかは分からなかった。
――でも、あの時に伝えていたら、きっと……
恭平のことだ、周囲の反対を押し切ってでも私の傍にいてくれただろう。けれど彼の立場はどうなっていたかは分からない。不釣り合いな私とだなんて、彼のエリート人生にとって足枷にしかならなかっただろう。それに、社運を賭けて進められていたというお見合い話だって……
そこまで考えて、私はハッと恭平の顔を見上げた。
「恭平、お見合いしたんじゃなかったの⁉」
いきなり急な再会だったから頭からはすっかり抜け落ちていたが、彼には取引先の会社のお嬢さんとの縁談が持ち上がっていたはずなのだ。だから私は何も言わずに彼から身を引いた。否、周りから非難されるのが怖くて逃げ出した。
なのにどうして、ここにいるのだろう? あんなボロアパートに一人で住んだりしていていいんだろうか?
「……ああ、やっぱり。小春がいなくなる原因なんて、それしかないとは思ってたけど」
「あれっ、でも、こないだまでアメリカ支社にいたって……?」
頭の中が一気に混乱する。彼との再会後もできるだけ距離を置くようにしていたから、深く考えてもいなかった。彼は他の人と結婚するんじゃなかったんだろうか? 渡米はその人と一緒だったのでは?
考えれば考えるほど、なぜ彼が私達と一緒にいるのかが分からなくなる。
――でも、私の気持ちが戻ってくるのを待ってるって……
最初にアパートを訪ねて来た時に言われた言葉を思い出す。あれは既婚者が口にしていいことじゃないし、恭平は口先だけでそんなことを言う人じゃなかったはずだ。
私は思いついた推理を口にする。
「もしかして、お見合い相手から断られた、とか?」
だから、ほとぼりが冷めるまで海外の支社に行くことになったのかと、頷きながら納得する。お見合いすることは会社の人達も知っているはずだし、破談になったら居心地が悪いだろう。
私が同情的な目を向けると、ムッと口元を歪めた恭平が私の額を指先で弾く。
「痛っ⁉ え、何……?」
不意打ちのデコピンは派手な音を立てた割に、実際はそこまで痛くはなかった。攻撃されたところを片手の平で庇いつつ、私は彼の顔を見上げる。恭平は怒っているのか拗ねているのかが分からない微妙な表情になっていた。
「そもそも見合いなんて、してない」
「えっ、だって……」
「そういう話はあったけど、最初から断ってた。交際してる相手がいるのにするわけがないだろ」
イルカショーが終わったのか、ペンギンエリアに少しずつ人が集まり始めた。次はここでもうすぐ行われるペンギン達のお散歩を見るためだ。
恭平は少しばかり声のトーンを落としてから、呆れ笑いを浮かべながら話し続ける。
「だけど小春と急に連絡が取れなくなるし、どうしていいか分からなくなった。だから、ほぼヤケになってアメリカ支社へ行くことにした」
日本を離れたら諦めきれるだろうと考えて。そう口にした後、恭平は今度は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「俺は自分で思ってた以上に、諦めが悪かったみたいだけどな」